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⑪不器用で無知な私が、間違った解釈で片付けに溺れた話

こんにちは、かたづけまぐろです。

前回は、目が合うとケンカになる野生動物のような兄弟に、それぞれの巣となる空間を作ったという話をしました。

今日は、自分の中のお片付けの解釈で溺れ沈んでいく話をしたいと思います。

私があまりにも不器用で無知だったなと、振り返ると恥ずかしいですが、こんな人もいるんだなと思ってもらえたら幸いです

今の家は、結婚して子どもが産まれる前に住み始めた家です。
ですから、子どもの性別も人数も分かりませんし、そもそも授かれるか分かりません。
なので、子どもたちの好みに合わせていつか部屋を持てるように、できるだけ大きな家具を買わずに暮らそうと夫婦で決めていました。
この時点で、どんな風に暮らしていくかという想像が欠如してたように思います。

そして、こんまりメソッド、断捨離、ミニマリストなど、家の不要な物を手放す、持たないという考え方が、世の中に広がっていきました。

子どもたちが産まれると、誤飲など危なくないような物の配置を心がけました。
また、子どもには自分で片づけられるようになって欲しいという気持ちもありました。
ただ、この頃は“散らからない、いつもキレイな家”という無理難題を家族に求めていたと振り返ると思い反省しています。

その後、YouTubeなどで、物を捨てたり寄せたりしてスッキリする動画、素敵な片付いた家のルーティン動画など、物を持たず片付けも最小限にする生活に憧れを持ち、“物は少なくするべき”、と考えるようになっていきました。

物が少なければ片付けもしやすいし、暮らしが良くなる、自然と理想の暮らしができるとその時は信じていました。

けれども、物を少なくするお片付けをしても、物の配置を変えても、“お片付け”を終わらせて幸せな生活を送ることができませんでした。
正確に言えば、この頃には大抵の物の住所は決まっていますから、お片付け自体は短い時間でできますし、ものすごく散らかっているというわけではないのです。

ただ、なんだか満たされない。

そんな気持ちのまま、もう、これ以上片付けられない、前の配置のほうが使いやすかった…Ctrl+Zで戻せたらなぁ。とか、
アレは捨てないほうが良かったなぁとたまに思うことも出てきて、
私がやりたいのはお片付けなのか?
お片付けはもう終わらせたい、やめたい…と
ノイローゼのような心持ちの時がありました。

これが、かたづけまぐろが溺れていた時の話です。ブクブクブクブク…。


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