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俺たちの心の中にいるカニエ・ウエスト

「みんなの心の中にカニエ・ウエストがいる」という話。

普段noteに書くのは、地元のことやマーケティング、サッカーみたいな「それっぽい話」なのですが、今回は随筆のような、エッセイのような内容になりそう。

どういうことか。僕はカニエ・ウエストの『Through The Wire(スルー・ザ・ワイヤー)』という曲が一番好きなのだけれど、自分でも不思議に思うことがある。

なぜなら、「ボーカリスト」というカテゴライズであれば、ホイットニー・ヒューストンやブルーノ・マーズ、日本人で言えば久保田利伸やゴスペラーズを始めとした「生歌だけで目頭を熱くさせられるアーティストたち」を差し置いて、自分の中ではカニエの曲こそ最高だなーと思うからだ。

カニエ・ウエスト(Kanye West)は世界的なアーティストではあるが、特別にラップが上手いわけでもなければ、ジャスティン・ティンバーレイクのように誰もが認める見目麗しいアイドルでもない。

それこそ、みんな大好きテイラー・スイフトのことを公衆の面前で否定してまでもビヨンセを持ち上げたりしちゃうし、カニエに対しては「何考えているかわからない。頭がおかしい人だし、しかも人間として嫌悪感を覚える。」という印象を抱いている人も少なくない。

カニエは、まさに“賛否両論”が常につきまとっている人間だ。

でも、彼のことを好きなファンが世界には沢山いる。2017年までに、グラミー賞では68回ノミネート、そのうち21回受賞を果たしていて、その実力を疑う者はいない。

確かに彼のプロデューサーとしての才能は、星の数ほどいる人間の中でも群を抜いて素晴らしく、その楽曲作成能力、音楽家としての才能、アーティストのポテンシャルを引き出すチカラありきなのは間違いない。

でも、自分がカニエを好きな理由、特に歌い手としてのデビュー曲である『Through The Wire(スルー・ザ・ワイヤー)』が好きな理由は、その名声とは別のところにある。


「原体験を語る」という意味で彼の横に並ぶ人はいない

カニエ・ウエストが個人的に一番好きだと思っているところが、「とにかく自分が体験したことを紐解く」「自身で主体的に調べる・取り組んでみる・試行錯誤を重ねてみる」という2つの部分。

日本的な言い方をすれば、彼は間違いなく「オタク」であり「メンヘラ」であると思う。

とにかく自分が見た世界が全てで、それを作品に昇華させたり、アレンジを加えてコンテンツにしたりするチカラが半端ない。

オタク的な部分で言えば、「HipHopの醍醐味でもあるサンプリング技術の随一の使い手」という側面がそれを証明している。

Jay-Zの『IZZO』という曲が世界的な大ヒットとなったのも、みんなが聴いたことのあるThe Jackson 5 の『I Want You Back』をサンプリングしたことが一因であるのは間違いない。

楽曲制作時に、カニエはプロデューサーとして『IZZO』に関わっていた。

あとは、日本のオタク文化への造形の深さも凄まじい。村上隆が大好きで、カニエが出すアルバムやプロモーションビデオにおいて、しばしば村上隆と一緒に作品を作っている。

また、カニエ自身のクリエイティブ溢れるアウトプットは、大友克洋の『AKIRA』から来るものであると自ら述べている。『Stronger』という爆発的なヒットを飛ばした曲でも、『AKIRA』をリスペクトした謎のカタカナが散見されている。

そして、カニエ自身は半端ないメンヘラでもあり、自身の恋愛にまつわるエピソードを語り尽くした『808s & Heartbreak』というアルバムに全てが詰まっている。

デビューからしばらくはHipHopの可能性を模索し、クロスオーバーな世界観を存分に発揮してきた中で、唐突に自らの欲求を素直に表現した作品は非常にセンセーショナルな内容だった。


全てのクリエイティブにおける質を担保する要素は、「自分が何を語れるか」次第である

とまあカニエの話をつらつらと述べてきたのですが、彼自身がここまで成功してきた理由は自分の欲求に素直に従い、それを惜しげも無く語り尽くしてきたことに尽きる気がしてならない。

そして、「全てのクリエイティブは脱予定調和の文脈から成り立ち、『あなた』が何を語れるかに尽きるのかもしれない」というのが僕の仮説だ。

実際に冒頭に述べた『Through The Wire(スルー・ザ・ワイヤー)』は、楽曲制作の話自体がぶっ飛び過ぎている。

カニエ自身が居眠り運転で交通事故に遭い、口の中にワイヤーを入れなくてはならない程の大怪我を負う。そして、口の中にワイヤーが入ったままラップをし、その音源を曲に突っ込んで作品にするという訳のわからない制作方法を選んだのだ。

居眠り運転が原因で大事故を起こしてしまった彼は、顎が砕けてしまうほどの重症となった。しかし、砕けた顎を修正するために複数のワイヤーを口に縫い付けられた彼の状態がクリエイティブ面を前に進めることになる。「俺は悲劇を勝利に変えるチャンピオンだ」というリリックの通り、彼はアーティスト人生を変える名曲を作ったのである。(中略)「Through the Wire(ワイヤーの間から)」という言葉遊びをし、ワイヤーが口に縫い付けられた状態でこの曲をレコーディングしたのである。この曲の発音が少し聞き取りづらいのはこのためだ。
出典:カニエ・ウェストのデビューアルバム「The College Dropout」6つの制作秘話を紹介 | Playatuner

『Through The Wire(スルー・ザ・ワイヤー)』を聴いていると、僕自身の中に生きている「エゴ」とか「自分らしさ」が湧き出てくる感じがするのだ。

僕個人的が勝手に思っていることとして、人間は皆、

・まともじゃなきゃいけない
・場の雰囲気を壊してはいけない
・一定のお金を稼がなきゃいけない

といった「社会的に真っ当な自分」を演じていると節があり、それらを繋ぐネジを取り外した「ありのままの自分」を世の中に解き放ってしまうと、秩序を崩壊させてしまったり、自分が築いてきた文脈を全て壊してしまったりするかもというリスクに怯えている気がしてならない。

それゆえに、本当の自分を心の中にしまい込んでしまうケースが非常に多いと思う。

でも、そういう部分が少しずつ露見してしまうのは、Twitterというツールが証明していたりもする。

Twitterのアカウント名を頻繁に変更して注意を引きつけたり、周りとは逆の思想や考え方を呟いたり、夜中に一時的に自撮りをアップして明け方に1人恥ずかしい気持ちで消してしまったり。「ユーモアのあるツイート」を心がけようとして、仕事にまつわるような真面目なことを敢えて全く呟かなかったりするのも、逆説的に同様だと思っている。

そんな時に、口にワイヤーが入ってようが、自らが死にかけようが、自分自身が未熟なことを認めようが、「自分自身の言いたいことをラップという形式で表現して世の中を突き動かす」というカニエのありのままな姿に、どこか聴き入ってしまうのだ。

<訳付きの以下の動画が一番おすすめ>

最近、「原体験が必要か否か?」という話がTwitterでも流行っているけれど、「原体験があった方がエピソードに紐づいて語れるだけの説得力があるに決まっているし、人の琴線に触れるに違いないでしょ。」というのが自分の考えだ。

そして、自身で何かしらの生業をなすためには、原体験はあってもなくても結果なケースバイケースで相関的に紐づくものだし、この議論が混迷を極めている限りは、探求自体は心理学者や社会学者、あるいは原体験の探求者に任せれば良いのかなーと個人的には思う。

僕自身として言いたいのは、もっと自分たちの興味関心に素直になって、見たモノ・体験したモノに対して熱を帯びながら語れる機会を増やすことが、みんなが幸せになれる一番の方法なんじゃないかということ。

先日のイチロー選手の会見でも思ったことだし、自分が「生きている」と感じられるエピソードをどれだけ体験できるか、そしてお酒を飲みながらかもしれないし、大切な人との時間を過ごしながらかもしれないけど、自分ゴトである体験をどれだけ語り尽くせるかが全てなんじゃないかと。

そうしたら、誰もがクリエイターになることができ、人の数だけクリエイティブが生み出される世界が間違いなく来るはずだ。UGC(ユーザー生成コンテンツ)とも言われている「あなたが発する言葉なり作品なり」こそが、世界を突き動かす原動力になるはずなのだ。

人の数だけ生み出されるモノがあれば、その数だけ人の突き動かす接触が増える。そういうエモーショナルな気分に浸ってみるのも、たまには良いものだなーということを語りたかったnoteでした。

おわり


<タイミングが合えばランチ行きましょう>


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