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短編小説「階段の風景」/漫画持ち込みの体験より

コルクラボマンガ専科7期・山田ズーニー先生の講義にて
名作の型を使い、縛りを設けて60分で小説を書きました。
課題は自分の「負けた」経験を作品にすることでした。
私の小説を記録がわりにここに残します。

「階段の風景」

私はちやほやされ続けてきた漫画描きだった。
大学の友人の天田が、マンガ編集者になりたいと言った時も、
「じゃあそこで連載して儲けさせてあげるよ」などと軽口を叩いたものだ。
天田は至極真面目で、穏やかな性質であったので
「地原さんが投稿してくれるならいつでも見せてよ!」と笑ってくれた。
創作に対する立場は違うが、よく学食でマンガ談義に花を咲かせたものだった。

大学卒業後に就職した私は日々の仕事に忙殺され、ペンを握ることすらないまま15年を過ごしていた。
そんなある日、私はネットで天田が大手出版社でヒット作を連発する有名編集者になったことを知ったのだ。
過去の軽口を思い出した私は、空き時間を使ってなんとなく短編漫画をさらっと描き上げ、うきうきと天田を指名して持ち込みの予約を取り付けた。

出版社のビルは冗談みたいに大きかった。そんなところで大出世した天田を誇らしく思いながら、私は持ち込みの席の硬いソファにふんぞり返った。
学生の頃のように「地原さんは上手いね!さすがだよ!」と天田は私を大げさなほど誉めそやしてくれるはずだ。
15年越しの再開と賞賛を想像して、私はひとりほくそ笑んだ。
忙しそうに時計をチラチラ確認しながら、天田は現れた。
変わらない柔和な笑顔だったが少しやつれていて、日々の激務が伺えるようだった。
「早速見せてもらおうかな。あの地原さんの作品だからね、楽しみだよ。」
原稿を手に取ると、天田はプロの顔つきになった。
リズミカルにめくられていく原稿。
あっけないほど早く読み終えられてしまい、私は唖然とした。
もう一巡。
天田は眉間にしわを寄せて、こう言った。
「これじゃ名刺はあげられないよ、地原さん。」
私は耳を疑った。天田は続ける。
「絵は…まあ、上手い。でも正直それだけだ。」
「どういうこと…?」思わず私は聞き返す。
「この絵でなんで通らないか口惜しいでしょう?でもね、この話の中に人間はいない。心も気持ちも全くない。これはね、人形遊びだよ。」
自分の奥歯の軋む音がした。
目を上げられず、膨張した頭に心臓の音だけがやかましい。
天田は昔のように人懐こい笑顔を私に向けて、こう言った。
「また描いたら持ってきて。地原さんのつくる『人間の話』を、俺は読みたい。」

天田が去っても、私は立ち上がれずにいた。
こんな感じの話を私の絵で描けば売れるでしょ。
こんなキャラがこんなことしてればみんな喜ぶんでしょ。
うわついた気持ちで形だけをなぞったマンガを、あの真っ直ぐな天田に、私は自信満々で持ち込んだのだ。
負けた。自分の慢心に私は負けたのだ。
天田の「良い話をみんなに届けたい」という想いを、大学時代あんなに聞いていたのに。
耳まで燃えるように熱くて、震える手を固く固く握り締めたまま、ようやっと私は出版社を後にした。

寒風が吹きすさんでいた。
陽は落ちかけて、長い影が足元にずるずるとまとわりつく。
つま先が段差にぶつかって、見上げると長い長い駅への階段。
そこを吹き飛ばされた枯葉が登っていく。
白い息をやかんのように吐きながら、私もぎこちなく階段を登り始める。
『人間の話を俺は読みたい』と天田は言った。
「生きた人間を、私も描いてみたい。」
登りながら振り向けば、痛いほどに赤い夕日が背中を押している。

 負けた。これは、出発点だ。

売れるとか売れないではない。
私は天田に、生きた人間の話を届けてみせるのだ。

<終>


これは、持ち込みで言われたことや、はじめの持ち込みが通らなかったくやしさや自分の慢心に気がついて恥ずかしくなったことをもとに、小説として再構成したものになります。
ノンフィクション作品になりますが、リアルな心情が表現できたかな、と思います。

この授業、本当に同期の皆さんの生きた体験、リアルな気持ちが突き刺さる作品ばかりで、こうやって物語を作るとすごいものになるなあと実感しました。
排出を上手く取り扱うために、名作の型を借りるのはホントありだなあ…!
素晴らしい授業でした。ズーニー先生と同期のみんなに感謝です!

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