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デートで奢られ上手な人間になりたい

  先に言っておくと私は女なので女側の視点から語りたいと思う。そして私はデートというものをほとんどしたことがない非モテでもある。だから奢り奢られ論争に参加しようとなどというおこがましいことはできない。ここで強調しておきたいのは、初デートで割り勘はどうなのかだとか、そういう炎上しそうなことについて触れたいわけではないということだ。(まあ結果的に触れることになる可能性はあるが)そうじゃなくて多分私は、”デート”という響きに憧れているのだ。
 


  わたしは25年間生きてきてこの方、異性とのデートと呼べるような経験をほとんどしたことがない。この世の中に溢れる幸せそうなカップルを物陰から眺め、ときには羨ましいと歯ぎしりをしながら通行人Aを演じてきた。そんな私にとって”デート”というのは憧れの対象、私とは縁遠いキャピキャピした世界の女の子と男の子たちが行う魔法儀式のようなものである。そしてどうやら”デート”という儀式では”奢る”というコマンドを使うことが、”男気”というものを示すらしかった。私は奢られるのが苦手側の人間だからそれがよくわからないのだった。


  私は昔から異性が自分のことを”女の子”として意識してしてくれる行動(相手には悪気ゼロだと思う)が苦手だった。自分のことをヤドンだと思い込んでる狂人にとって、急に相手がヤドンのことを女の子扱いすることは不気味で仕方なかったからだ。そのせいで相手の善意と気遣いを素直に受け取ることができず、気まずい雰囲気になるというのは私にとってはもうお決まりのことだった。こういう時素直に「ありがとう」と言える人間になりたいと何度思ったことだろうか。もしわたしが奢られ上手な人間だったならばその時は空気を壊すことなく自然に相手の善意を受け取り、その後のカフェで奢り返したりするのだろう。そういう”ツウ”な振る舞いをすることができる人間に私は昔から憧れていたのだった。


  おそらく”デート”という儀式を行うことができる人間の条件として、こういう風に相手にわだかまりを感じさせることなく善意を受け取ることができる爽やかさが必要なのだ。ヤドン界の中でも暗くジメジメしたところを生息域にしている私にはそれは非常に難しいだろう。相手が私と同じような常識知らずで、「割り勘にしよう」と言ってくれる方がまだ付き合いを続けやすい。 


  要は数千円程度の支払いでセンシティブな感じを出さないでほしいのだ。私にとって奢られるということは「これからも私はあなたに奢る代わりにこういうセンシティブな感じを出していくからよろしく。」と言われているのと同じなのである。基本的に何も考えたくない私にとって、そんなことに頭を使うのは数千円で済む代償ではない。けれどこんなへそ曲がりではあの憧れのキャピキャピした世界には混じれないのである。なんとこの世とは残酷なことであろうか。目の前が真っ暗になりそうな事実に悲しみを覚え、私はこれまでデートというものについぞ踏み出さずにきた。


  奢られ上手な女の子がすなるデートなるものを、我もしてみんとて、するなり。紀貫之の土佐日記の冒頭に倣ってわたしもこのように一歩踏み出してみたいのである。大丈夫、世界はそんなに怖くない。私はこれまで自分のへそ曲がりからさまざまな偏見を生み出し、そしてそのたびに世界は思ったより優しいものだということを知ってきたはずだ。相手の善意を信じ、素直に受け取る。単純で簡単な話である。どうかこれからの私の人生にときめきと安らぎを感じることができるおデートが起こり、自然に振る舞うことができますように。とりあえずわたしは神頼みにすることにして未来の自分へこの話題を放り投げるのだ。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。