フォローさせてください

フォロー始めてみました

昨年の5月にnoteを始めて以来、ずっとどなたのこともフォローしておらず、基本的に、スキをつけてくださった方をたどって、そのnoteを拝見するというようなことをしていたけれど、毎回いちいちたどるのがめんどくさい、この人の書く記事ならアップされた時点で読みたいと思われる方を、数名フォローさせていただきました。これまでnote公式でさえもフォローしていなかったので、使い勝手がどうなるか、それ次第ではまた元のゼロフォローに戻るかもしれないけれど、しばらく続けてみます。

フォローする代わりに何くれる?

わたし自身は、フォローしてもらいたいとは、まあ特には思っていないのだが、他の方のアカウントで、「フォローしてください」というコメントをよく見かける。そのとき、わたしが反射的に考えるのは、「わたしがフォローする代わりに、じゃあ、あなたは何くれんの?」ということである。何かをしてほしいと言うなら、何かを与える必要があるのは、常識である。無償の愛は、母親にだけ要求せよ。たとえば、「わたしの書くものは一読の価値があります。毎回の記事において必ずあなたをうならせます。だから、フォローしてください」と言うなら、分かる。そういう約束も無しに、ただフォローしてくれと言うのは、「わたしには与えられるものがありません。わたしには何の価値も無いです。わたしはただです」と公言しているに等しい。恥を知りなさい。

フォローさせてください

どうかフォローさせてほしい。フォローに足るnoteを読ませてほしい。前回のnoteで書いたが、わたしが読みたいのは、あなたの魂からほとばしり出るあなただけの言葉だ。どこかの誰かが言ったことではない……いや、どこかの誰かが言ったことだって構わない、それが、あなたが心から感じたことであるなら。そういうnoteこそ、読む価値があるものであって、あなたにとっても書く価値のあるものであると、わたしは思う。

読んでくださってありがとう。もしもこの記事に何かしら感じることがあったら、それをご自分でさらに突きつめてみてください。きっと新しい世界が開けるはずです。いただいたサポートはありがたく頂戴します。