会えなかった五世代前のご先祖様に思いを馳せつつメモ(父方編)

つか、五世代前に会える人は基本レアだろうが。

該当者が多いので、そろそろ父方と母方で分けないと、書く側としてもだるければ読む側の方もだるいかと……ね。

この辺りから情報はがくりと減り、私の頭もキャパオーバーのせいか、理解の怪しさが加速しているのを感じます。
よってこれまでの記事の内容とやや矛盾するかも知れませんが、まあ気楽にいきましょう。

前のやつ↓


不明(父父父父父)

不明(父父父父母)

分からない……けど、高祖父(父父父父)熊吉さんと高祖母(父父父母)タマさんがおばと甥なのは確定している。
したがって、タマさんのきょうだいがどちらかに該当するのかな?
熊吉さんもこのおふたりも、多分比較的早く亡くなったのかな?
お名前だけでも知りたいが……うーむ。

(この記事から読まれた方は「え?」と思われるかも知れないので一応解説しておきます。
おじとめい、おばとおいは明治31年の民法改正までは結婚が出来て、同じ籍に入れたらしいです。)

権吉さん(父父父母父):高祖母タマさんの父。割と早くに亡くなったのかなと思う。
名前からすると、熊吉さんは権吉さんの孫というのがしっくり来るけど、○吉系の名前はこの時代に多いので正直分からない。
この前取得した旧土地台帳に名前があった。
というかもしかしたら亡くなった後もそのまんまにしていたみたいなのだが……別人ではなさそう。あれで大丈夫だったのかしら。

スイさん(父父父母母):タマさんの母。弘化生まれ。
戸主(私の曽祖父政四郎さんから見た甥で、私の見間違いでなければ、2歳で戸主になった事になっている)の曽祖母として載っていたのが印象的だ。戸主のサイクルがやや早かったんだろう。
もし高祖父熊吉さんが前述した権吉さんの孫に当たるとすれば、計算上スイさんは権吉さんの後妻、熊吉さんは義理の孫(?)という方がしっくり来るのかなと最近やっと思った。
しかし戸籍の情報が正しいかどうかも分からないし、まあ、現状では全然分からない。

戸籍に、父の名前はあるが、母の名前は分からなかったという記載がある。
理由はよく分からないが、江戸時代の人ならそんな事も時にはあったのかなと思う。
調べてあげたいが、こういう人に限ってポピュラーな苗字だったりするので厳しいかも。

80代半ばで亡くなっている。
江戸末期から昭和の初めまで生きた、このお家の大おばあちゃんだったのかなと思う。


藤吉さん(父父母父父):高祖父藤次郎さんの父。戸籍では名前くらいしか分からないが、この系統は幸い系図(写し)があるのでいくらか情報が得られた。
どうも「藤吉」という名前を親子三代続けて使っていた様で、この藤吉さんは三代目藤吉さんに当たる。
初代藤吉さん(三代目の祖父)はとある分家筋から更に分家しており、恐らく世の中が変わらなければ、この分家はもっと下の代までずっと戸主が藤吉を名乗り続けていたのだろうと推測される。
二代目の横に「文政」とあるので、その息子の三代目は安政前後に生まれたんじゃないかなと思う(初代や三代目は書かれていない謎)。


キノさん(父父母父母):藤次郎さんの母。残念ながら系図(写し)に記述はなく、戸籍でも藤次郎さんの母である以上の情報はなかった。
昔の系図ってそういうところあるよね。
五世代前ともなると、名前が分かるだけいいのかなぁ。
実家が分からないのが残念。

與作さん(父父母母父):高祖母サキさんの父。戸籍で名前だけは判明しているパターン。
不思議な事に、このサキさんや與作さんの系統の親戚さんとはギリギリまだ親戚付き合いがある。
父から話を聞く感じ、どうもサキさんを通して、私の大叔父などはかなりこの一族にお世話になった感じがする。

苗字が気になっている。というのも、この苗字は基本的に関西方面に多い苗字。ただ、東日本だと新潟には比較的集中している。
どうも同姓で旧家か何かある様子なのだが、具体的な繋がりはまだ分からない。何らかの繋がりがある様な気はしているのだけれど。


キサさん(父父母母母):サキさんの母。名前をひっくり返すと……お分かりだろうか。

理由は分からないが、サキさんの母の欄に、サキさんや與作さんとは違う苗字で書き込まれていた。
與作さんが生きている間に離婚したのか、與作さんが亡くなってから実家に戻ったのか、実は再婚先の苗字なのか、事情がいまいち分からない。
ただでさえポピュラーな苗字なのに、新潟市近辺にはこの苗字の旧家が複数あり、捜索は困難を極める事間違いなしだ。


不明(父母父父父)

不明(父母父父母)

高祖父奥市さん(父母父父)が生きている時の戸籍を全く取得出来なかったので、分からない。
この系統は複雑らしいと父から聞いているが、その父も具体的に何が複雑なのかあまり知らない
もしかしたらこの世代や奥市さん辺りの世代が複雑なのかも知れないが、何しろ情報がない。


源治郎さん(父母父母父):高祖母ミノさんの父。生きている最中の戸籍こそ取れなかったが、源治郎さんの妻や母らしき人物は明治終わりまで生きてギリギリ戸籍に載っており、そこから源治郎さんという名前は、どうやら何らかの理由で複数人に続けて使われたものではないかと推測される。

父の言う「複雑らしい」はこの系統を指すのではないかと思わなくもない。
一般的にこの時代、絶家は避けるものというが、この家は結果的に源治郎さん長男(高祖母ミノさんの兄)までで絶家になっている。
継げそうだった人物はちらほらいるのだが、最終的に誰も残らなかった感じだ。シンプルに何かあったんじゃないかという印象を受ける。それが何かは分からないが。

まあそんな訳で、源治郎さんの子孫は散り散りバラバラだ。
苗字は大変ポピュラーなものだし、郷土史等にもなかなかこの家と思われる家を見付ける事が出来ない。
唯一の手掛かりは、源治郎さんから見て孫に当たる、私の曽祖父億三郎さん(父母父)は、もしかしたらこの家に籍を置いていた父親違いの兄を頼って一時期旭川で職人として修行していたかも知れないという事だ。
そもそもが職人の家という可能性もある。本籍地のある地域は、商業や工業も盛んだったらしい。
しかしよく分からない。何をしていたとしても驚かないお家だ。苗字は農民ぽいんだけどなぁ。


タソさん(父母父母母)タンさんの可能性が高いが、戸籍の字がとしか読めない。確認したくても確認出来そうな人物が思い当たらない。困った。

高祖母ミノさんの母、だと思う。
このお家、現在取得可能な戸籍の中で最も古いとされる明治19年式戸籍が取れて嬉しかったんだけど、19年式の弱点は「家族の関係性が分かりにくい」事。
幸いにもいくつか取得出来た19年式の中でも、特にこのお家は読み取りに苦労したんですよね。何ならまだきちんと読めてない可能性も高いのではないか、と不安になるくらい。

最終的に最後までいた戸主が、源治郎さんの長男とある。
前戸主は当然、この戸籍が出来る前に亡くなった戸主の父、源治郎さん。
その源治郎さんの妻がタソさん、私の高祖母ミノさんは源治郎さんの長女。
(他にも家族はいるが割愛)

問題はここからだ。

タソさんの欄には「亡祖父源治郎長女 亡父源治郎妻」とある。
まず、源治郎がふたりいる事が分かる
しかし、苗字は19年式だと省かれがちな為、
「たまたま他家の源治郎さんの娘が、同じ名前の源治郎さんの妻になった」だけなのか、
「亡祖父源治郎と亡父源治郎は同じ名前を使う親子などの関係」なのか、色々はっきりしないのだ。

「どちらかは書き間違い」という可能性もあるが、戸主やミノさんの父は源治郎さん、祖父も源治郎さんという名前なのはほぼ確実だろうと思われる。
なぜならば、戸主の祖母、シイさんという人物の欄に「亡祖父源治郎妻」と出て来るからだ。
(以前何かの記事で母方高祖父を、戸籍で分かる最古のご先祖様と書いた気がするのだが、それは誤りで多分シイさんが最古かな、文政生まれ

文章だと分かりにくい。私も書いていていまいち分からない。当事者みたいなものなのに。

ここまでの話を簡単にまとめると、こうなる(と思う)。

源治郎さん(1)ーシイさんは夫婦
源治郎さん(2)ータソさんは夫婦
タソさんは源治郎さん(1)の長女

この情報だけだと色々あやふやなのがお分かりになるだろうか。

個人的に考えたのは、源治郎さん(2)は他家から呼んだお婿さんで、婿に来て戸主となり、源治郎さん(1)の名をその際に継いだという可能性。
まあこれが無難かなと思う。

……うーん、だが、ぶっちゃけよく分からないよね
19年式の記述はやはり少々説明が足りない。


重蔵さん(父母母父父):高祖父真吉さんの父。
新潟市にあった戸籍の情報から、「この系統はかつて鶴岡市(旧温海町)にも戸籍があったはず!」と感じ、念の為申請してみたら、数年分の戸籍を取得する事に成功!
その山形の取得分でやっと名前が判明したのが、この重蔵さんである。超嬉しかった。

同姓同名の人物が、新潟市の漆職人で存在する。
重蔵さんの子孫も漆職人である事や、妻セイさんの父と同姓同名の人物と共に記されている事もあり、私は恐らく同一人物だろうとみている。
そう考えると、この系統は本当に職人さんだらけという印象。

しかも重蔵さん、「内国勧業博覧会」という明治時代に五度開かれた国の博覧会で、二度受賞するほどの腕前だった様だ。
子孫の私が手先不器用なのを見たら、多分誰よりもがっくりするんじゃないのかな……。


セイさん(父母母父母):高祖父真吉さんの母。
多分セイさんの父・重吉さんも職人さんで、重吉さんもまた漆職人である事を考えると、もしかしたら父の愛弟子に嫁いだ感じかな、と思う。
旧姓は風間さん。この風間家については色々な「もしかしたら」があるので、引き続き調査していきたい。


石蔵さん(父母母母父):高祖母クヨさんの父。
この系統はやや珍しい苗字で、特定地域に集中している。
そこから調べていけば何かしら分かるだろう。
まあ、要するに、現状分かる事は少ないとも言う。

この系統は、職人さんではない様な気がする。出て来ない。
高祖父真吉さん(クヨさんの夫)と同姓同名の人物が軍人さんだったらしいので、もし同一人物であるならば、それと関係あるのかも知れない。

タケさん(父母母母母):高祖母クヨさんの母。
名前のみ判明しているパターン。
石蔵さんの事が分かれば、タケさんの事も、もうちょっと分かるのかも。

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