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noteの記事と、その人の喋り方って一緒なのかなあ


  わたしはnoteを話し言葉で書かない。だから自分で読み返してみても、ぶっきらぼうでとっつきにくい日記だなあと思う。もしこんな口調で話しかけてくる奴がいたら「気持ち悪いなあ…」と思うだろうし、あまり友達になりたいとは思わないだろう。

  わたしがなぜこのようなスタイルでnoteを書いているかには理由がある。これまで人間と喋るよりも本を読んでいた時間のほうが長かったものだから、わたしの中には「書き言葉で話す人格」みたいなものがあるのだ。noteを書く時はこの人格が勝手に、日常で人と話す時とは違う口調で筆を走らせ記事を作っていく。だからもし知り合いが私の日記を読んだとしたら「普段の喋り方と違うね」と言うと思う、たぶん。

  わかりやすい例として、わたしが勝手に親近感を抱いているクリエイターのdaisukeさんと言う人を挙げて考えてみたいと思う。彼はわたしと同じニートであり、それが気になって記事を読み進めていたのだが、そのうちにstand.fmという音声配信アプリをやっていることを知った。その配信を聴くとdaisukeさんの喋り方は記事のそのまんまで、「なるほど、こう言う感じで記事を書いているのね」とひどく納得したのである。その配信を聞いたあとに未読の記事を読むと「こんな感じで喋ってるのかなあ」と想像することができ、文章そのものまで何だかより身近に感じられた。

  多分普段の話し方とは違う口調でnoteをやっている人の方が稀なのだと思う。普通はみんな自分の話しやすい口調、友達に話しかける様な文体でnoteをやるのだ。だからこそ、その人の素の人柄がよりわかりやすく、親近感をもって交流ができるのだと思う。わたしは何度か自分のnoteを読み返してみて「なんてぶっきらぼうで読み辛いんだろう」と改善を試みたことがある。けれどまとまった内容を考える時は長年の積み重ねの結果染み付いた、この文語調の語り口が結局一番楽で、書きやすいのだ。だからもう開き直って、これがわたしの個性なのだと突き進むことにした。

  もし私が”仲がいい”と勝手に思っているnoterさん達が集まって仮面舞踏会を開いたら、私はその話し方だけで誰が誰か当てられるのだろうか…?もし私が”仲がいい”と思っているnoterさんの中身が全員chat-gptなどで作り出された幻影だとしたら、どうしようか…?そういうことをうだうだ考えていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。私自身ももしかしたら普段、自分が思っているよりもこの日記みたいな口調で喋っているのかもしれないし、機会があれば知人に確認してみたいと思う今日この頃だ。

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