いつか見た夢「光の中へ」

ある朝突然、私宛に招待状が届いた。

午前5時のことだ。
母がトイレに起きると玄関のチャイムが鳴った。扉を開けるとそこには黒いスーツ姿の若い男が立っていた。男は深々と一礼すると恭しく懐から小さな封筒を取り出し、これを綾乃様にお渡し下さいと言った。母が眠気眼でそれを受け取ると、男は再び深々と一礼し、今夜8時にお迎えに上がりますと言い残して白いリムジンで立ち去った。
私はその招待状を午前6時30分に父から受け取った。
「で?」
「で、じゃないだろ綾乃。お前宛に招待状が届いたんだぞ」
「いやいや、そんな話の前に私に説明するべきことがあるだろ」
なにしろ。
狭い我が家に、親戚一同、向こう三軒両隣、会社の上司、同僚、部下等々、総勢四十人程がひしめきあって鎮座ましましてるのである。
どう見ても異常だ。
「これは一体何事?」
「何事ってお前、皆、お前の力になるために集まってくれたに決まってるだろ。今朝この招待状を受け取ってから、父さんと母さんで手分けして一生懸命方方に電話したんだぞ」
だからちょっとは感謝しろと言って、父は胸を張って見せた。
全く意味が分からん。
私はひとまず父を無視して封筒に目をやった。その封筒は鮮やかなショッキングピンクをしていて表面には何も書かれていない。銀色の蝋で封がされていて、ユニコーンの刻印がくっきりと浮かび上がっている。
中には二つ折になった厚手の淡いピンクの紙が1枚入っていて、次の様に書かれていた。私は皆に聞こえるように大きな声で読み上げた。
『貴女を当倶楽部の第45,982回のパーティーにご招待いたします。尚、不適切な服装と当方で判断した場合には、ご参加を拒否させていただく場合がございます』
益々以って意味が分からん。
が、そんな私を他所に座は一気に盛り上がった。
「やっぱり例の倶楽部からの招待状でしたね」
部長だ。奥さんと生後7ヶ月の子供まで来てる。
「どうして綾乃なんかが招待されるのよ」
「ミシュランガイドみたいに世界中に調査員がいるって話だ」
隣町に住んでる従姉妹の陽子と、民生委員の田所さんだ。
「彼らの選考基準を知りたいな。一体どこを見てるんだか」
「と、とと、とにかく、綾乃さんがどんな人間であるにせよ、彼女が無事パーティーに参加できるようにバックアップするのが僕らの役目ですから」
幼馴染のカンちゃんと、会社の後輩の渡邊だ。
「さあ、時間が無い。エステサロンや美容室にも予約を入れないとな。早いところ準備に取り掛かろう」
「ちょっと待ってよ、お父さん。状況が全く分からないんだけど私。当倶楽部ってなんなの?誰か説明して」
「それは無理だ」
「どうして」
「何故なら」
誰も知らないのだと父は言った。
倶楽部の名前も、メンバーも、その詳しい活動内容も、全てが謎なのだと言う。
ただ。
「その倶楽部にまつわる噂がいくつかあってな。桁違いの金持ちしか入会できないとか、夜毎ラグジュアリーでマーヴェラスなパーティーが繰り広げられているとか」
きっと言っている本人にも意味は分かっていない。
「そのパーティーには倶楽部の会員しか参加できないが、時に招待を受ける者もいるんだそうだ」
それが、私と言うことか。
父と母が招待状を受け取ってから方方へ電話を掛けたのは、数ある噂を集め吟味し、その中から実のある情報を探し出し、娘を何とかパーティーに参加させたい一心だったのだ。
とは言え、砂利をいくら精製しても砂糖にはなるまいに。
「パーティーに招待された人間は必ず大金持ちになれるんだそうだよ。なんたって世界中のブルジョアとお近づきになれるんだからな。その人脈を利用すればどんな事業でも成功間違いなしだ」
そう言って父は笑った。
実におめでたい。
結局、我が家に集まった面々もその噂に惹かれてやってきたのだろう。
彼らは、私が受ける(かもしれない)御利益の残滓に群がる蟻だ。
それから私たちは「パーティーに相応しい服装」とやらを慎重に検討していった。
メイクに髪型、バッグの種類に靴の装飾、アクセサリーに身に纏う香り。
そこまでは順調に決まったが、着て行く服に関しては噂の数が多くて一つに絞れない。
「さて、どうしたもんかな」
「適当にクジで決めちゃえば」
「この中から綾乃が好きなのを選んだら良いんじゃない」
こいつら、完全に飽きてきてる。
そのうち子供の見送りだの仕事だのと言って五人、十人と居なくなり、最終的にリビングには八人だけが残った。
いよいよ父が阿弥陀クジを作り始めた時、それまで隅っこの方で船を漕いでいた御年百歳の祖母ちゃんが寝ぼけて呟いた。
「パーティーには黒いワンピースと決まっちょる」
噂の中に黒いワンピースは無い。
にもかかわらず、その場に居合わせた全員が祖母ちゃんの言葉に乗っかった。
かくして、二時間掛けてパーティーの服装が全て決まった。

午後8時、約束どおり今朝と同じ黒いスーツ姿の若い男が白いリムジンで私を迎えに来た。
見送りは一人もいない。なんでも、招待された者を見送ると必ず不幸になると言う噂があるんだとか。それでも、私は痛いほどの視線を感じていた。ありとあらゆる物陰から無数の眼が覗いている。きっと私が立ち去った後、わらわらと皆寄り集まって、また大好きな噂話に花を咲かせるに違いない。
車はひたすら県境の山道を走り続けた。かれこれ家を出発してから一時間以上経過している。周囲に明かりはなく、鬱蒼と生い茂る木々が両脇にグングン迫って来た。
──おかしい。
よくよく考えてみたら変だ。
こんな所にファンタスティックでゴージャスなパーティーの会場があると言うのか?
そもそも、黒いスーツ姿の男は噂どおりの招待状を持ってきたと言うだけで、それが本物かどうかは誰にも分からないじゃないか。なにしろ、誰も本物の招待状を見たことがないのだから。
冷静に見れば今の私は、どこの馬の骨とも分からない若い男と夜遅く奥深い山道を車で走っているだけである。
もし、これが全て男の茶番なら?
そんな考えが浮かんだのと、車が止まったのはほぼ同時だった。
「綾乃様、到着いたしました」
男の声に私は静かに身構える。
ドアが、ゆっくり開かれた。 そこには。
白亜の洋館がそびえ立っていた。あまりに巨大で建物全体を見渡すことが出来ない。デザインはヨーロッパの古城を彷彿とさせるが、まだ新しい様だ。手入れの行き届いた庭には無数の篝火が焚かれ、美しい花々の姿を浮かび上がらせていた。
私は男のエスコートで車から降り、コンコースから真っ直ぐ伸びる赤い絨毯の上を歩いて正面の扉へ向かった。揃いの服に身を包んだ男女が両脇に並んでゲストを笑顔で出迎える。どこからともなく聞こえてくる流麗なピアノの調べと人々の笑い声が空気を漂い私の耳をくすぐった。
噂話の中にだけ存在していた蜃気楼の様な倶楽部は実在したのだ。
ついさっきまでの緊張が一気に解け、嫌でも顔がニヤける。
が、喜ぶのはまだ早かった。扉の前には短い行列が出来ていて、ゲストたちが服装のチェックを受けている。
果して噂だけを頼りにコーディネートした私の服装は、このパーティーのドレスコードに則しているのだろうか?
黒いワンピースに関してはもはや噂さえ無視している。
行列の最後尾に付いて自分の順番を待ちながら他のゲストたちの服装を盗み見た。
女性は全員、黒いワンピースを着ている。
──よし。
私の後ろに次々と加わった女性ゲストたちも黒いワンピースを着ている。
──よし。
髪型にしてもメイクにしてもアクセサリーにしても手に持っているクラッチバッグにしても、私のそれと大差はない。
──よし、イケる。
そう思った次の瞬間、私はとんでもないことに気が付いてしまった。
男女を問わずゲストの鼻の穴から鼻毛が飛び出しているのだ。右の穴から一本だけ、マジックで書いたようにクッキリと長くて立派な鼻毛が。
私は慌てて前方へ視線をやった。確かに、扉の前でゲストの服装をチェックしている男は、軽く屈んで鼻の穴を覗き込んでいる。
「そ、そんな馬鹿な」
まさか、まさかこんなドレスコードがこの世に存在するとは誰が想像できただろう。
鼻毛なら、いの一番に切ってしまった。何度も鼻の下を大きく伸ばしたり、これでもかというくらい縮めたり、誰にも見せられない程の間抜け面を鏡の前で作りながら丁寧に手入れをしたのだ。
万事休すである。
何の手立ても講じようがないまま、じきに私の順番が来た。
「ようこそ、綾乃さま」
爽やかな笑顔で対応した男の胸には「棚橋」と言う名札が付いていた。
「では服装のチェッ・・・」
棚橋は絶句した。私の鼻の穴に視線が釘付けになっている。
ダメなのか棚橋。
どうなんだ棚橋。
私は心の中で叫び続けた。
しばらくして平静を取り戻した棚橋は、少々お待ちくださいませと言ったあと、少し離れた所に数名の仲間を呼んでなにやら協議を始めた。
もしかしたら。
今回だけは大目に見てやろうと言う相談かもしれない。端からダメであるのなら協議する必要はないのだし。
1分程して棚橋は仲間を引き連れて戻ってくると、失礼致しますと会釈してから、おもむろにジャケットの胸ポケットからペンライトを取り出し私の鼻の穴を下から照らした。たじろいで後退りする私を仲間たちが押さえつける。棚橋は大きく屈んでまじまじと鼻の穴の中を観察し、時々「うう」とか「ちっ」とか小さな声を漏らした。
やがて。
よしっ、と言う棚橋の力強い掛け声と共に男たちが一斉に動いた。
それまで私を押さえつけていた連中の手に更に力が入り、私の動きを完全に封じ込めた。次いで棚橋が両手で私の鼻の穴を思い切り捲りあげた。
激痛が全身を駆け巡る。
「いっ」
一言そう叫ぶのが精一杯だった。限界以上に仰け反り、必死で抵抗しようと体に力が入っているため声が出せない。
「大丈夫です綾乃様。頑張って、頑張って綾乃様」
ええい黙れ棚橋なにすんだコラと心の中で叫ぶが、やはり口から漏れるのは「うっ」とか「ぎっ」とか言う短い声だけだ。
一連の騒ぎに気付いたゲストたちが、わらわらと周囲に集まりだし声援を送る。
「頑張るのです綾乃さん」
全身の毛穴と言う毛穴から冷や汗が噴き出し、大きく開いて踏ん張った脚が小刻みに震え。
「綾乃さま頑張って」
固く握った手の中で爪がキリキリと皮膚を刺し、瀕死の金魚のように口を引き攣らせながら声にならない声を撒き散らせ。
「少しの辛抱だ、頑張れ」
私の意識はどんどん薄れていった。
もう無理だと思ったその刹那。
「今だ」
棚橋はそう叫んで鼻の穴の中に思い切り息を吹きかけた。
すると、真っ白になった私の頭の中にミントの香りが広がった。
──嗚呼。
不意に私は男たちの力から解放され、そのまま腕の中に倒れ込んだ。
辺りが水を打ったように静まり返る。
目を開けると霞んだ景色の中に鏡を持った棚橋が立っていた。
私の顔は涙とよだれで薄汚れ、右の鼻が真っ赤に腫れ上がり、そして。
その鼻の穴からはマジックで書いたようにクッキリと長くて立派な鼻毛が一本飛び出していた。
「ようこそ綾乃さま、夢幻倶楽部のパーティーへ」
棚橋の言葉に大きな歓声が沸きあがる。
おめでとう。
おめでとう。
おめでとう。
降り注ぐ祝福の言葉に軽い眩暈を覚えながら、私はゆっくりと歩き出す。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
ユニコーンの彫刻が施された豪奢な扉が内側に大きく開かれ、目の前に見たことの無い光景が広がった。
──これは、夢なのだろうか。
──もしそうなら、今すぐ醒めて欲しい。
きっと、一度立ち入ったら、もう二度と出てはこられないだろう。
私は、抗いがたい魅惑に満ちた光の中へ、一歩足を踏み入れた。

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