1-12 浄化のアリバ
回転する無数の緑色の刃が、俺の視界を埋め尽くす。
ドSの開発チームが作ったシューティングゲームみたいな弾幕。
とてもじゃないが、避けられる気がしない!
俺に向かって飛んでくる風の刃が、転がっていたゴミ箱に触れた。
瞬間、水色のポリバケツは跳ね上がり、バラバラになった。
恐怖が俺の意識を凍りつかせた。
それがさらなる集中への後押しになった。
俺の意識は加速されたかのように一番深い場所へと潜っていく。
パパンッ!!
ひときわ眩しい閃光が目の奥で爆ぜ、最後の集中が完成した。
身体が軽い。肉体の隅々にまで意識が行き渡っているようだ。
自身を自在に操れている感覚……こいつが【コンセントレイトモード】か!
ぐっと目を凝らすと、逃げ場がないほど密に迫ってくる風の刃に、ほんのわずかな隙間があることが認識できた。
俺は、身体をひねり、手足を動かして、その隙間を通り抜けた。
完全にはかわせなかったいくつかの風が、肩を裂き、身体を切り、シャツとジーンズを破った。
熱いような痛み。でも、それだけだ。
大雨の中を走って、ほとんど濡れていないかのような奇跡的な回避で、俺はマユのレベル2【エルフィンダンス】をかわしきった。
俺の身体を素通りした風の刃が、背後でホットドッグの屋台にぶち当たり、ぐちゃぐちゃに破壊して、ものすごい音を立てた。
「すっごい! かっこいーーー」
マユは本気で感心しているようだ。こんな状況だってのに、悪い気はしないぜ……。
「ど、どうだ! これが本気の俺だ!」
「ちいさいのじゃおにーちゃんは全部かわしちゃうんだね」
「へ?」
「じゃあこんどはもっともっともーーーっとおおきな風を作らなきゃ!」
マユがくすくす笑って力を溜め始めた。
濃緑の風がマユの全身を包む。
そのあまりの高密度に、マユの幼いシルエットがにじんでぼやける。
「そ、そんな……か、覚醒直後なのに……もうレベル3が使えるなんて……」
ボックスの中から顔を出したナミが絶望的な声を絞り出した。
「レベル3!?」
「マユは……この子は……まちがいなく、最強の悪意の幼生体だ……」
「お、おい! ナミ! しっかりしろ! 茫然自失してるときかよ! レベル3って、どんなのだ!?」
「マユのレベル3必殺技……【ジンストーム】……」
予言のように重々しくナミは告げる。
『ジン』ってのはアレだろ? 確か風の魔人かなんかだ。ゲームで見た記憶があるぜ。
シルフとかエルフとかとは、名前からして別格じゃねえか……!
夕焼け空に両手をかざしたマユを中心に、巨大な竜巻が渦を巻く。
ひゅんひゅん。
音を立て電線が千切れた。
ゴミや看板やイスやらが一斉に空中に巻き上げられる。
こんなの、必殺技がどうとかいうレベルじゃねえ……天災だ。
「さあ。おにーちゃん。マユからのキモチ。ちゃんと全部うけとめてね」
マユはその竜巻を俺目がけて……
……放った。
だが、スピードはたいしたことない。コンセントレイトモードの俺が全力で走れば、あるいは逃げられるかもしれない。
だがそれは、俺ひとりなら、だ。
すっかりすくんで怯えているナミは、逃げ切れず巻き込まれる。
「……………………」
俺は、ナミの前に立ち、腰を落として踏ん張った。
目の前で腕を交差させ、ガードの態勢。
意識を、肉体を、すべて防御に集中させる。
「は、ハヤト!」
背後でナミが叫んだ。が、すぐに轟音でその声はかき消される。
圧倒的なエネルギーが俺の身体を直撃した。
嵐が俺を蹂躙した。
透明な巨人が俺の身体をわしづかみにし、ぐりぐり握りしめてくるかのようだった。
だが、それも一瞬。
やがて風は消え、嵐は去った。
全身が、紙やすりで研磨されまくったかのように痛い! 熱い!
「ぐうううう。いってえええええ……」
「う、うそ……た、耐えた……の? ハヤト……?」
ナミの呆然とした声。
「ちゃんと痛えよ! 死にそうなほど痛えよ!」
「でも、生きてる」
大きな黒い目をパチパチまばたきするナミ。
「あんな……あんな大技食らって、無事だったなんて……」
「だから、ぜんぜん無事じゃねえって……」
「ま、まさか……いや、そうだ。きっとそうだ」
「おまえ、聞いてんのか!?」
「ハヤトは、『無属性』なんだ!」
「むぞくせい?」
「信じられないし、本来は絶対にあり得ないんだけど、ハヤトには属性が無いんだ。火でも、氷でも、風でも、電波でもない。たぶん、この世でたったひとりの……」
何かを思い出したかのように、ナミはタブレットを取り出し、画面を見た。
「アップデートされてる! ……やっぱりだ。ハヤトは無属性だっ」
「それだとどうなるんだ?」
「属性攻撃の影響を一切受けなくなる。有利な属性もないかわりに、どんな属性が相手でも対等以上に戦える!」
マユの悪意に怯えていたのが嘘のようにナミは力強く言った。
「ハヤト。とりあえず回復をっ。さっきのアレ。レッツプル」
「あ。あれか」
俺はポケットから試供品でもらってきたエナジードリンクを取り出し、一気に飲み干した。
独特の味の液体が全身に染み込むように行き渡ったと思った瞬間、体中の痛みが消えた。
「なんだこれ? たかがドリンクでこんなに劇的に回復すんのか?」
「アリバとの相互作用だと思う」
ナミが俺の隣に来て、前をにらむ。
「イケる。ジンストームに耐えられるなら、勝てるよ! マユもあれは何度も使えないはずだ!」
ふと見ると、マユは怯えた顔で俺を見ていた。
いや、顔は相変わらずの狂気めいた薄笑い。
でも……
俺にはなぜかはっきりわかった。
マユの怯えが。マユの苦しみが。
「一気に決めて! 今までの悪意と一緒だ。接近して全力で必殺パンチをぶちかまして! マユ本体には、大ケガとかたぶんないから!」
「ダメだ……それじゃ、ダメなんだ」
「え? ハヤト……?」
「ナミ。ここは……俺の思う通りに、やらせてくれ」
返事を聞かず、マユのほうへと歩み寄る。
ゆっくりと。ゆっくりと。
できるだけ、マユを怖がらせないように。
それでもマユは、外敵に怯える子猫のような顔で俺を見た。
「こないで」
マユのレベル2エルフィンダンス。
シルフィーコールで強化されていないからか、さっきのよりずっと数は少ない。
だが、俺は、それを一切かわさなかった。
鋭い刃物で斬られたような痛みが全身を襲う。
「ハヤト!」
ナミが叫ぶが俺は無視して歩みを止めない。
本当は、飛び上がりたいくらい痛いが、不思議と顔は笑えていた。
宙に浮かんだままのマユに近づく。
小さな愛らしい顔から狂気の笑みが消えた。
眉間にしわを寄せ、憤怒の顔になる。
「こないでよ!」
さらに俺の全身に刃が飛んでくる。
服が裂け、血が噴き出した。
「マユ」
俺は笑顔でその名を呼ぶ。
「大丈夫だ。おいで」
「………………」
マユの身体がゆっくり地上に降りてくる。
「マユのことは初めて見たときから気になっていたんだ」
近づきながら、俺はなるべく柔らかい声を出す。
「小学生なのに、ひとりでハピネスにきて、礼儀正しくメシ食べてる。この子には、きっと複雑な事情があるに違いないって、すぐわかった。それでまあ声かけちまったんだが……」
マユの追撃はない。俺には自分のHPはわからないが、この傷の痛みと、全身の脱力具合から考えるに、きっと残りわずかだろう。
「……でも、肝心な話は聞こうとしなかった。逃げてたんだ。そこは他人の俺が踏み込んでいい場所じゃないって。干渉すべきじゃないって、自分に言い聞かせて」
「………………」
マユはなにも言わない。攻撃する様子もない。
「でも、それは言い訳だった。俺が間違ってたんだよ、マユ。俺は、もっとマユと話をするべきだった。マユの話を聞いてあげるべきだったんだ。おまえが、どれだけ寂しくて、辛くて、苦しかったのかを」
「……おにい……ちゃん……」
「か、風の力が弱まった……?」
「もう、俺はためらわない。気になる相手を放っておきはしない。お節介だろうが、余計なお世話だろうが、どんどん首を突っ込んで関わってやる。そして、そいつのために、俺ができることをやってやる!」
「………………」
「風が……消えた……」ナミの声。遠く。
マユのすぐ目の前に来た。
マユは下を向いたままじっとしている。
ナミの言う通り、アピロスの屋上遊園地を襲った台風のような強い風は、ぱったりと止んでいた。
小さな細い身体をそっと抱きしめた。
柔らかく、そして熱い。
小さな鼓動を感じる。
俺よりもずっと背の低いマユの形のいい頭が胸のあたりに来る。
俺はマユの頭を手で包み込むように撫でた。
耳元でささやく。
「約束通り。助けにきたぜ、マユ」
「……………………」
「マユを助けるためには、俺の攻撃で、おまえの中から悪意ってのをブッ飛ばさないとダメらしい。俺を信じてくれるか……?」
「……………………」
そっとマユの身体を離した。
マユは、祈るように胸の前で手を組み、
安らいだ顔で……目を閉じている。
俺は拳を握った。体中の力がその一点に集っていくのがわかる。
「マユの中から出ていってもらうぜ。悪意!」
微笑みを浮かべたマユに向けて、俺はその拳を放つ。
風のような光なのか、
光のような風なのか、
そんな温かな何かが、俺の拳からマユのほうへと駆け抜けていった。
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