見出し画像

頼むから就活生にビジョン、やりがい、価値の創造、とか言わないでくれ

  私は就活に失敗した人間だ。正確には挑んですらいないかもしれない。なぜなら身内の間でしかイキれない私にとって就職面接とは地獄へのジェットコースターだからである。卑怯でそのうえ緊張しいな私は初対面の人間というものがひどく苦手なのだ。(特に相手に決定権がある状況など最悪である。)爽やかな笑顔を湛える他の就活生を横目に、まわらない頭、だんだん言い淀んでいく言葉、吹き出る汗、しまいにはしどろもどろになっていく自分にパニックになってしまう。そもそも30分やそこら会っただけの人間に私の何がわかるというのか。心の中でそう悪態をつきながら受ける就活面接が私は大嫌いだった。


   大学に友達も仲間もいない私は就活を始めるにあたって、主にネットに転がっている言説と大学の発行する就職支援誌を情報源にしていた。ネットの就活支援サイトでは「とりあえず志望企業の応募フォームと会社案内はきちんと読んでおきましょう。」と書いてあった。まあ、もっともだ。そこでわたしは志望する企業のホームページなどを眺めてエントリーシートを書く材料にした。すると多くの企業は「我々はビジョンを〜」「明日への挑戦…」「一緒に価値を創造しましょう!」などと書いている。これは無知な私を大いに怖がらせた。これらの言葉はまるで「アットホームな職場です!」といういまやブラックな職場のテンプレートとして知られるキャッチコピーの類似品のようではないか。多くの企業が具体的な業務内容や会社の仕事ではなく、曖昧模糊とした言葉をこれから求人に応募しようという人間に発信している。これに私は、企業が労働者を搾取する構造を綺麗な言葉で覆い隠すグロテスクさを感じて仕方なかったのだった。


  もちろんこれは、私のような新しいものを怖がる頭の固い人間の偏見である。時代の波がさかまく現代にあって10年もすれば企業の命運などどうなっているかわからない。だから彼らがそういう言葉を使うのは、本当に挑戦を続けていかなければならないと考えているからなのだと理解はしている。それに企業案内や就職支援サイトというのは不特定多数が目にすることができるものである。そこに具体的な業務内容を書き込むのは、ラーメン屋が秘伝のタレの材料を注文したレシートを、店の誰でも目にすることのできるコルクボードに貼り付けておくことと同義なのであろう。


  しかし私はなにぶん就活について相談できる人が誰もいなかったから、これらの言葉には大変怯えさせられた。孤立無援の人間というのはえてして思考が極端になりがちである。本当は私と同じように普通の人間であるはずの面接官にビビり散らかし、いくつものお祈りメールを収集する収集マシーンと化した。そのうち私の心はポッキリ折れて、どうにでもなれという気分でバイトに応募するようになった。インターネットの友人には定職に就かないことをさんざんからかわれたが、あの地獄のような就活を続けるよりかは幾分マシである。親には散々迷惑をかけた上にまだ金銭的な支援をしてもらっている。世が世なら死罪である。


  へそ曲がりでひとりぼっちの人間にとって就活という鬼門はあまりにも厳しい。周囲の状況も入ってこず、何をやればいいのかもよくわからない。相当頭が良い努力家でなければ、大学に就職について話し合える人間の1人や2人作っておくに越したことはない。そしてそれができなければニートやフリーターという社会的死が待っているのである。これでは原始時代に狩りに参加できずに分け前にありつけない人間とそう変わりはない。人の世はいつも厳しいのである。
  
          * * *

生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。