刈羽村と桃の花と私のルーツ

母方祖母自身は柏崎市の出身です。
しかし、祖母の母や祖母は刈羽村から嫁いで来ており、祖母も小さい頃は時々そちらに行っていたそうです。

思えばそんな話は何度か聞いていたのです。
ただ、私は思い違いをしていました。

考えてみれば、会話の中でいちいち市町村の名前なんてあんまり言わないですよね。
だから祖母や母は「刈羽村の話」と認識しているけど、私は勝手に「柏崎市の話」として誤認識しちゃってたんですね……。
戸籍取り寄せた段階でやっとこの思い込みに気付いて、本当にびっくりしました。

結構こういう小さな行き違い、あちこちの家で発生していると思います。
気を付けよう。

そんな訳で、私は最近まで自分のルーツの一部(一部といってもまあまあの割合)として刈羽村について考えた事がありませんでした。

以前こんなのも書いたので、刈羽村の事をもっと調べようかな〜とあちこち見ていたら、観光案内のサイトの文章でピンと来たものがありました。

刈羽村イコール桃のイメージはなかった……!
でも実際刈羽村の村の花は桃の花ですし、ウェブサイトを見る限り、どうやら桃推しらしいですね。

桃の件も含めて、電話で祖母に話を聞いてみました。
すると、桃農家をしていた親戚が確かにいたとの事!
でも数が徐々に減ってしまって……というところまで記憶していました。
桃の花が一斉に咲いている様子はとても綺麗だったそうで、懐かしそうに話をしてくれて、こちらも嬉しくなりました。
そんなに綺麗なら私も見てみたいな〜。


他にも、そんな話から「曽祖母(祖母の母)は丙午生まれ」という話が出て来ました。

丙午」そういえば先祖調べサイトか何かで見た事ある話かも……程度だったのですが。
どうも60年に1度来るこの年に生まれた女性は気性が激しく夫を不幸にするという迷信があるらしく、その年の出生率まで低くなりがちな上に、昔はこれが原因で結婚出来ず自殺に至る女性もいたそう。

祖母は「だから曽祖母が嫁入り先を探すのも苦労したのではないか」と言うのです。
とはいっても曽祖母は22歳くらいで結婚しているんですが(そして私の年齢くらいの頃にはもうこの世を去っている……儚い)。

この話からは微妙に脱線してますが、曽祖母の写真が幸い残っていて、私や母も見た事があるのですが、祖母とそっくりだったのが印象的でした。
最初、間違って祖母の写真見たのかと錯覚するくらい。
祖母は私と母が驚く姿を見てきょとんとしていました。まあそんなもんかもね。
でも曽祖母は末っ子の娘が自分そっくりに成長する事を知らずに、その娘がわずか1歳の時にこの世を去ってしまう。身内の事ながら辛い……。

曽祖母については祖母も色々知りたがっていたのですが、曽祖母をよく知る人も結構早くに亡くなってしまったらしく、何かあった時の為にも記録をつけておく事の重要性を再確認させられます。



早くに亡くなってしまった」事が原因で、母方祖父側の曽祖父に至っては「何処から来たのかさえも親族内では不明」状態なので、余計に考えさせられますね。
これは戸籍見たら分かるだろうと思っていたのですが、5男の本人こそ転居はしていないものの、何人か載っていない兄弟がいる上に、上の兄弟(長男まで)が何人か群馬に養子に行ったり嫁いだりしていて、理由が不明。
祖父のルーツが気になって聞いてみたという祖母の仮説は「前妻がいたらしいので、前妻の子はよそにやって後妻の子を残したのではないか」というなかなか残酷なものでしたが実際はどうなのか……?



私の先祖調べには群馬が欠かせないんだなと思いました。
最近「グンマー」って見掛ける度に顔が引きつってる

実はもうひとつだけ祖母からびっくりする内容が聞けたのですが、普通にこのネットの辺境で書く事が躊躇われる内容だったのでカット。
母も知らなかったらしく「え? 何それ?」という反応。
親戚の事って、改めて聞いてみないと分からない事がいっぱいあるんだな、と先祖調べで実感します。

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