自分の頭で考えるヒント3 ~本は要約するな~

自分の頭で考えるためのヒントとして、今回は、読書の仕方について書きたい。みんな、読書は好きだろうか。わたしは好きで、ちょこちょこと読んでいる。まあ、活字が無いと生きられないというような中毒者ではなく、たしなんでいる程度であるが。

自分の頭で考えるということを徹底すると、本も読まなくていいということになるけれど、一人の頭には限界があるということもまた事実である。その限界を突破するために、本を利用しよう。

この読書の仕方として、昨今、「インプットのための読書」的な言い方が為されることがある。その本に書いてあることを効率よく理解して記憶するための読書である。

自分の頭で考えるということに関して言えば、インプットのための読書は必要無い。いや、むしろ障りになる。だから、そんなことはしなくていい。面倒くさがりのあなたには朗報だろう。自分の頭で考えるということは情報をインプットするということでは全くない。自ら知識を生み出すことである。

インプットのための読書の仕方については、色々あるけれど、その中で、「要約」について述べておこう。要約とは、膨大な情報をコンパクトにまとめることである。近頃は、なんでもコンパクトにすることが求められている。シンプルイズベスト、断捨離、ミニマリズムが跋扈する世の中である。そんな中で、本を読むときにも、それをコンパクトにまとめることがいいことだと思われているのは、自然の流れかもしれないが、ちょっと待っていただこう。

確かに、本を要約することで得られるものもあるだろう。その本について理解した気になれるし、要約を読んでもらったり聞いてもらったりすることで何となく知的に見られることもある。しかし、失われるものもあるのである。そうして、自分の頭で考えるということに関して言えば、この失われるものを失ってはならないからこそ、要約はするな、と言いたいのだ

要約によって失われるものとは何か。それは、要約されなかった部分である。要約されなかった部分とは、あなたがその本の中で重視しなかったところだ。それは理解が行き届かなかったところである可能性が高い。分からないから無視した部分。本当はそこが大事なところで、そこにこそ、あなたがその本の中から自分の頭で考えるべきことがある。にも関わらず、要約してしまうと、その過程でその部分を見なくなってしまう。

自分の頭で考えるということに関して言えば、本からは常に、答えではなく問いを受け取らなければならない

自分にとって大切な文章ほど、要約などしないものだ。恋人からのラブレター、子どもからの感謝の手紙を、要約する人間がいるか? ラブレターを読んで、「あ、要するに、これはわたしのことが好きだってことか」と一行にまとめる人間がいるだろうか? 一文字一文字じっくりと読むことだろう。ある文章を要約するということは、その文章はさして自分にとって大事なものではないということを、自らあきらかにしているのである。昨今、「眼光紙背に徹す」という読み方は流行らなくなったようだが、そのような読み方でなければ、少なくとも、自分の頭で考えるということとの関係では、なんの意味も無い。

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