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2019/06/18 yutori (A面:Shinki Kawano)

彼からの連絡はいつも突然だ。
「ゆとりのロゴリニューアルお願いできない?」

そう言われ、「またあの日々が来るのか。」という少し複雑な気持ちと、
同時にそれ以上の素直に嬉しい気持ちとで、すぐに「それはやる。」と返事をした。

そこから約4ヶ月間ほど、一緒にyutoriの新しいカタチを探してきた。

yutoriと過ごす日々は、去年下北沢にできた「pool」というコミュニティスペースをデザインした時以来だ。(施工期間2週間ほどのありえないスケジュールでつくったゆとりのかけらも無いプロジェクトだった。)
当時の記事:https://careerhack.en-japan.com/report/detail/1057

今回、私はyutoriのリブランディング も兼ねた新しいロゴづくり行うにあたって、yutoriのこれまでと今、そして何より”これから”を出来るだけ感じようと、片石の言葉と想いを集める作業を始めた。(yutoriの事業におけるデザインも同時にしていたことも、それを理解するにはとてもよかった。)

彼との話し合いは、毎回発表会の前のような気持ちだった。
そして彼と話した内容を持ち帰り、そこでまたyutoriの魅力を洗い出す、
どう伝えようか、カタチにしようかを考える。

そこから考えた事をまたカタチにし、少し成長したであろう姿を見せては、
次の要素が出てきて、またカタチにしていく。その繰り返しの日々は、まるで一緒に我が子を少しずつ育てるような感覚だった。

そんな中、話し合いを重ねていくうちに、一つの疑問が自分の中に生まれた。

「今回、ロゴは俺がつくるべきなのだろうか?」

それは、デザインのアイデアがなかった訳でも、自信が無かった訳でもなく、yutoriという”生き物”に対して純粋に、私 河野 心希 1人の力でカタチにする事に疑問を感じたのだ。
これからのシンボルにはもっとyutoriにしかない“何か”が必要だった。

そこから悶々と解決策を考える日々が続く。
yutoriの特徴ってなんだろう。他には無い良いところってなんだろう。
そして同時に今のyutoriに足りないものはなんだろう。
脆いところはどこだろう。そう考えた。

創業から約1年というタイミングで振り返って見ると(私は社員でもないのだが)、どうして今のyutoriが出来たのか、上手く言葉に出来ない部分が多い事に気がついた。
小手先のビズネスではなく、片石の根っこにあるウジャウジャとしたや、葛藤。またして、人を信じきる素直さや、許容する力。
さらにはyutoriを囲む人たちの想いが渦巻き、絡み合って少しずつカタチになっていたのだ。

yutoriには目指す世界観、空気感に共感して一緒にユートピアを一緒に作れる仲間がたくさんいる。
色んな人が自分の人生の時間を使って集り、つくる事は当たり前じゃないし、何より色んな人の人生の時間に助けてもらう事でできる可能性、強さをカタチにしたいと思った。
そして「こんなに最強の仲間がいるんだから出来ない事ないよ!」そんな想いを込めたいと思った。

そこから、そのストーリーをロゴにいれる事は出来ないか。
そう考え「ロゴを私1人ではつくらない。」という私自身の意思決定と併せて、片石に伝えた。
ロゴの方向性は一瞬で決まった。

それは、yutoriというユートピアづくりに賛同してくれた人達に、その人の人柄や性格が現れる“手書きのサイン”をもらい、それを集めてロゴにするというシンプルなものだ。
手法としては特に奇をてらったものではないが、yutoriの新章が始まるタイミングにはこれしかない。そう思うアプローチだった。

想像通り、集まった“yutori”というたった5文字には様々な力が宿っていた。
そして集まった文字をひとつにすると、その言葉の響きとは真逆の力強さがあり、これまでのyutoriが持っていた空気感や巻き込む力の正体はこれだったのかと確信し、yutoriのこれからのお守りのようなものが出来た。


そして今回、ロゴと併せてコーポレートサイトもリニューアルした。

今回yutoriのコーポレートサイトをつくるにあたって表現したい世界があった。それはyutoriがこれからやっていくであろう
「時代にとらわれず、その中を浮遊しながら、カタチになっていないものをカタチにしていく。」
これを表現出来たら最高だと思った。
コーポレートサイトというツールでyutoriの世界観が全面に出ている作品を作りたいと思った。

そう思っているタイミングで片石から「一回会って話してみてほしい人がいる。」そう言われWebデザイナーである 若月 佑樹 という男を紹介してもらった。
早速彼と会い、想像している事を伝えた。
すると、「いいですね!!!やりましょう。」そう言ってくれた。
彼は私の“タイムマシン的なサイトを作りたい。”という想像の話をカタチにできる技術をもって具体的に提案をしてくれた。
「これでいける。」そう思った。
カタチにできる最高のパートナーも見つかり、そこからyutoriのサイトづくりが始まった。

今回のサイトは“yutoriそのもの”でないとダメだった。
yutoriという生き物のがサイトに宿ったらどんなものになるだろう。
それを体現する必要があった。

私が作りたい世界を考え、ピースをつくる。そこから彼がそれをサイトという箱に丁寧にはめていく。

サイトの裏側の知識が何も無い私は常に彼に無理難題を言っていた。
彼はこれまでの常識を超えたサイトづくりの為に、柔軟な発想、かつ確かな技術力で寝る間を惜しんでサポートをしてくれた。
彼の最高のパフォーマンスがあったから私は作りたい世界に注力出来た。
とても感謝している。ありがとう。

そして出来上がったサイト。
https://yutori.tokyo
yutoriが出来た。
これは他のコーポレートサイトに対するアンチテーゼでもなんでもなく、yutoriを表現した結果こうなっただけだ。

古着女子から始まったyutoriはこれからもっと何かにとらわれる事なく、生きていくだろう。
中心にはこれからも変わる事のないyutoriの仲間達
その周りをゆるく浮遊するyutoriのかけら達。
次にどんなものがカタチになり浮遊していくのかが楽しみだ。

今回の新しいロゴやサイトはyutoriが出した一つのクリエイティブでしかないが、これがyutoriのシンボルになり、これからもっと色んな人が集まって、集落から村。そして国になった時、みんなの何かの支えになる事が出来たら嬉しい。

“yutoriは思っているより脆いけど強い。”
まだこれからユートピアには必要なものがたくさんありそうだ。
またいつの日かこのユートピアづくりに参加できるよう少し旅に出るとする。

さて、これからどんな人が集まり国になっていくのか。
楽しみだ。


最後に片石に一言。
声をかけてくれて、そして信じてくれてありがとう。そう伝えたい。

Art Director&Graphic designer    Shinki Kawano

「洋服が好き」という気持ちで、好きな人と好きなことをやっています。