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体験したことしか書けない問題

  大学のレポートでよく、全く知らない18世紀の小説家についてだとか、日本政府の経済施策だとかについて書かされた。全く予備知識のない状態から半年間の13コマの講義でこれらについて何千字か書く。私は毎回「こんなん誰ができるねん…」と思いながら、自分の真っ白な脳内から「何かないか、何かないか」と焦ったドラえもんのように知識を捻り出し、どうにかしてそれをレポートの形に仕上げることに苦心していた。


  それでもあまりにも背景知識がない場合は、図書館に行って関連書籍を何冊か借りる。それらを読み終えるのにはそれなりに時間を使うし、大体何冊かは読むこともできないまま延滞料を取られるハメになるのだ。大学生のレポートなんてコピー&ペーストの羅列だろとよく揶揄されるが、わたしはそもそもコピペに適した資料を探し出すのにも毎回苦労していた。それらしい文献をどこからか探し出してきて文脈と論理に沿う形に切り取る。この作業はうまくいけば文字数が稼げるが、良い素材がなければそれなりに時間がかかるものなのだ。


  ところが、私の通う大学はマンモス大学であった。そのなかにはおつむのいい同級生が山ほどおり、大体どんな授業でも驚くべきクオリティでレポートを仕上げてくる猛者がいるのである。それはもはや芸術と言っていい域に達しており、私はそれらのレポートを見るたびに毎回自分の惨々たるレポートを思いかえしてみじめな気分にさせられた。彼らがたまたまその話題に詳しかったというならいい。しかし全く背景知識のない問題をああも深く自分の中に落とし込み、それについて論理立った意見を語れているとしたら、彼らは一体何者なのだろうか…。


  私のこの日記も主に私が経験したこと、思ったことをメインに書かれている。私は大学でのレポートにまつわる思い出が蘇る度に、この「経験したことしか書けない問題」について考えるのだ。25年も生きていれば山あり、谷あり、いろんなことがあったから書くことのストックが尽きることはないだろう。けれども私のような書きやすい日常系の話題ではなくて、自分の空想や難しい話題について読者を納得させるような文を書いている人を見ると、思わずため息がこぼれる。経験したことのない話を人に話せるレベルの文章に仕上げられる人たちと私の間には、次元の壁という物を感じざるを得ないのである。


  noteを見渡せば、大学の同級生たちのような頭のいい人たちがたくさんいる。彼らには彼らの持ち味があり、私には私の持ち味がある。分かってはいるのだがときどきどうしようもない嫉妬に駆られることは否めないのである。

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