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虚無僧をさがせ!『絵本慶安太平記』


「虚無僧」

をキーワードに探し物をしておりましたら、このような絵本に行き当たりました。絵本とありますが挿絵はとても少ない…。が、漢字のふりがなはバッチリです。

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まずは、

『慶安太平記』とは?

慶安の変を題材にした実録本・講談・歌舞伎などの題名または通称。


『慶安の変』とは?

江戸時代の前期1651年、軍学者・由井正雪 (ゆいしょうせつ)が、槍の達人だった丸橋忠弥(まるばしちゅうや)らと共に、幕府転覆計画が企てられた事件。由井正雪の乱ともいう。


ザックリどんな事件かというと、

時は1600年代、初期の徳川幕府の頃、3代将軍・徳川家光の下で厳しい武断政治が行なわれており、大名が幕府に反抗しないよう、力で押さえ込もうとしていた。反乱の芽を摘もうとしていたんですね。大名が潰されると、失業した武士が出てきます。その上、関ヶ原の戦いや大坂の陣以降、浪人の数が激増しており、巷には多くの浪人があふれていた。

軍学者の正雪はそうした世を憂い、浪人の支持を集め倒幕を決意。

慶安4年(1651年)、徳川家光が48歳で病死し、幼少の家綱が継ぐこととなったのを契機に、幕府の転覆と浪人の救済を掲げて行動を開始!

江戸、京都、大阪での大規模クーデターを計画したものの、内部の密告(迂闊な計画漏れだったとも)により、あえなく露見。正雪は自決、丸橋忠弥が磔刑となり、計画は頓挫したそうな。


こちらには、主な登場人物がずらり。

加藤市右衛門が虚無僧に扮しています。

絵本慶安太平記  編輯人不詳 日吉堂 1886

因に、1650年頃の虚無僧は、まだこのような天蓋は被っておらず、編み笠タイプのものでしたし、丸絎けの帯は江戸後半です。この絵本が描かれたのは明治時代なので、多くの史料同様、江戸期後半以降には何時代であろうと虚無僧というとこのタイプのものが描かれています。


こちらは見出しの画像にもなっている場面。左手の草むらには虚無僧らしき人物が。

絵本慶安太平記 駸々堂 1889


虚無僧という僧侶でもなく俗人でもないという身分は、行き場の無い浪人たちには格好の隠れ処となったのでしょう。そりゃいきなり失業するんだから、農民・町人になった人もいたでしょうが、強盗するか、物乞いするか、今の権力を乗っ取るか!しかないですもんね。


関ヶ原の戦いや大坂の陣の頃の虚無僧(古無僧)が登場する『慶長見聞集』についてはこちら↓


戦国時代の混乱期から、三代目将軍の家光の時代まで、大名が厳しく取り潰され、浪人が増えていったんですね。この事件を機に武断政治から文治政治への転換点となったそうですよ。文治政治とは、学問や教養(とくに儒教)によって人心を感化させることで統治しようという政治手法のこと。4代将軍徳川家綱から7代将軍徳川家継までの時期まで続きました。



結局、財政難などで文治政治は終わりますが、ところ変わって現代は一体何政治時代なのでしょうか。


ともかく、虚無僧が生きていけない世の中だということは確かです(泣)



国立国会図書館アーカイブで『絵本慶安太平記』読めます。

日吉堂 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/880070

駸々堂 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/880067

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