3.11を特別扱いしないということ

8年前、日本を大地震が襲った。大勢の人が亡くなった。まあ、こう書くと、今日はちょうど3月11日、沈痛な気持ちを抱いたり、あるいは抱かない人でもそういう顔くらいはするだろうが、別に8年前のあの日でなければ、天災が起こらなかったり、人が死ななかったりするわけではないのである。あれからも天災は起こり、人も大勢死んでいるわけで、3.11だけ特別扱いする理由は何も無い。

今日あたり、「3.11を忘れるな」的な投稿がここnoteだけではなく様々な媒体において数多く為されるだろうが、3.11を忘れない代わりに、いつだって、あの日のようなことが起こり得る、つまり、今日にだってあなたやあなたの大事な人が死ぬかもしれないということが忘れ去られるとしたら、それは結局は、3.11を忘れている、あの日から何も学んでいないということである

天災はいつでも起こる、人はいつでも死ぬ、ということを肝に銘じて毎日を生きること、それが3.11を生きるというそのことである。一年のうち一日だけ、3.11を思い出して悲痛な思いに沈むというのは、ひととき劇場で悲劇を鑑賞して悲しみを抱くというのと何も変わらない。劇が終わったら、「いや、いい劇だった。さあ、夕飯に何を食べようか」といった具合ののんきさは、必ずしっぺ返しを食うことだろう。

もっと言えば、天災を待つまでもなく、人は死ぬ。今日あたり、あなたは交通事故に遭って死ぬかもしれない。地震が起こらないと、人が死ねないわけではないのだ。地震が発生した午後2時46分に、亡くなった人に対して黙祷を捧げるそのときに、もしかしたらその5分後に死ぬかもしれない自分自身に対しても黙祷を捧げておくことをお勧めする。

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