晩夏の余韻2

後輩と先生と3人で食事をしてから数ヶ月。

僕は仕事を辞めた。

苦しみから逃れたい気持ちに答えるためと、自分がこれまで見ようとしてこなかった「毎日が楽しい世界」を探すために。

けれど。

仕事を辞めてから数ヶ月。

何が変わっただろう、何を見つけられただろう。

苦しみから逃れたと思えば、これからどうすればいいのかでまた苦しくなる。

やりたいこと、楽しいと思えること、どんな小さなことでもやろうと思った。けれど、どうしても自分の今の状態に許可を出せず、気づけば不安で頭がいっぱいになる。止めようとしても、そういった思考が湧いてきて止まらなくなる。

自分が何をしたいのか、何が楽しいのか、見つめ直そうとして見たけど見つからない日々。

そんな日々が続くだけ。

変わらなかった、出来ることなら少しでも変わった姿でいたかった。


そしてまた僕はこうして、また先生と会っている。

変わっちゃいない、自分をどうにかしたくて。

僕の手のロックグラスの氷がカランと音をたてる。グラスのかいた汗が僕の手を濡らす。


多分、これ以上自分から言葉を口にすれば、より一層僕は自分の弱さをさらけ出すことになる、そんな気がしていた。僕がどうしたらいいか、それは本当は僕だけが知っている答えであって、先生と話を進めるたびに、その答えと向き合わざるを得なくなる。顕在意識ではその答えと向き合うべきだと思っても、深いところから無意識のうちに、怖がって、向き合いたくないというおもいが湧き上がる。やらなくちゃいけない何かを知ることで、新たな不安や恐れを抱えながらも、行動しなくてはいけないということを、深いところから拒否しているのがわかる。

「僕も、昔は自分が何をしたいのか、というか、自分が何者かわからなくなることがありましたよ。」

先生の声が耳に聞こえてすぐ顔をあげた。先生はやや左上に目線を向け、何か薄い壁の向こうを見やるかのように話し始めた。

「気持ちもわかります、今抱えているのがどんな感情なのか。僕も何がしたいのかわからない日々が続いていたことがありましたよ。ただ、具体的に何がしたいとかわからなくても、自分に対しては誠実であることを意識していましたよ。その瞬間で自分に対していいと思ったことは、まず最優先する。そうやって自分を満たすことを第1にしていた。それと同時に、他人に対しても誠実であること。誠実であることがやりたいことだと本能的に感じていたから、具体的に何がしたいかわからなくても、違和感がなかったのかもしれません。

自分にも他人にも、貢献したいという思いは誰よりも強かったですね。そのために必要なことが無意識にもどこか自分の中ではいつもはっきりしていたように思います。極端に言えば、貢献できればなんでも構わないとさえ思っていた、だからこそ何をすべきなのかという意識に囚われなかった。だけど何かが僕に対して、どうしたら貢献できるかをどこかで知らせてくれたのかもしれないですし、もしくは、それは生まれた時からそういう方向性を向いていてずっと自然だったのかもしれない。ただずっと、特に意識した覚えもないけれど、自分を満たすことのためには、自分という人間を使って、自分という全てで人に貢献したい、人の役に立ち、人を救いたいという思いが強かったですよ。」

そう言ってワインを口に運んだ。

人の役に立ちたい。そうあればいいと僕も思う、人の役に立つ、貢献することが自分のやりたいことで成された場合こと幸せが大きくなるということは聞いた事が何度もあった。だけど僕からすれば、人の役に立てるならそれは幸いな事だと思いつつも、自分が何を提供できるのかもわからない。それに何よりも、自分が人の役に立つ前に、自分が自分に対して役に立っている実感すらないのだ。コップの理論ではないが、自分が自分を満たせてこそ相手に何かを伝えたり、貢献できたりするだろうと思っている。先生は何を満たし、何で貢献しようと思っていたんだろう。

「先生は、今でもコンサルという仕事を通して様々な人や企業に貢献されていると思いますが若い頃とかは何で貢献しようと思っていたんですか?やっぱりコンサルという仕事がメインだったんですか?」

「僕は人の命に貢献したいと思ったので、医学の道を目指しましたね。関西の大学の医学部に入って、医者を志していましたよ。自分が誰かのためにできる事、そのために何が必要かと思った時にやはり医療で人の命に貢献したい、そう思ったんですね。」

初めて先生の過去を聞いた。そんな思いがあったのかと改めて思った。僕は思考停止を繰り返しながらも、自分のエゴや夢というラベルをつけた道を追っていた。自分に対して、勇気や感動をくれた憧れた世界で自分の誰かに対して、何かを届けられる存在になりたかった。でもそれは少なからず、自分自身のエゴや憧れを昇華したい、ゲスい思いがあったなと感じる。それと比べれば、なんて志の大きい人なんだと改めて感じるとともに、自分との差が大きいとまた、自分を責めたくなった。

「医者になって誰かを救いたい、たくさんの人がそう思っていると思う。だけれども、そうした形にも限りがあるし、純粋な思いだけでは成せない事があることに学ぶ中で感じたんですね。それに、自分が本当に医者になることで貢献する事が果たして、自分のすべきやりたい事なのかと悩むこともありました。そんな中、ある時ふと思った事があったんです。満員電車の中ぎゅうぎゅう詰めになりながら、仕事に向かうサラリーマンの人をみて思ったんです。家族のため、会社のため、誰かのため、そう自分を含めた誰かのために、幸せを創造するために日々を送っている人たちが、なぜあんなにも疲れ切って苦しい顔をしているんだろうと。それに悩み自分の命を、かけがえのないものを残しながらどれだけの人が自ずと命を落としているんだろうか。それを感じた時、僕はこうした人たちを助けたい、そう思ったんですね。そのためにはどうしたらいいだろうと考えた時、コンサルタントの道が見えたんです。」

人を救いたい、それの道が先生の中で植えられた時、コンサルタントという仕事が輝きを見せた。医者からコンサルタントへ、とんでもない発想だなと感じた。僕も含め普通の人でこんな感性持っている人がどれだけいるだろう。しかも、自分が志していた道を変えるという大きなリスクを背負っていく。そうした人のために、という志が、自分自身を満たし成功へ導く鍵なのかもしれない。僕にはそこまでの意識がない。

「そうでしたか、どこか先生の今に対して納得した気がします。」

そう言いながら僕はロックグラスを口に運んだ。

覚悟。

その言葉が、頭を過ぎる。覚悟を持った人こそこんなにも強く美しく、前を歩いていけるんだろうなと思った。僕に覚悟はあるのだろうか、何に対して覚悟を僕は抱けるだろう。そう考えながらも、感じるのは、自分の不甲斐なさや弱さ、そしてそこに甘える事で逃げようとする自分の事だった。

「それでね、僕の話は置いといて。かしむらさんはどうしたいと感じているんですか?今日僕と話をすることも、何かを探して来られたんじゃないですかね。」

先生の目は優しかった、けれども、僕にはその優しい眼差しすらも心を突き刺す矢のように感じた。

「そうですね、先生に比べたら、僕は自分が誰かに対して何かをしたいという感覚すら薄い、言ってしまえば自分さえ良ければとさえ思う節があります。たとえ、先ほどの満員電車で疲れ切った人の事に対してどう思うかも、自分もそのような経験をしているので確かに自分も含めて救えたらそれはいいなと思います。でも、誰かのために自分が何ができるんだろうと思ってしまうんです。それ以上に、僕は自分に対して、何ができるんだろうって。僕はやりたい事をやっていた過去があります。音楽やアートに関心があってその道を歩んだ。でもダメだった。僕はそれを捨てた代わりに新しい幸せを確かに得ました。それはとても大きく、妻に対しては本当に感謝する日々です。けれども、それがあるにもかかわらずどうして僕はこんなに苦しいんだろうと思ってしまいます。他の人たちに比べたら、大層甘い事を言ってるかもしれない、でも正直に苦しい、そう思う自分がいるんです。どうしたらいいんだろう、僕はどうすればいいんだろう。そう問題意識を持ちつつも、何もしない僕がいる。それが、今の僕です。」

悔しい、悲しい、そんな感情が湧き出てくる。浅はか、弱い、愚か、そんな言葉さえ僕が僕に与えている、そんな気がしてならなかった。



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