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創作においても1+1=2なのやばくない?

  人間には無限のイマジナリティがある。創作の中では空を飛んだり、違う時代に生きる歴史上の偉人を会話させたり、地球を爆発させたり、動物と喋ったり、とにかく時空も、時間もあらゆるものを無限大に扱うことができる。でも多分そんな世界の中でも1+1=2は成り立っているのである。これは普通に考えてやばい。(死ぬほど頭のいい数学者であれば1+1=3の時空を扱うこともできるのかもしれない。けれどその時空では多分人間は快適には生きていけない。よってここでは1+1=3の時空の物語は却下する。)


  創作の中なんだから1+1=2なんてことはないんだよ!という主張はわかる。想像とは現実世界から解き放たれたものであるべきだ。けれど例えば私がここでなろう小説を書こうと思ったとする。すると中世ヨーロッパっぽい世界観、文化を自分の中で創作しないといけないことになる。もし私がここで「この世界では独自の学問体系が成り立っているようだ」とでも書けば、もう大変である。読者を納得させるような一貫した世界観を築くためには、その背後にある論理体系を破綻なく構築しなければいけないことになる。


  これは「作者以上に頭のいいキャラクターは描けない問題」にも通じるところがあると思う。例えば私が小説を書いて、その中に「至高の頭脳を持った名探偵」というキャラクターを登場させたとする。けれどそいつは私の能力以上の賢さは絶対に発揮できないし、私が知らないことは言えないのである。なんてこった。めちゃくちゃ頭いい奴のフリをするには実際に頭が良くないといけない。もし小説の中に名探偵を登場させたければ、わたしが実際に脳内でその名探偵のでくわす事件を解かなければいけないのである。


  人間の想像力は無限大だ。けれどやっぱり何かを創造するときは「1+1=2問題」には少なからず遭遇するような気がする。なんだかこの問題について書き殴っている今ですら、だんだん何が言いたかったかわからなくなってきた。産みの苦しみとはおそらくこのようなごちゃごちゃとしたことを、頭の中で考えなきゃいけないせいなのかもなあと最近思うのだ。

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