いろんな人のnoteを読んで面白いと思った。この気持ちの根っこを辿ってみると乱暴な気持ちを見つけた

  全くもって意味がわからないのだが、わたしが自分の心に聞いてみた結果そういうことになった。これは決してわたしがnoteの作者さんが嫌いとか、内容が面白くないとか、逆に相手の文才に嫉妬しているとかではない。そもそも自分で、この人の文章面白いなあ、好みだなあと思ってフォローした人の文章にケチをつけるはずがない。自分でも訳がわからないのだ。けれど冷静になって立ち止まり、深呼吸して自分に問うてみた。どうおもった、と。すると悪口雑言が返ってきた。


  わたしはしばらく自分の中の全くおかしな感情に向き合ってみたけれど、自分1人では何もわからないのでとりあえずスプラトゥーンを起動した。わたしは学生の頃に数学をやっていて行き詰まるととりあえず何か作業ゲーに取り組むことにしていた。これは逃避と言われればそうなのだが、頭を空っぽにしてできる作業ゲーやアクションゲーというのは、やっているうちに何となく自分の思考が整理されていくということを知っていたからでもあった。


  そうしてスプラトゥーンをしていくうちに自分はなぜそう思うのかということが徐々にわかってきた。つまりわたしが人のnoteを面白いと思っているのはある種、ゲームをしている時に感じる楽しさと似たものを感じているからなのだ。ゲームをしている時のホモ・サピエンスは猛獣である。LoL(リーグオブレジェンド)などのネットゲームではチャット欄に罵詈雑言が並びその民度の悪さは折り紙つきである。これは同じ空のもと、自分とは違う次元でいろんな人が同時に様々なことをしている、それを興味を持って捕捉し、自分の心の中でムシャムシャと解釈する時に起こる心の機構らしかった。(少なくともわたしがゲームをしていて罵詈雑言を吐くときはそうである。)何というかわたしは兄弟が仲良くゲームをしている時のようにお互いに罵り合いながら、noteの作者さんが見たものや感じたことを一緒に仲良く経験している気持ちになっているらしかった。


  そのことに納得したわたしは自分の中にいる悪態をつく小さな獣をよしよしと撫でてみた。よかったね、今日もいろんな面白い人に出会ったんだ。するとその獣は小さく満足そうに、ふんす、と鼻息をついてその場にぺたんと座り込んだ。その獣は、次はもっと面白いやつを見つけてやる、と傲慢に言い放ってまた小さな手でnoteのページを繰る作業に戻って行った。

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