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ビートルズと肛門①

☆ビートルズとの出会い

私がビートルズにハマった日は、1995年12月31日とはっきり特定できる。大晦日の夜、アンソロジーの編集版が5時間30分にわたってテレビ朝日で放送された日だ。私は15歳だった。中学2年生でギターを弾き始めて、音楽への興味が広がり続けている時期だった。

「ビートルズくらい、ちょっとは知らないとな」

軽い勉強のような気持ちで、大晦日の放送を見ようと決めた。

その日、家族は年越しに鳴らされる汽笛を聞きに港に行くといって、家には私しかいなかった。ビデオ録画もしっかりセッティングして、テレビの前で放送開始を待つ。

5時間30分後。私は号泣していた(私はすぐに泣くので、評価基準としては全く当てにならないが)。番組内で流れる曲の多くが既に知っている曲で、「これもビートルズだったのか!」というシンプルな驚きがあったし、何より4人の若者が織りなす人間模様に引き込まれた。最後の方でリンゴが「俺たちは本当に仲が良かった。何をするにも一緒だった」と涙を浮かべ語る頃には、私の心は完全に彼らに掴まれてしまった。

それからは勉強としてではなく心から彼らのことが知りたくなって、音源を聴き書籍を読んだ。中でもやっぱり大晦日に録画したビデオは特別で、落ち込んだり気合を入れたい時はラベルに細いマジックで「ビートルズアンソロジー」と書かれたテープをデッキに入れた。

テレ朝版のアンソロジーは5時間30分もあったが、それでも短く編集されたバージョンであった。確か本来は12時間近くあったと思う。当時、その完全版がどういう形で販売されていたかは覚えていないが、とにかく中学生の私が手に入れられるようなものではなかった。必然、2003年にDVDボックスを手に入れるまでは、あのビデオを本当に繰り返し繰り返し見ていた。

テレ朝版は短いだけでなく、日本独自の素材も盛り込まれていた。当時ニュースステーションで人気がありビートルズ好きでもあった小宮悦子が、ストロベリーフィールズなどビートルズゆかりの地を訪ね歩く様子が所々に挟み込まれていたのだ。

ビデオテープが摩耗してしまうくらい繰り返し見るうちに、私は一つの違和感を抱いた。小宮悦子がイギリスの若者に囲まれながら、キャバーンクラブをリポートしているシーン。テレビカメラを前にして若者達は大はしゃぎしているが、1人の若者の叫んだ言葉が私の耳にはこんな風に聞こえたのだ。

「アナルセックス!」

☆新発見⁉︎

いやいや、ちょっと待て。そんなはずはない。神聖なるビートルズの歴史の中で、そんな言葉が発せられるわけがない。大体、私の数少ない英会話知識において、あれは「エイナル」と発音するはずだ。日本人の私がはっきりと「アナル」と聞き取れる時点で、そんなこと言ってないのではないか?でも、クイーンズイングリッシュではもしかして…。

ご存知のように、ビートルズというのは信じられない深度のマニアが世界中に存在しているジャンルである。おそらく「何年何月、メンバーは何をしていた」くらいまで全て特定済みだろうし、アウトテイクやレコーディング中の何気ない会話の記録まで調べ尽くされているはず。

例えば先程“神聖なるビートルズの歴史”と書いてしまったが、下品な話題にしてもありとあらゆる逸話が掘り尽くされている。

思春期のジョンが集団で自慰行為をしていて、絶頂の瞬間それぞれがお気に入りの女優の名前を叫ぶ遊びに興じていた時のこと(なんていう遊びをしてるんだ!)。ジョンだけが「ウィンストン・チャーチル!」と叫んで場をシラけさせた伝説。ハンブルグ時代のビートルズがドイツを追い出されたのは、コンドームに火をつけてボヤ騒ぎを起こしてしまったのがきっかけだったこと(諸説あり)。『Girl』のコーラスは「tit(乳首)」と言ってる説。

ビートルズ関連本を開くと「こんなこと誰が調べたんだよ!」というような話しが幾らでも載っている。「ビートルズについての新発見」なんて、どんな細かいことでも私くらいのレベルでできるはずはないのだ。しかし、もし万が一これが本当に「アナル」と言っているのであれば…。これはビートルズ史に残るとんでもない新発見なのではないか?しかし、私の英語耳では判定ができない。

☆恋愛、そして英語へのコンプレックス

高校生の時、インターナショナルスクールに通う女性とお付き合いした。とても良い思い出もありつつ、私はその期間で立ち直れないレベルの劣等感を植えつけられもした。

なにしろ彼女も彼女の友達もお金持ちしかいない。紹介してもらう友達は皆、芸能人の誰々の娘、とかモデルをしている、とかいう人たちばかり。「ランチは桜木町で」なんて言われても、土曜日の放課後、100円マックでいかに腹を満たすか考えていたような自分とは住む世界が違うのだ。

アメリカのドラマでよく見る、プロムパーティーに付き添わなければいけなくなった時も酷かった。スーツがドレスコードなのだが、当然私はスーツなど持っていない。仕方なく母親に頼み込んで彼女と3人で渋谷のSHIPSまでスーツを買いに行った。しかし、スーツの値段を見て腰を抜かした母親が、「百貨店の特売日で買おう」と言い出した瞬間、「そんなダサいのじゃダメなんだよ!買ってくれるって言ったじゃねーか!」とキレ出す私。宥める彼女。思い出した瞬間、全ての要素がダサすぎて死にたくなる記憶だ。

しかし一番辛かったのはやはり言語だ。彼女と彼女の友達が英語と日本語混じりで何か話していても、内容が全然理解できない。でもその場の雰囲気を壊さないようにヘラヘラと愛想笑いを浮かべる私。漫画『BECK』でそれと全く同じシーンがあって、痛いほど主人公の気持ちがわかった。その恋はやがて終わりを迎えたが、私の中には英語へのコンプレックスだけが残された。

(後編に続く)

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