今後のコメント対応について
先日、わたしの書いたnoteに、見当違いのコメントをくださった方がいて、その方のアカウントをブロックさせてもらった。コメントひとつでブロックまでするとは大人げないヤツだと思う方もいるかもしれないが、その方とは、以前にもちょっとしたことがあり、もう今回は無理ということで、ブロックという決断になった。
そもそも、各種SNSのような顔の見えない、あるいは、顔が見えても人となりが分からない空間においては、本来、安易なコメントは慎むべきであって、何も考えていないバカみたいなコメントをすれば相手にブロックされても当然だと思うが、どうか。少なくとも、わたしは、コメントをするときは、受け入れてもらえるか、それともブロックされるか、どちらかだという覚悟を持ってつけている。これまでひとさまのnoteに安易な気持ちでつけたコメントは一つもない。そういう覚悟がある言葉でなければ、わたしのようなどこの誰とも分からない者の言葉など、刺さるわけがない。刺さることを目的としないコメントは、ただの自己満足だろう。
今後、わたしのnoteに対するコメントに関しては、システムにのっとって普通に受け付けはするが、
アホみたいなコメントは容赦しない
ということをお伝えしておく。容赦しないというのは、コメント内容に関して徹底的に論争するとか、コメントした人を罵倒するとか、そういうことではない。そんな時間はもったいないので、ただ単に、
無視、削除、ブロック
のような対処をするということである。
コメントを全く受け付けないようにする設定も考えたが、実はその、わたしがカチンと来た……いや、もっとちゃんと言えばブチ切れた見当違いのコメントの前に、別の方から秀逸なコメントをいただいていて、その方とコメントの応酬をしたあとに、あちらはどうか分からないけれど、少なくともわたしは非常に爽快な気分になって、あ、こういうコメントの応酬ならまたしたいと思ったからである。その機会が全く無くなってしまうのは、惜しい。
コメント対応に関しては、これまで誠実に行おうと思ってきたが、どうも、「誠実に行う」ということを、「いい顔する」ということと取り違えていた節がある。せっかくコメントつけてくれたのだから、まあ多少その内容がズレていても、当たり障りなくおもてなしして、お帰ししようみたいな。好かれたい、読んでもらいたい、なんて思っていないということを、これまで何度もnoteで書いてきた。しかし、そのような対応のどこにそういう気持ちが見られるのか? ほとほと自分に呆れ返る思いである。
※コメントいりません。何かコメントしたいことがあったら、そのコメント内容をご自分のnoteで書いてください。
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