見出し画像

家庭教師の先生との思い出

  わたしは小学生くらいまで京大の近くに住んでいたので、時たま京大の文化祭に行って遊んだりしていた。京大生というのはみな少し不思議な雰囲気を漂わせ、文化的な雰囲気とメガネを身に纏っている。わたしのお母さんはオタク的な要素を持つ人が大好きなタイプなので、ちょくちょく人づてに京大生と知り合っては、気まぐれに私たち兄弟の家庭教師を頼んだ。


  わたし自身は、勉強というものは「教わる→やってみる、解いてみる→復習する」の「やってみる、解いてみる→復習する」の部分が8割を占めると思っているから、ちょっと家庭教師を頼んだくらいでは成績なんて上がらないと知っている。しかしそんな天邪鬼なことをあえて言うのもなんなので、親が教えてもらいなさいと言えばちゃんと家庭教師を受けに行った。教えるのが上手い人の存在というのは確かに大切なもので、勉強のモチベーションにも関わってくる。むしろ「この先生に気に入られたい」という気持ちが勉強の原動力になる、という点の方が大事なのではないかとわたしは思っている。


  それで、お母さんが何度目かの気まぐれな家庭教師を頼んだのは確かわたしが高校生くらいの頃だっただろうか。その頃われわれ家族は京都府の中でもさらに田舎に引っ越していて、京大生の家庭教師の先生に会うにはわざわざ電車で1時間くらい揺られていく必要があった。そのときお母さんが頼んでいた先生は、物腰柔らかく、教え方がうまく、挙動不審なわたしに対しても優しく接してくれる素晴らしい人であった。わたしは「こんな知っている人もいないような場所に借りたマンションで、2人っきりで勉強を教えるなんて、わたしが変な気を起こして先生を襲ったらどうするつもりなのだろうか…?」と毎回ドキドキしながら勉強を教わっていた。


  先生があまりにもかっこいいので、わたしは気を鎮めるために2時間の家庭教師のうち1時間が経つと必ずトイレに立って、深呼吸をしなければならなかった。しかし、こんなことを恒例にしていたにもかかわらず、先生は毎回不審そうな顔ひとつせずに優しくわたしを教え導き懇切丁寧に指導してくれた。言ってしまえばクソガキであるわたしに対してこんなにも良くしてくれるなんて、この人は一体どういうつもりなんだろうかと私はその都度あたまを混乱させ、謎めいた先生のニコニコ笑顔にドギマギさせられていた。わたしは高校生になっても誰かと付き合うつもりなど一切ない人生を送っていたのだが、あの時ばかりは危うく「先生って誰か付き合ってる人いるんですか?」と尋ねそうになってしまった。


  そんな家庭教師が一体どんなきっかけで止めになったのか今ではもう記憶にないのだが、この先生には数ヶ月程度教えてもらってお別れになった。多分、毎回毎回1時間も電車にがたこと揺られていくのが大変すぎたのだと思う。しかしこの数ヶ月の家庭教師の経験は確実に今でもわたしの脳内の片隅にあって、思い出すたびにドギマギしてしまう。人に何かを教えたいという熱意を持っている人は、わたしには到底理解できないような崇高なところがある。この先生に今あったとしてもやっぱりわたしはあの頃と同じようにドギマギとして、顔を真っ赤にしながら「どどどどうしよう…」と内心つぶやいてしまうだろう。

* * *

生活費の足しにさせていただきます。 サポートしていただいたご恩は忘れませんので、そのうちあなたのお家をトントンとし、着物を織らせていただけませんでしょうかという者がいればそれは私です。