小説【 冷夏 】

喫茶店のマスター佐山慎一の元には様々な話題が持ち込まれる。常連客の恋愛相談、UFOの目撃談、元恋人の離婚話…慎一自身あらぬ噂に巻き込まれ、そんななか一人娘が帰省する。リオ五輪、高校野球、SMAP解散報道…多くの出来事があった2016年夏の、田舎町で起こった小さな騒動。


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8月9日火曜日。午後4時。

喫茶キタムラの店内にあるテレビではイチロー選手の大リーグ3千安打達成のニュースが流れています。この店のテレビはいつもつけっぱなしでした。BGM代わり。客同士の会話の邪魔にならないよう音量は低く設定されています。しかしテレビを見たくて来る客もいました。そういう客ばかりの時は特別にボリュームを上げます。でも普段は上げません。常連客はわかっていて音量アップを要求せずにカウンター席の一番奥、テレビの前に座り耳を澄まします。

10分前に来たヒロシもその常連客のひとりでした。しかし今日は出入口そば、レジ前の席にいます。なのでテレビは誰も見ていません。他に客はいませんでした。学生のカップルがヒロシと入れ替わりに帰って今は彼ひとり。

ヒロシは宅配便の契約社員です。36歳。今も仕事中で配達時の制服姿です。帽子だけ取った格好。休憩で立ち寄りいつものブルーマウンテンを頼みました。しかしそれが目の前に来て2分。まだ口をつけません。深刻な顔で目を伏せています。「マスターに聞きたいことあるんだ」とヒロシ。

店のマスター佐山慎一はカウンター内の奥にいました。食器洗浄機から専用ラックを出します。洗い終えたカップやグラスが入っています。「なに?」

ヒロシは答えません。目が泳ぎます。

慎一はラックを持ってヒロシの席に近づきます。「歳は32だけど」

「そんなン聞いてねぇよ」とヒロシ。慎一とは長いつき合いなのでずいぶん年下ですがタメ口です。「てかウソつくなよ」と急に気づいてツッコみます。慎一の歳は53。

その時おもてで雷鳴が響きました。セミの合唱がやみます。空には暗い雲がたれ込め怪しい天気。

ヒロシが帰っていった20分後、激しい雨が降りだしました。大粒で強い風も吹き、喫茶キタムラの窓を叩いて流れます。

閉店時間の9時になってもやみませんでした。そんな天気のせいか夜はほとんど客が来ませんでした。

慎一はおもての看板の電気を消します。ドアのガラスの内側にかけた「OPEN」の札もはずし「CLOSE」に替えます。すぐ下には「犬がいます」のステッカーもありました。犬は看板犬のゴールデンレトリバー、ロン。メスの7歳。雷が苦手でリードをはずすと店の隅で丸くなります。寝る時はいつもそこが定位置です。

慎一が閉店作業を始めると、

「お疲れさま」

いつもの声が聞こえました。慎一の妻、睦美の声。

「ああ」と慎一は答えます。その声は慎一にしか聞こえません。彼の空想の声。だからロンはノーリアクション。

慎一にとっては思い出の声でもあります。睦美が体調を崩し慎一ひとりで店をやるようになってから、睦美は9時を回るといつも店を覗き「お疲れさま」と笑顔で言いました。

その顔も声も慎一はこの5年忘れたことがありません。そして空想の中の彼女はねぎらいのあと今日一日の話を聞いてくれます。「なんだったのヒロシ君」今でも慎一のすぐそばに、背後のカウンター席にでも座っているようです。

「料理教室の有美さんいるじゃん、先生」と慎一はガス台を掃除しながら話します。「このまえ見たって言うんだ。ショッピングセンターの駐車場で」

「へぇ」

「男といたって」

森田有美は29歳。市役所そばのカルチャーセンターで料理教室を担当しています。喫茶キタムラの常連何人かがその教室の生徒でした。そして有美自身もたまに喫茶キタムラに来ます。彼女の自宅は隣り町にあります。

その隣り町のはずれ、県道沿いに大型ショッピングセンターがあって、ヒロシはそこで目撃したという話。有美が同年代の男と一緒にいた。乗ってきたらしい車のそばで立ち話をしていた。

「彼氏?」と睦美が質問します。

「じゃないのって言ったんだけど。どう思うか聞くから」

「うん」

でもヒロシは反論しました。「いないって言ったじゃん。花見の時いませんよって」

花見は喫茶キタムラの常連たちが今年4月に企画したイベントです。慎一は強制参加でした。そこに有美も来ました。

「4ヶ月前だろ」と慎一は指で数えたあとヒロシに言いました。

「できたの?」

「知らないよ」とヒロシにも言いましたが、

「俺が知るわけない」睦美に話す時はつい愚痴っぽくなります。

「聞いてくれ?」

「今度店に来た時って」

「ふーん」

「そんなプライベート聞けないし。だいたい面倒」

「でも気になるでしょ?」と睦美はいたずらっぽい口調で聞きます。「あなたも確かめたいでしょ?」睦美ならそう言いそうな気がします。

「別に。どうでもいいよ」

ヒロシには『どうでもいい』とまで言ってません。彼は真剣な顔でした。「それとなく聞いてよ」

「狙ってんの?」と慎一は洗い終えたカップを拭きながら聞きました。とりあえず確認のため。

「野暮なこと聞くなって」とヒロシは目をそらし、

「初耳だからさ」

「花見の時ガッツリしゃべって」

「好きんなった?」

「料理は好きだけど作ってあげる人いないんですぅ」とヒロシは答えの代わりに有美の口真似をしました。

「自分で聞きなよ」

「どうやって」

「そりゃ直接」

「ムリだよそんな」とヒロシは首を振りました。

「メールでも」

「LINEしか知らない」

「来たら知らせるよ」

「ここ?」

「滅多来ないけど」そのぐらいならしてもいいと思いました。有美が来た時にメールか電話で知らせるぐらいなら。

「そこに俺が? 偶然ぽく?」

「このまえ来たのはいつだっけ」慎一ははっきり憶えていません。「2週間ぐらい前か」

「聞くってどうやって――」とヒロシの目がまた泳ぎました。「聞いたらバレバレじゃん、狙ってんの」

「そお?」

「男といるの見たのにあえて聞くってキモくね?」

力が入りすぎてる気がして「兄弟かもよ」

「キョウダイ?」

「兄貴とか弟」と慎一は言いました。

「いるって言ってた?」

「イトコとか」

「そんな」

確かに慎一はテキトーでしたが「軽く聞けばいいじゃん」そのくらいの方がいいと思いました。「見かけたけど誰って」

「できっかな」とヒロシは思いつめ、36にもなってウブなのがおかしく、

「がんばりや」と慎一はいい加減な関西弁で言いました。

「いややっぱマスターの方がいいって。いやらしくないじゃん聞いても」

「俺ってそんな爽やか?」

「いやジジイだし」

「ジジイ言うな」

「俺だとどうしたって思われるよ。コイツあたしに気があんの?」

「事実だからいいじゃん。気づかれれば」

「そうかね?」

「前進前進」

「そうかね?」

「俺の方が好みだったらどうする?」と慎一は真顔で返しました。「聞いたら俺が前進、それきっかけで俺に傾いたり」

「ふざけんなよ」

「言い寄られたら俺だってどうなっか」

「そうなの?」とヒロシが真顔で聞くので、

「冗談だよ」と慎一はニヤリと笑いました。

「うん――」と目を伏せて黙ったヒロシは「いやでも協力してよぉ」とカウンターに乗り出しました。

「いいじゃないしてあげれば」と睦美が言います。「頼られたんだし」

「うん――」

「ちょっとおもしろそうだし。その方がいいよ」

「そうかな」と慎一はため息をつきました。

   ***

雨は夜じゅう降り続き明け方にやみました。慎一が7時に起きてロンを散歩に連れ出すともうセミが鳴いています。路面はまだ濡れています。隣り町の公園でラジオ体操を終えた子供たちが帰ってきます。そのなかにはロンを怖がりよける子供もいました。しかしロンは滅多に吠えたりしません。小さい頃からしつけていました。散歩の時も自分の行きたい方に暴走するようなことはありません。

慎一が今日の散歩コースをこの方面、隣り町にしたのはヒロシのためです。有美の自宅が公園近くにありました。まさか会えないだろうけど偶然ということもある。有美の家は山小屋のようなウッディーな外装で広いベランダがある2階建て。その手前80mぐらいに来たとき彼女が門から出てきました。郵便受けから新聞を取って戻っていきます。慎一は急いだもののタッチの差でした。玄関に入ってしまいました。

せっかくの偶然でしたがこれ以上は何もできません。呼び出したりすれば大袈裟なことになる。

公園をひとまわりして帰ろうと向かうと店の常連中山功太がいました。慎一の一人娘ほのかと同い年で27歳。仕事用のツナギを着ています。彼は町の自転車屋でした。その店は喫茶キタムラのそばにあります。功太は公園で娘の純に自転車を教えていました。補助輪なしの自転車。道路に気づいて手をあげ「マスター」と大声を出します。


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KATARA

オリジナルの小説、およびシナリオをHP[ http://novelsofkatara.web.fc2.com/ ]で公開後、電子書籍で出版しています。最新作は湘南・江の島を舞台にした夏の恋【 あの夏あの島で 】 ぜひ。

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