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舞台ノートルダムの鐘&ノートルダム・ド・パリ考察もどきの感想

ノートルダムの鐘(ディズニー映画)→ノートル=ダム・ド・パリ (角川文庫)→ノートルダム・ド・パリ(岩波文庫)→ノートルダム・ド・パリ(トキメキ夢文庫)→舞台ノートルダムの鐘(2/24京都劇団四季) の順番で見た人間の感想ですので原作寄りの感想になってます。といってもそれぞれ1回しか読んでおらず、理解も浅いです。 これから本を読むよという方にはトキメキ夢文庫からの岩波文庫をオススメします。トキメキ夢文庫はストーリーがわかりやすく、原作沿いで大事なところを抑えているので...

    • トゥワイスと時々ホークスについての考察と感想(僕のヒーローアカデミア考察)

      「大事なのは自分が誰なのかよく知ることだ」 分裂する自身への自己評価トゥワイスにスポットが初めて当たるのはNo.115のアンリーシュドだ。 それまで言ったことのすぐ後で真逆のことを言う支離滅裂な面白分裂おじさんだったトゥワイスの素の語りから始まる。 「大事なのは自分が誰なのかよく知ることだ」 この一文には自分自身が本物か分からなくなってしまった自身に対する皮肉であり、そして失ってしまったからこそ大切だと痛感した事実としての思いが強く込められている。トゥワイスは二倍という驚異的

      • 高田馬場ジョージについて

        ジョージは歌が歌えないプリズムスタァであり、それ故にGSとして池袋エィスを使っている。第5話では主に高田馬場ジョージの唄である池袋エィスの視点を通してジョージという人間がどういう人物であるかについてが描かれている。この話の面白いところは池袋エィスが主体として描かれているため、ジョージの心情について直接的に描かれておらず心情については描写から読み取ることしかできない。アニメ中でもあくまで高田馬場ジョージは本心を明かさない存在として描かれるのである。第5話の面白みはここにある。

        • ニーアオートマタ 機械生命体とアンドロイドは電気仕掛けの夢を見るか

          ヒト、機械生命体、アンドロイドの差異について(1週目のパスカルの村まで行った時点での感想) 砂漠地帯で機械生命体が感情があるかのように行動し、人間のような機械生命体を生み出した時、プレイヤーは一種の不気味さに似た感情を覚える。これはなぜか。私は一種の不気味の谷現象が起きているからだと考える。 「不気味の谷」は“人間に近く見える”人に似せた像に対する人間の感情的反応が否定的になっている部分である。(Wikipediaより引用) 機械生命体とヒトの違いロボットとヒトを区別す

        舞台ノートルダムの鐘&ノートルダム・ド・パリ考察もどきの感想

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          無能の足掻き

          人の心を動かす才能や人を助けられる技術があり、周囲の人を幸せに出来る美しい性格の人。 これが私の理想とする自分自身である。 時々、理想とかけ離れた自分というものを目の当たりにすることがある。 それを自覚した瞬間、思わず太いマジックで塗りつぶしてしまいたくなりような自分にだ。 他人や一時の感情に流されて人の悪口を言ってしまった時、自身の失態に気付いていながらも正当化している時、漢字の読み間違いに気が付いた時。 大小様々ではあるが恥の多い生涯を送っている。 送ってきました、と

          無能の足掻き

          文章を書くということ

          (初めての投稿になります。自己紹介のかわりと言っては何ですが、私にとっての文章を綴ることの意味について書いてみました) 私は会話するということが苦手だ。会話が続かないという事もあるが、何よりも相手の言っている事の意味が理解出来ていないような感覚に陥ってしまうのである。内容だけが脳の中を滑っていき、どこにも引っかかることもなく反対側の耳から流れ落ちてしまう。流れ落ちてしまったそれを拾い上げようと思っても、指の間をすり抜けて遠くへと流れていき、ただただその形を見送るだけしか出来

          文章を書くということ