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何で人がいる場所のほうが執筆ってはかどるんだろうね

  仕事や学校に通ってる間「家に帰ったらうんと創作活動をしてやるぞ!」といつも思う。けれどいざ家に帰って机に向かってみると、どうも創作ははかどらず心ばかりが焦ってしまう。そうして大したこともできずに布団に入り、また次の日学校や職場で「今日こそは」と心に決める。そんなことをこれまで何回も繰り返してきた。


  なぜ人間は、人の気配がある方が活動が捗るのだろうか。家で1人うだうだ過ごしている時よりも、カフェや電車の中のような場所の方が確実にはかどっている。わたしはいつも街に出ると、知らない人たちが放つ雑多で意味もない数々の言葉がふわふわと浮かんでいる様子を想像する。これらの言葉たちは私の無意識というフィルターを風のように通り抜け、わたし自身も知らないうちに考えの中に染み込んでいく。そうやってフィルターを通過して蓄積された言葉たちはやがて私の中で徐々に消化されていく。最後にわたしは消化された排泄物を観察して作品という形に仕上げるのだ。


  だからこれらの雑多な言葉たちという燃料がない状態では、わたしという車はガス欠になってしまってうんともすんとも言わなくなってしまう。こういうとき私は「人間は社会的生物である」という言葉を身に沁みて感じるのである。それならラジオや音楽をかければいいではないかという意見もあるだろう。確かにこれらは創作のお供に一定の効果を発揮するのだが、これらにはひとつ欠点があって、わたしの創作の内容が音楽やラジオの内容に引っ張られてしまうのである。能動的にその場に参加しないと、往々にしてラジオや音楽の内容をそのままなぞったようなものを作ってしまいがちになってしまう。


  カフェ、図書館、公園など見ず知らずの人がたくさんいる場所の方が作業ははかどる。もし都会に住んでいるとしたらこういうスペースは何個か見つけておいて損はない。こう思うと人間というのはブラックボックスのようなもので、一から何かを作り上げるというよりかは外部から入ってきたものを咀嚼して変換する不思議な箱のようなもの、と考えた方がいいのかもしれない。何を入れるかによって出てくるものもわからない、と考えると何だか少しワクワクするものがある。

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