あなたの魂からの言葉を読みたい

わたしの書くものを読んでくださっている方は、わたしが、しばしば、自分しか頼みにしないようなことを書いていたり、あるいは、自分しか頼みにするなというようなことを書いていたりすると、思われるかもしれないけれど、そんなことはない。そもそも、自分しか頼みにせず、他人と関わりを持たないで生きることなど、不可能な話である。人は必ず他人と関わりを持って生きている。仮に、山中で独居している場合であっても、「独居」という言葉自体が、いや、言葉というものそれ自体がすでにして他人との関わりの中で存在するものだ

だから――そういう言葉で短絡できるかどうかはあなたに任せておくが――、わたしは、あなたの言葉を読みたい。わたしの書くものの中には、あなたが書いてくれたものの影響が必ずある。ただし、それゆえに、わたしは、あなたの言葉の中でも最上のものを読ませてもらいたいと思う。影響を受けるなら、とびきり良い影響を受けたいのだ。人の書く言葉の中で最上のものとは何か、それは、その人の魂でもって書かれた言葉だ。心の底から感じられる、絶対にそうとしか思えないそれが言葉になった、その言葉だ。

自分が心から感じていないことを書くことは、くだらない。他人の口まねをして、「幸福とは――」なんてのたまっても、そんなもの、もしも何かの間違いで多くの人に読まれたとしても、ひととき感心されて、それで終わりである。多くの人に読まれたいとか、うまいこと書きたいとか、そんなことを考えながら書かれたものには、価値が無い。少なくとも、わたしは、そんなものに価値を認めない。

実際のところ、いささかうんざりなのである。幸福とは、人生とは、思考とは、などというとってつけたようなことを読まされるのは。あなたが切実に感じていない問題を、思考実験などと称して、他人の代わりに悩むような真似はやめなさい。幸福について書くなら、あなたの幸福を書きなさい。人生について書くなら、あなたの人生を書きなさい。思考について書くなら、あなたの思考を書きなさい。一般的な幸福、一般的な人生、一般的な思考、などというものは、ありえない。それは、一般人などという人間がいないのと同じことである。

これは、今このnoteを読んでいるあなたに向けて書いている。人は、ものを読むとき、それが自分について書かれたものだとはなかなか意識しないものだ。自分について書かれているのだと意識することなく、それに納得したり、反感を持ったりする。いいですか。この文章は、あなたに宛てて書いているんですよ。あなたが、自分の心から感じたことを書いていないから、注意しているんです。そんなものはくだらないことですよ、と。

他でもない、あなた自身の魂が震わされたことを、書いてほしい。それは、必ず、それを読んだ人の魂も震わせることだろう。

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