生きるための理論構築をがんばる人たち

世の人は、みな生きるための理論を必死で構築しようとしているように見える。このnoteでも散見する。幸福感を得るためにはどうすればいいか、悔いなく生きるためにはどうすればいいか、そのためには、他者の課題を分離せよ、好きなことだけをせよ、心配事の9割は起こらないから心配するな、感謝の気持ちを持て、大宇宙の声を聴け、などなど、などなどなど。

こういうものをまともに書いたり、あるいは、書かれたものを読んだりしている人を見聞きすると、クラクラするものを覚える。いったいどこまで本気でやっているのだろうか。いや、まあ、悪いと言っているわけではないけれど、そうやって生きるための型を作ろうとすることは、わたしなんかからすると、窮屈なのではないかと思ってしまう。窮屈だし、つまらない。

人生は不思議に満ちている。世界があって、その中に存在して、肉体と精神を持って、運命を持って、成長して年老いてやがて死ぬ、ということは、とても不思議なことであり、この不思議を感じることができれば、それだけで人生は面白い。しかし、人生理論を作ると、この不思議を感じ取ることができなくなってしまう。それは、もったいないことだと思う。

たとえば、「自分の機嫌は自分で取ろう」という人生論がある。あらかじめ言っておくが、わたしはこれに全く反対しているというわけではない。周囲に不機嫌をまき散らしているような人に対しては、是非ともそう言ってやりたい言葉だ。しかし、こういう人生論をただ受け取っているだけだと、そもそも、「機嫌が悪くなるというのはどういうことか」、「なぜ機嫌を取る自分と、機嫌を取られる自分という、二人の自分がいるのか」ということに関して、意識が向かなくなる。そんなこと考えてもしようがないだろう、と不機嫌に言われてしまうと、返す言葉が無いのだけれど、そういうことを考えることが、わたしにとっては面白いし、その方が人生が豊かになるのではないかとも思う。

人生論、人生観、主義といった、人生を規定するようなものを捨てていけば、人はもっと自由になれる。この自由は宇宙大にまで広がっていくことだろう。まあ、真っ暗な宇宙空間の中に放り出されて、あとは好きにしろと言われても、困ると言えば困るのだが。

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春日東風

形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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