教育の責任。

たとえ、相手が幼い子供であっても、「どんな人にも価値があるものと」、「いらないものなので、ゴミになるもの」の違いを、教えることと、「どんな人にも価値があるもの」を積極的につくって売ることを教える必要があるんです。

それが、生きる力の根本のルールだからです。

子どもたちで野菜をつくって、本物のお金で取り引きするお店をつくり、子どもたちにお店番をさせてみるというのは、おそらく生きた教育となります。だって、野菜というのは、誰にとっても価値があります。食べ物ですからね。
そして、野菜を自分では食べられる形にできないところから、食べられる形に加工することを覚えることも力になります。
丸々の野菜から、食べやすい状態のご飯にして、売ることも、子ども達にとっては、勉強になることでしょう。

ただ、どうみても要らないものを加工して、押し付けられたとして、誰が心から喜ぶでしょうか。
お世辞として、「ありがとう」というかもしれませんが、それはある意味では、子どもたちのためには、なりえません。
その場の遊びとしては、楽しい気分で終わるけども。

ただ、その……自分にとっては要らないものも、売る相手によっては、価値のあるモノに映ることもあります。
本当に必要としていて、欲しがっている相手に、商品を売るために、セールストークをすることを覚えることも力になります。

この場合は、自分にとってのガラクタをお金を持ってる人相手に手八丁口八丁で売り込むわけですね。すると、本物のお金が手に入ります。
しかし、お金を持っていない人相手に売り込んだところで、相手は1円すら出せません。何故ならお金を持っていないからです。

この商売のごっこ遊びをするとしたら、夏祭りの舞台が適切かもしれないですね。
本物のお金を使って、お店番です。
ただ、一晩だけのお店の商売のやり方と、お店をずっと継続して構えるときのやり方とでは、全然違うというのも、現実としてあります。
ただ、一日だけのお祭りですら上手くいかないお店は、毎日やってみても上手くいかないでしょう……。

商品を安い値段でたくさん仕入れて、少し利益を乗せた値段をつけて、宣伝してお客様を集めて、販売してみるという、一連の流れを、すべての子どもたちは、子どものうちに体験するべきだとすら私は、考えます。

ヤングケアラーのケア報酬とか、髪の毛切ってくれた報酬とか、このような文章への報酬とか、音楽への報酬となると、概念としては少し抽象的なので、子どもたちみんなが売り買いするには、理解が難しい面もあるかもしれないんですが、野菜だったら、わかりやすいし、お祭り屋台の店番だったら、わかりやすいんじゃないでしょうか。

わかりやすいところで商売がわかるようになり、お店を作る方法がわかることで、やっと、若いときから人を世話して子守りするような子どもたちに、正当な報酬を支払う社会になるんじゃないでしょうか。

私は、ヤングケアラー問題については、子どもが病んだ大人や自分より幼い子どもの世話をすること自体よりも、その行為での子ども本人へ報酬がなさすぎる点に問題があると考えています。
実際のところ、人は、自分で生きる力を得るためには、ある程度までは家政的な仕事の技術を身につける必要もあるからです。
子どもが働いているのであれば、お金などの報酬が返ってくる社会であれば、小さな大人が働いていることと、そんなに変わらないんじゃないでしょうか。
子どものときにじゅうぶん遊ぶことは大切とよく言われますし、遊ぶと楽しいのですが、人間の身体の構造上、遅くとも40歳頃までには、パートナー選びと出産を終えておく必要があります。40歳を超えても出産し、元気な子供を育てる人もいますが、みんながみんな、そうできるわけでもありません。それに、50代になると女性は閉経します。子どもが産めなくなります。その点は昔から今も変わっていないんです。
子どもを産まないと決めて働くことをキッパリ選べる人もいますし、そもそも子どもを残せない身体の方もいらっしゃいますし、選んだパートナーの事情で子どもを残せない方もいらっしゃいますが、みんながみんな割り切れるわけでもないでしょうし、何より、子どもが減りすぎると、人類滅亡の危機にもなりかねません。今もバンバン子どもを産み育てる社会が別のところにあるので、そこから、継続性のある社会つくりを学ぶ必要すらあるかもしれません。

なので、子ども時代というのは、遊んでいられない一面もあることも事実です。

遊ぶのは、ぶっちゃけ、50代を過ぎてからでも遅くありませんが、今度は身体の衰えの問題が出やすくなります。
人によっては死にはじめます。
若いときに出来ることと、老いてからでも出来ることは、全然違うのが現実なのです。
そのことは、次世代の子どもたちには、嘘偽りなく伝える必要はあります。

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