結局ひとと交流するのが一番楽しい

  上記の言葉はインターネット上で繋がっている友人の発言である。彼と私はカラオケという共通の趣味があるのだが
「どんなに歌うまくてもすぐ飽きるよ。結局人と交流するのが楽しいんだから、人柄込みで歌を好きになるんよ。」
と言っていた。これをnoteに置き換えて考えると
「どんなに文章うまくてもすぐ飽きるよ。結局人と交流するのが楽しいんだから、人柄込みで記事を好きになるんよ。」
ということになるのだろうか。


  まあこれは少し違うと思うが、確かに人との交流が楽しいというのは至言だなあと思う。もちろん歌と違って、文章はもっと書いている人の考え方を曝け出しているものだ。言ってみれば自分で作った曲を自分で歌っているようなものだから、文章うまくてもすぐ飽きるなんてことは絶対にない。けれど文章を虚空に放って無人販売所のようにお好きに手に取ってくださいと並べているのは、一方通行の片手落ちなのかもしれないなあと最近思うのだ。


  1つの文章に触発された人々がおなじ題材についてさまざまな視点から考えを発表する。こういう流行りみたいな現象はインターネットでも現実世界でもよくみられる。それがレスバになったりすると厄介だけれど、反響するようにいろんなところからさまざまな考え方が出てくる様子は面白いと思う。SNSのような流れの速い世界でいろんな意見に振り回されるのは疲弊の方が大きくなりそうだけれど、noteくらいの緩い感じで交流するのは楽しそうだ。


  ただここでnote特有の壁が立ちはだかる。それは自分の好みの記事を書いてる人の記事をスキしてみてもその半分は更新していなかったり、数ヶ月単位でたまにノートに書き込むだけだという問題だ。どうやったら自分好みの記事を量産しているnoterを絨毯爆撃のように次々とフォローしまくれるのだろうか。みんなどうやって面白い文章を書く人を発掘しているのだろうか。自分好みの記事を探し出すのに時間がかかる、これだけがnoteに関して不満な点である。

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