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深夜のラーメンには人智を超えた魔力がある

  限界大学生だった頃の私は、いつも遅くまで夜更かししては遊び呆けていた。しょうもないことで笑い、くだらない遊びをして毎日を過ごしていた。夜も更けるなか人の寝静まった時間になるとおしゃべりしながらだんだん腹が減ってくる。飯テロという言葉はインターネットの発達によって開発された概念だが、これはうまいこと言ったものであると思う。深夜に差し掛かると私がいつもお腹が空いたと言い出すものだから、友達はついぞ呆れて「備蓄でもしておけばいいのに」と言う。これも一理あるのだが、わたしは誰も居ない深夜の街に彷徨い出してコンビニに買い出しに行くのが好きなのだ。だから億劫な体に鞭打って無人の道路を疾駆し、コンビニでチョコレートやホットスナックなど欲望のままに買い漁る。この時わたしはまさに一匹の獣なのである。



  そんな私にとって深夜のラーメンというのは垂涎の一品だ。ここでいうところのラーメンとはカップ麺ではなく、店や屋台で提供される代物を指している。カップラーメン製造に関わる人のために断っておくと、カップ麺は安くて早くてうまい。しかしここでは、深夜に背徳感を感じながら街の空気と共に飲み干すスープについて言及していきたいと思うので、悪しからず。



  最近のラーメンは大体どこも千円前後の値段で提供されている。これはなかなかの出費で、そうそう気軽に口にできるものではない。もし私が3食ラーメン生活を続ければそれだけで月の食費は9万円になる試算だ。これを贅沢と言わずしてなんと言おう。すする〜といって毎日ラーメンを口にできるのは選ばれた一部のYouTuberだけなのである。月に一度食べれるかどうかというラーメンを深夜テンションで食べてしまうとき、わたしはこの世の罪と呼ばれる物の一つを犯している。これは子供の頃に家族でいった外食の感じに似ている。ちょっとした贅沢をして特別なことをしているあの感覚。もし宝くじが当たった人に私がアドバイスできる機会があるとしたら、幸せを感じるためにやるべきことは深夜にラーメン屋を訪れることだと教えてあげよう。



  この深夜の逃避行的ラーメンは、1人、或いは1人に近い少人数で行うとちょうど良い。夜にながれる独特のすえた空気を感じながら修行僧のように1人で食べるラーメンは趣があるし、身内で連れ立って行くラーメンは、幼稚園児の遠足のように純粋なものである。ラーメン屋ののれんをくぐりズルズルとラーメンをすする背中に貴賎はなく、全てがドロドロに煮込まれた空気の中で人はみな一つの塊となる。そうして翌日胃もたれした体を抱えてヨロヨロと日々の労働に駆り出されるまでが1セットなのである。

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生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。