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国産のニンニクは買わないに限る

  なぜならうますぎるからである。大体どこのスーパーでも国産のニンニクと中国産のニンニクの値段には5倍から10倍ほどの開きがある。その分品質の差は歴然、ひと口国産のニンニクを口にすれば2度と中国産のニンニクには戻れないのである。これは私のように経済的に困窮した人間にとっては大問題だ。国産ニンニクさえ食べなければ、その美味しさを知ることはなく中国産のニンニクで我慢できていたのだ。しかし国産のニンニクを食べてしまったばかりにその美味しさに取り憑かれて財布にいらぬ負担をかけてしまうことになる。
  

  人は一度生活水準が上がってしまうとそれを下げられないという言葉の意味を、私はまざまざと感じる羽目になった。一人暮らしを始めて自分で料理を作るようになるまで、ニンニクの産地など毛ほども気にしたことがなかったのに。これでは外食を抑えて自炊していても本末転倒である。しかしそれでももう中国産のニンニクには戻れないのである。フランス革命前の仏貴族はその奢侈を改めることができずに革命の波に揉まれる憂き目にあったが、まさか令和の日本にあって同じ問題に直面するとは誰が想像しただろうか。


  読者諸氏におかれては、何と愚かだろうと失笑を禁じ得ないかもしれない。そんなもの我慢すればいいのだ、簡単である。しかしそう断じるには少し早い。中世ヨーロッパで胡椒が同量の金と取引されていた例を思い出して欲しい。もちろんこんな値段がついたのはヨーロッパの人間がインドまでわざわざ胡椒をとりにいかなければならなかったからである。しかしそれがヨーロッパの市場で高値で需要されたという事実は人間にとっての香辛料の重要性を示していると言えるだろう。私が一人暮らしするようになって気づいたことの一つに、料理において食あたりを防ぐ香辛料を人間は異様に美味しく感じるということがある。食事という人間の根本的な営みに根付いたニンニクの重要性は、見かけよりもはるかに高いのである。


  しかし最近はスペイン産のニンニクがどこのスーパーでも売られるようになり、この問題はある程度の解決を見るようになった。スペイン産のものは国産と中国産の中間ほどの値段で、味は独特であるものの結構おいしい。このように妥協可能な値段とクオリティの代替品があらわれたグローバル社会に感謝し、わたしは中世貴族よりも豊かであろう生活を送れる自分のラッキーさを感じるのだった。



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