少女とクマとの哲学的対話「他人の気持ちを知る条件」

〈登場人物〉
アイチ……高校2年生の女の子。
クマ……アイチが子どもの頃からそばにいる人語を解するヌイグルミ。

クマ「何読んでるの?」
アイチ「新聞のコラムだよ。この前亡くなった樹木希林さんのインタビューが題材になっているんだ」
クマ「ふうん。いつか死ぬじゃなくて、いつでも死ぬという気持ちで生きている、か。彼女はガンだったからね。それは、てらいのない、まったくの本心だっただろうね」
アイチ「わたしは死んだことがないから、『いつか死ぬ』とも、『いつでも死ぬ』とも、正確には思えないところがあるんだけど、でも、やっぱり、『いつか死ぬ』よりは、『いつでも死ぬ』の方が真実に近いよね?」
クマ「それはそうだろうね。未曾有の長寿社会で、みんな自分が『いつか死ぬ』どころか、いつまでだって死なないような気持ちでいるけれど、そういうわけにはいかないのは、今年に限って言ったって、西日本の豪雨や、北海道の地震なんかの災害を思い出せば、分かるだろうし、何もそんなに大きな話じゃなくたって、交通事故で、一日平均にすれば10名程度亡くなっているんだから、それを認めれば分かるはずさ。でも、まあ、これが分からないんだろうな」
アイチ「ねえ、クマ。それが分からないってことは、こういうインタビュー記事を読むことの意味は一体どこにあるんだろう。だって、読んだって、実感できないんだよ」
クマ「確かにね。読んでみて、ひととき樹木希林の言葉に感動しても、その感動を携えたまま生きることは、これはかなり難しいだろうね。朝読んでも夜には忘れているって具合で、読んだってしょうがないとも言えるな」
アイチ「でも、もしかしたら実感する可能性もあるのかな。人間には想像力があるから」
クマ「うん。想像力っていうのは、そこに無いものをあるように見なす力のことだ。この力を発揮すれば、樹木希林じゃなくても、樹木希林の言っていることが実感できるかもしれない。でも、それにはね、ただその力を使うだけじゃなくて、十分に使う必要があるな」
アイチ「自分は他人じゃないからだね」
クマ「そう。自分は他人じゃない。他人の言うことを実感するためには、その他人の立場に身を置かないといけないわけだけど、他人の立場に身を置くなんてことは究極的にはできないんだ。それが自分が自分であるっていうそのことなんだからね。でも、それで終わっていたら、あんまり面白い話じゃないね」
アイチ「自分は他人じゃないけど、わたしがこの自分じゃなくて、誰か別の人でもあり得たんじゃないかっていう気がね、リアルにすることが、昔あったなあ。小学生の頃、このアイチっていう女の子がいない世界っていうのをよく考えていたんだけど、そのときにね、アイチがいない世界を見ているわたしっていうのがいて、そういうことが考えられるっていうことはさ、わたしはアイチじゃなくてもよかったんじゃないかなってね」
クマ「キミがアイチであったことは偶然的なことで、他の誰かであることもありえた。それこそ、樹木希林であることもね。もしもそうだとすると、樹木希林という他人が言っていることも、自分が言っていることだとして実感できる可能性もあることになる。それが、想像力を十分に使うっていうそのことになる」
アイチ「だとするとさ、わたしは女だけど、だから男の子の気持ちが分からない、で終わらなくてもいいんだね。同じように、わたしは子どもだけど、だから大人の気持ちが分からない、で終わらなくてもいいし、わたしは健康だけど、だから病気の人の気持ちが分からない、で終わらなくてもいい」
クマ「そうだね、そこで終わっていたら、あんまり寂しいことだよ。よく、『所詮、男の気持ちは女には分からない』なんていうスネた言い方を聞くけど、そう言う人は、現に男であるというそのことが偶然的なものではなくて、自分自身と分かちがたく結びついている必然的なものだと強く思いみなしているんだね。そうして、相手が現に女性であることも必然的なものだとみなしている。でも、そんなことはないんだ。自分が男であること、相手が女性であることは偶然的なことだって、それをちゃんと自覚して発言すれば、男であるその人の気持ちも、女性に分かってもらえるはずなんだ。もちろん、その女性の方も、自分が女性であることの偶然性を認識している必要があるけどね」

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