私とタモリさん

禍話を聴いてたらタモリさんの話題が出たため、思い出した古い記憶。

今から数十年前、私が小学生低学年の時の話。
タモリさん家と私の家は比較的近い場所にありました。

当時、芸能人のプライバシーなんてものは無く、家を建てようものならワイドショーが家の前で中継し「ここがあの有名なタモリさんの新居、タモリ御殿です!」とか「明石家さんまさんの新居が○○に建設中です!」と流れていたのです。

なので、ご近所さんは「今度タモリさんが引っ越してくるんだって!」と噂になり、学校でも「有名人の家に突撃するのは絶対に禁止!近づくな!」と釘を刺されるものでした。

そんな周りは高級住宅地だったのですが、うちは使いづらい竿地だったがゆえに作られた長屋、もといアパートに住んでいました。

隣には自分のひとつ下の女の子がいたYちゃん一家。
他にも単身者数名などが住んでいました。

そして、タモリ御殿ができて1年も経たない時期だったと思うのですが、母からYちゃんの家に新しい兄弟ができて、数カ月後に産まれると報告がありました。お隣なので、世話好きの母はYちゃんのお母さんの面倒見たり、Yちゃんをうちで預かることもありました。

これも記憶が曖昧ですが、多分出産1~2ヶ月前ぐらいに、私の3つ上の姉が小学校の同級生から「タモリさんて安産のお守りを配ってるらしいよ」と聞いてきました。数日後、放課後に私・姉・Yちゃん・姉の同級生2人がうちに集まり、「Yちゃんのお母さんのために、親たちには内緒でタモリさんからお守りを貰ってプレゼントしよう!」という話になりました。

思いついたら即行動の子どもたち。その日のうちに、タモリ宅のベルを鳴らします。
出てきたのはお手伝いの中年女性でした。

姉が代表して状況を説明し、タモリさんにYちゃんのお母さんのためお守りをくださいと伝えます。困惑するお手伝いさん。少なくともYちゃんがその場に居たからでしょうか、無下に追い返されることもありません。

そうすると、タモリさんの奥様らしき人が現れ、お手伝いさんが状況を伝えます。
奥様はしばらく考えたあと「わかったわ。主人に話してお守りを作ってもらうから、一週間後にまた来なさい。ただし、これは特別なので他の人には絶対に秘密にしてね。」と快諾してくれたのです。

その場で喜び、お礼を伝える私達。
一週間後が待ち遠しかったのは言うまでもありません。

そして一週間後、再び集まった私たちはタモリさん宅のベルを鳴らします。
お手伝いさんが出てきて、タモリさん・奥様から預かった封筒をもらいます。
そしてお手伝いさんから「封筒は開けちゃダメ。そのままお母様に渡しなさい」と厳命されました。

はい!と元気よくこたえ、お礼を言う私達。
タモさん宅から私の家までの途中、誰かが言いました。
「封筒の中、見てみたい」と。

軽くテープで止められているぐらいなので、簡単に開きます。
親に渡す前にこっそり見ようと決まり、みんなでそーっと封筒を開けます。

中には一枚の色紙。そして「安産祈願」という言葉と、多分森田一義と書いてあるだろうサイン、お名前、日付、そして、不思議なマークが描かれていました。

子どもたちはみんな「おー!芸能人の色紙!」と大興奮。でも汚しちゃまずいので、ちゃんとしまって家に戻ります。

その足で、Yちゃん宅に行き、Yちゃんからお母さんに色紙を渡しました。
Yちゃん母は喜びと併せ、子どもたちだけでタモリさん宅に行ったことを怒りましたが、受け取ってもらえて大団円!
と思ってたら、私と姉は事情を知った父と母からバチクソ怒られました。

それから十数年後。
土曜の夜にTVを見ていると、めちゃイケで「加藤浩次に子供が産まれるから、タモリさんに安産祈願のお守りを貰いに行こう」という回が流れました。

昔の記憶を思い出し、加藤浩次を小学生だった自分と重ねるように番組を見ます。
そして終盤、タモリさんからお守りをついにもらうのですが、そこでなぜか色紙にモザイクがかかっていました。

でも一瞬だけちらっとモザイクが外れたシーンがあり、そこですべてが繋がりました。あのマークの意味を。だからお手伝いさんは開封NGと言ったのかと。

この話はたまに思い出し、更に数年後ネットで調べたところ下のような記事がありました。(元ネタはすでに消えていたので、残っているサイトより)

「タモリの安産祈願といえば、「笑っていいとも!」(フジテレビ系)初期の定番ネタ。元々は、女性器を模したマークをタモリがゲストに書いてみせ反応を見るというネタだったが、いつしかそのマークは“安産祈願のマーク”として有難がられる存在に。マークが描かれたメモをゲストが嬉しげに持ち帰ることが増えていった。」

ということでした。
これが私とタモリさんの思い出です(タモリさん本人は出てない)

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