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カレーを腐らせた

  懺悔しよう。わたしは大学2年だか3年の夏に鍋いっぱいのカレーを腐らせた。


  その日わたしはまんじりともせずに1人部屋ですごしていた。その日なぜ、わざわざ鍋や包丁を取り出してまで料理しようかと思ったかと言えば、真夏の暑さに何かやらなければいけないと心が急かされていたかもしれない。夕方から夜にかけてのあの少し不安になるような空気に触発されて、わたしは自分で鍋いっぱいのカレーを作ることを決意したのだった。


  わたしは夜中にお腹が空くと、次の日に食べる食事の用意をして気持ちを紛らわせる癖がある。(深夜に食べると太るからその場では食べない。)それによって心地よい疲労と共に眠り、次の日美味しくご飯を食べることもできる。一石二鳥である。いつものようにしょうもないことを誰かと喋っていたかは定かではないが、わたしは自分が眠れないことに気がつき、さらには空腹までもが襲いきていることに気づいていた。わたしは眠気がやってこないならば、もう諦めて明日のご飯の用意でもしようと思い立った。料理をするのは体力を使うし、作業をしていれば気も紛れるだろう。こういう時夜更かしして徹夜からの昼夜逆転になっても誰にも怒られないところが大学生の最高なところである。(なぜカレーを作ることにしたかといえば、単純にわたしの脳内にメニューのレパートリーがカレーくらいだったからだ。)


  狭い台所にまな板と包丁を取りだし玉ねぎを刻む。この修行のような行為はわたしの精神をなんとなく安定させることに一役買った。料理という行為は一種の遊びであると同時に精神修練のような側面がある。わたしは時たま手間暇をかけて自分で料理を作るのがそこまで嫌いではなかった。真夏のムシムシとした台所で汗をかきながら具材をひたすら炒めていく。玉ねぎもじゃがいもも切って分けておくのは面倒だからまるまる一個を全て鍋の中に入れてしまう。鍋の中にはみるみるうちに1日では食べ切れないほどの量の具材が積もっていった。


  全ての具材をなんとか刻み終わって鍋の中に入れ、一息ついた。眠気は絶頂、外はすでに薄明るくなっている。なんとか全ての行程を終わらせなければいけないと思っていたわたしは、限界を迎える体を叱咤しなんとか鍋の中に水をしこたま入れた。このままごくごく弱火で放置すれば目覚めた時にはカレーができているのだ。眠気と共に倒れ込むように布団の中へ這い入ると、わたしは泥のように眠った。


  そして次に目覚めたのはもう太陽が中天を過ぎた昼頃だった。どれどれカレーの塩梅はいかに。わたしは扉を開けて、冷えた寝室の空気とキッチンに充満する蒸し蒸しした空気が対流するのを感じながら鍋の前に立った。鍋の蓋を開けてみるとそこには眠る前の私が予想だにしていなかったものがあった。


  そう、カレーの表面一杯に緑色のカビが生えているのだ。このとき叫ばなかったわたしはえらかった。なんということだろうか、真夏に半日放置すると加熱によって殺菌されたばかりの料理であっても、鍋いっぱいのカビになってしまうのだ。この時のわたしはちいかわのようにただ「わあっ、わあっ…」としか口に出すことができない哀れな獣と化していた。あれだけ苦労して刻んだ具材、大好きな豚肉のカレーはわたしが愚かだったばかりに全て細菌に乗っ取られてしまったのだ。こんなに悲しいことがあるだろうか。神がいるならばわたしはこの瞬間、その膝元に縋り付いて許しを乞わなければいけないだろう。ただ寝室とキッチンの扉を開けてクーラーをつけていればこの悲劇は防げたのに…。わたしはあまりの悲しみに目の前が真っ暗になるのを感じた。大鍋いっぱいのカレーに生えた緑色のカビを抱えて、わたしは一体どうすれば良いのだろうか。


  その後のわたしはまるで殺人を犯した後の遺体処理のように重い気持ちを抱えながら、なんとかそのカレーをゴミ袋に詰めた。今頃幸せな気持ちと一緒に口いっぱいに頬張っていたであろうカレー、その亡骸をわたしは泣く泣く処理しなければいけないのだった。一体このやるせない気持ちをどうすればいいのだろうか、わたしには全くなんの方策も思い付かずただもう二度寝を決め込むしかないという考えに至った。よろよろと布団に倒れ込むと、もうどうにでもなれという気持ちに任せて目をつむる。目を覚ましたときこれがすべて嘘だったことにはならないだろうか。一縷の望みにかけてわたしはまたもや眠りについた。


  けれども現実は残酷である。起きても腐ったカレーは腐ったままだった。この事件はわたしに深いショックとともに幾つかの教訓を残した。真夏に食べ物を放置するのは犯罪であること、気持ちが浮ついている時に何かをすると失敗する確率が上がること、などである。この苦い経験をわたしは2度と繰り返したくはない。一つ賢くなるため、というにはあまりにも支払った代償が大きすぎた。あれから夏がいくつか巡ったけれど、この時期になるとわたしは今でもあの事件のことを思い出すのだ。

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