見出し画像

ネットで有名人な渡辺陽太の影で。

今日、私はふと気付いた。
渡辺陽太と光山和希は、わりと常にニコイチ逮捕されているにも関わらず、SNSのみんなが騒ぐのは渡辺陽太の方ばかりで、光山和希の方は全くのノーマークであることに。
なんでだろうか。
渡辺陽太は、実家が会社の経営者で、貧困ビジネスやってるとはいえ、金もある。
一族みんなええとこの学校へ行き、人生イージーモードにしか見えないからか?
面がそこそこ良く見えて、大学のミスターコンテストに出場して、ファイナリストになるくらいまで残っていたからか?

光山和希には、そこまで目立つものがないからか?

にしても、だとしても。
普通の友人であれば、光山和希の方から、渡辺陽太とつるむことをやめるはずである。
なぜなら、光山和希にとって、慶應義塾大学行ってて実家がスゴくてミスターコンテストファイナリストの渡辺陽太ではなくて、犯罪者になった渡辺陽太とつるむことにメリット見いだせないだろ。しかも、自分までニコイチ逮捕されては、慶應義塾大学の学生という身分の危機を迎えてるし、もうまともに就職できんだろ。普通は渡辺陽太のこと恨むだろ。
光山和希が、普通ならな。
どう考えても、光山和希が渡辺陽太と、ニコイチでつるむことをやめない理由って、他にあると考えた方が自然なのだ。
もう一度、考えてみてほしい。
光山和希のこと、だれも、注目してないだろ。

光山和希は、渡辺陽太の注目度を利用することで、自分の悪どさをカモフラージュ出来てしまえるし、SNSの野次馬の知らんやつらに、光山和希のことが根掘り葉掘りされてバラされることを回避できてしまえているのだ。
これだけで、犯罪者として好き放題やれる環境を、手に入れてしまえるというメリットを見いだすことができる。
そのうえで、光山和希は、渡辺陽太に比べると、再起しやすい環境にいてるのでは、と思われる。
しかし、これ、ホントにどうしようもないのは、光山和希のほうとも思われるのだ。

渡辺陽太は、光山和希に利用されている……?

渡辺陽太は、光山和希に利用されている。と考えると非常に自然ではある。
しかし、渡辺陽太からみて、光山和希とわざわざ、犯罪者になったあとも、ずっとつるむことに、なんのメリットがあるのだろうか?

光山和希は、おそらく家柄は格下だろうし、顔だってイケメンってわけでもないし、むしろ渡辺陽太からすれば、悪い遊びばかりに付き合わされてて、犯罪者として逮捕される原因になってるし、二人とも破滅する人間関係なのだから、傍から見てると、マジで仲良くする意味がわからないのである。

この二人の人間関係って、相互で助け合う友人関係というよりは、共依存関係なんでないか?

友人関係に、メリットだのデメリットだの、関係ねぇだろ!という熱い方もいらっしゃるとは思うし、人間関係において、メリットデメリットの話をすると違和感がある方もいらっしゃるかもしれない。
だけども、そこいらへんにいる友人関係というのは、だいたいの人は、言葉にできないでいたり、あえて言葉にしていないだけで、お互いにある程度のメリットがあるから、付き合っているという関係性なのだ。それは、気分がよくなるとか、そういう、そんなのメリットに入れちゃうの?っていうくらい、他人からすれば、くだらないポイントまでをも含めて、そうなのだ。
だから、どちらかがしんどくなったり、二人の心の内で、メリットが見い出せなくなっていけば、なんとなく、フェードアウトしていくし、フェードアウトをはかろうとする。派手にケンカして気まずくなって、そのままケンカ別れすることもあるのかもしれないが、だいたいの友人関係って、いつの間にか音信不通になってるなー、でも、まいっか、でいつか終わるものだろう。

そして、そこいらへんにいる友人関係レベルであれば、たとえ一人の友人が失われても、他の出会いから友人となり、なんとなく補われたりもする。
そんなに一人の友人との付き合いに深くこだわったりしないんよな。

つまり、友人になる人間は、だれでもええという気持ちなんよ。コイツじゃないとダメなんだ、というこだわりまではない。

渡辺陽太にとって、光山和希との人間関係って、そんなメリットデメリットで付き合ってる人間関係ではないことだけは、確かなんよな。
だって、渡辺陽太視点だと、デメリットの方が、どう考えても大きいもん。
それでも付き合いをお互いに、やめれないでいる……。
この二人は共依存関係で、なんらかの縛りがある関係性なんじゃないか、と考えると、めちゃくちゃ辻褄が合うんだ。

渡辺陽太と光山和希の友情の終わりについて。

さて、今回、私は光山和希視点からすれば、渡辺陽太とつるんで犯罪をしても、通常よりも光山和希側に注目されないというメリットがあると書いた。
しかし、このメリットも、何度も繰り返すと、だんだん失われていくものでもある。
前回の逮捕劇でも、私は興味がなかっただけで、なんとなく、「あれ?みんな渡辺陽太のことばかり騒いでて光山和希の方はスルーされてなくね?」くらいは気付いてブログ記事に書いてる人間は居てたハズである。

しかし、その人の興味関心はそこまで深くもなくて、光山和希のことをよく知らない人間だったから、たまたまギリギリセーフが続いていただけなのだ(実際はアウトなんだけどね)
もしも、光山和希の過去のことまで、めちゃくちゃ詳しい人間が、光山和希のことをバラすことで注目されるぞとなって、SNSなどでバラせば……?
その時点で、実は、光山和希が渡辺陽太とつるむことのメリットが失われてしまう
んである。

そうなれば、たとえ、渡辺陽太が光山和希とつながろうと努力したとしても、光山和希は、用済みとばかりに渡辺陽太のことは、捨て去るだろうと思われる。
手のひら返して。
私は、二人のこと知らんし、どうでもいいと思っているから、当人がこれを読んでも、んなわけねーだろって、済ますかもしれない。

私は、渡辺陽太については、光山和希から離れてからが本番なのだろうなぁと思う。
やらかした過去は、生きてるかぎり消えることなんかないし、渡辺陽太の人格についても、生涯変わることもないだろう。

社会システムが変わったりなどで、渡辺陽太の実家の会社の経営が傾いて破産することで、今までみたいに暴力沙汰になっても揉み消せなくなることなら、ありえるかもしれないが、渡辺陽太本人が、ネットで有名人であることは変わらないだろう。
西村博之という、裁判で決まったことから逃げて外国で暮らして開き直ってるヤツもいるし、堀江貴文にしても、獄中から立ち直ってるので、実際のところ、渡辺陽太は騒がれては人が集まり金も集まりというループそのものは、そんなに大きく変わらないのだろうとも思う。
知名度がなくて透明人間になって、嫌われるという自覚もなく嫌われるルートには、そうそうならないだろうと。
歌舞伎町あたりが拾ってきたり、ヤクザな世界でやっていくことなら、できるかもしれない。
そこから足を洗うとなると、生来の気性と向き合って戦う必要も出てくるとは思うのだが。

さすがに、歌舞伎町すら、拾わないか……。
なんにしても、二人に若さが残ってるうちは、永遠に一緒にいるような間柄ではないと、気付かないだろうなぁとも思うのだけどね。

共依存関係を断ち切るぞ!と言葉にしてがんばって関係性を変えていく人もいるだろうけど、それはたいていは、親子関係などの話だ。
恋人や友人は、人間関係としては、自分の心の中の、ただの鏡なので、自分が変わると友人関係においては、人間関係が変わるよりも、切れていく確率の方が高いってだけの話なんだ。

環境を変えていくためには、人間関係の付き合いを変えていく方が手っ取り早いんだけども、それだけじゃなくて、自分自身を見つめて変えていくようになれなきゃ、また、同じ環境を引き寄せてしまうだろう。
似たような人間と付き合いだすだろう。
引っ越ししてもそうだ。
自分自身を変えることには痛みが伴うし、かんたんには変わらない部分もあるのだけど、環境を変えても、人間関係が変わっても、変えられないでいる何かを変えようと思ったら、もうそれは、自分自身を変えていくしか道がない。
そういうものなんだ。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 100

サポート代は、わたしの子供たちの育児費用等に使われます。