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不謹慎なことを言うが、正直コロナには助けられた

  コロナというものが認識され出した2019年の冬。確か弟が「コロナっていうやつがはやってる…?ぽくてディズニーランドがガラガラらしいねんな。今ならディズニー空いてるし、行ってもいいかなぁ?」とゾンピパニックものなら初手で死ぬモブみたいなことを言って、家族にたしなめられていた頃。私は引きこもり大学生の2年目を迎えようとしていた気がする。

  2020年の年明けにはコロナの罹患者数はどんどん増え、皆がその問題に気づき始めていた。緊急事態宣言に伴うあれやこれやで、私の通っていたマンモス大学は急遽ほぼ全ての授業をリモートにし、わたしは「もしかしたらこれ…チャンスなんちゃうん??」と期待に胸を膨らませていた。私は人と会うのが嫌で嫌でたまらず、大学にもとんと顔を出さない自堕落大学生だったから、成績は驚くほどの低さを叩き出し、一年生にして留年するという逸材だったのである。

  思った通り大学では、すべての授業を動画にしてアップロードし、テストも対面ではなくてレポート形式にすると言う授業が幅を効かせるようになった。これは私にとっては追い風以外の何者でもなかった。私は知らない人たちがいるところに行くと震えて吠えるチワワみたいになって、とても授業を受けるどころの話ではないのである。このリモート授業は他の生徒たちには大不評で「〇〇放送大学」とか、「高い授業料返せ」とか言われていた。憧れのキャンパスライフを奪われた大学生たちのうめき声は地を這う怨嗟のように大学の共通ラインを埋め尽くし、平安の世であればこの負の気は呪いとなって大学の総長たちの命をバタバタと奪ったことだろう。私もバカ高い学費を払ってこの程度のサービスしか受けられないなんてネトフリでも登録してた方がマシじゃんとは思ったが、一方でお気楽な大学生という身分を誰とも会わずに享受できるのは実のところとても幸せだった。

  コロナで青春の日々を奪われた学生たちはかわいそうだ。しかし一方で、私のように全員が青春の機会を平等に奪われたことを喜んでいる人間もいるのである。「コロナだったので…」と一言いえばサークルもバイトもやらずに家でダラダラ寝転んでいだことになんの文句も言われないし、アウトドアな人間こそが至高みたいなこの世の風潮に迎合しなくてもいい。世の中にはコロナで散々辛苦を舐めさせられた人たちがいるわけだからこんなこと大声ではいえないが、私にとっては間違いなく「ビバ、コロナ」だったのである。


  
  あの頃のTwitterには「リモートワーク万歳!」「いらん飲み会がゼロになった」みたいな投稿も溢れていたはずだ。彼らはその後どうなったのか。今となっては多くの会社はリモートワークをやめ、毎日ギュウギュウの通勤電車に詰め込まれて会社に向かう人たちの姿も以前のように戻ってきた。


  またコロナみたいな疫病が流行ったら嬉しいか?と言われれば、答えはノーである。でもダメ大学生だった私は確実にコロナに助けられ、自分の生活を充実したものにすることができた。社会の末端に生きる人間にとってはコロナはもっけの幸い、棚からぼたもちだった。きっとあの頃そう思っていたのは私だけではないはずなのだ。
  
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