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外国語でまくし立てられると、怯えてしまう

  わたしはあまりにも金がないので「いっそ生活費が死ぬほどかからない東南アジアにでも移り住もうか」と頭の隅で少しだけ考えたことがある。わたしはインターネットと寝床と食料さえ与えればいいというコスパ人間なので、部屋で寝転がってウダウダしていたい、という目的を達成できるなら住むところは日本でもラオスでもマーシャル諸島でもどこでもいいのだ。しかしこれらの国に移り住むとしたら日本語は通じないし、インターネットの設営一つとっても苦労するであろうことは目に見えている。安い生活費というメリットと日本語が通じないというデメリットを天秤にかけると、やはりデメリットの大きさに天秤が傾く。日本語で喋りかければ、日本語が返ってくる。この恩恵の大きさは計り知れないものがある。


  これまで語る機会がなかったのだが、わたしは多少英語がしゃべれる。これもわたしが移住計画を考えた一つの理由でもある。英語を勉強しようと思い始めたきっかけはこれから話したいと思うが、知らない言語は、人を不安にさせる。わたしはこの不安に追い立てられるようにして英語を勉強し、日常会話程度ならできるまでになった。はっきり言ってこんなコスパの悪いことに労力を傾けているのはおばかさん以外の何者でもないし、他にもっとやるべきことがあっただろうと思わなくもない。しかし、繰り返していうが「わからないこと」というのは人をとても不安に駆り立てるのだ。


  わたしには一つ持論があって、それは「幼児向け英会話教室はすべて詐欺」というものである。子供の頃から変なところで真面目で意固地であったから、親が通わせたこれらの英会話教室に至極真面目に通っていたことがある。しかし1年、2年と通ってもこれらの教室で習ったことの一切は、英語を話すために役に立たなかった。これらの英会話教室はすべて「子供の頃から英語スクールに通わせたら、我が子が英語ペラペラになるかも」という親の幻想につけ込んだ詐欺であり、なんとなく楽しそうな雰囲気と無駄にインターナショナルな教師陣と知り合いになれる以外には一切メリットがないものだ。これは通っていた本人が言うのだから間違いない。もしこれを読んでいる誰かがこういうスクールに関わることがあっても、それは金をドブに捨てることと同義なのでやめた方がいいだろう。


  ただ、わたしのお母さんはわたしとは全く正反対のスーパー•アクティブ•ポジティブ•ハッピー人間だったので、よく「大学生の頃に友達と行った格安ヨーロッパ巡りツアーは、すごく楽しかった」という話をしてくれた。彼女は周りに幸せを振りまく天才なので、きっと彼女がハプニングや新しい出会いにてんやわんやしながら横断したヨーロッパ旅行が、すごく楽しいものだっただろうことは簡単に想像がついた。


  だから彼女はある日小学四年生の夏休みを迎えようとしていたわたしを唐突に一か月のアメリカステイに送り出した。今になってみたら、わたしもなんでお母さんのこの思いつきに賛成してしまったのかわからないが、当時のわたしは英語も全く喋れないのに「もしかしたら楽しいのかも…?」という気持ちが半分、「英語喋れないってお母さんに言い出せないよ…」という気持ち半分でこの降って湧いたアメリカ行きに賛同してしまった。わたしは何事もなるようにしかならないと子供の頃から思っていたので、行けば案外どうにかなるかもしれないと思っていたのもあったと思う。


  しかしこの体験はわたしの人生の中でも最低の思い出の一つになった。なにしろ周りの人間が言っていることが何もわからないのである。当時の状況としては突然小学四年生が火星人の群れに放り込まれたのと同じであったので、当時から根暗だったわたしは満足に自分のやりたいことを伝えることもできず、1ヶ月もの間何もわからないままホームシックにかかり、「なんだこの最低な状況は」と思いながらずーっと帰りの飛行機を待ち侘びることになってしまった。


  今でも覚えている思い出があるのだが、ステイの最終日、ようやく帰りの飛行機に乗れる…!という段になって、周りの数少ない日本語が通じる子供達と一緒に雑談をしていたわたしは、コーディネーターの男の人が近づいてきて「&:¥;0¥4#*$?」となにやら話しかけてきたのを「出発待機列で静かにしていなさい」と怒られたのかと思い「エ〜ッ」と返してしまった。その男の人はすぐに慌ただしく他の子のお世話に戻っていったのだがすぐあとに、一緒に話していた女の子が「明日空港までおくる車を僕が運転するね、と言ってくれていたんだよ」と解説してくれたのである。あの時わたしは青くなって「とんでもないすれ違いを起こしてしまった…」と思った。翌日車に乗り合わせたその男の人が、あまりにもしょんぼりした顔をしていて、わたしはどれほど「あれは勘違いだったんだよ…!」と伝えたかったかわからなかった。あの時の胸に突き刺さるような痛みはわたしをその後の英語学習へと駆り立て、そうしてわたしは一応ある程度は英語がわかる人間へと変貌したわけである。
  


  日本に住んで最も良いこととはなんだろうか。それは日本語が通じることである。治安がいい、社会保障がしっかりしている、ご飯が美味しい、など日本のいいところはたくさんあるが、最も大きいメリットは間違いなくこれだと断言できる。何を当たり前のことをと笑われるかもしれないが、言語が通じないというのは思ったよりも人間に動物的ダメージを背負わせるのである。もしあなたが動物的なコミュニケーションに長けたタイプであるなら多少言葉が通じない相手とやり取りするのもそれはそれで楽しい思い出になると思う。しかし根暗な人間が日本語の通じない場所で生活を図ろうとするのは自殺行為である。日本は非常に住み良い場所だし、わたしはこれからもずっと日本に居続けたいと思っている。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。