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ベターなイメージに対する考察

『白馬の王子さま』『幸運の女神さま』
普遍的なイメージのようで、実は少しずつ変容していると思うのです。

かわいくて空気の読める女子力の高い女性になれば、いつか白馬の王子さまのような男性が現れて幸せになれる。とか…
もしくは現状、幸せそうに見えるヒトは、きっとそういう女なんだ。とか…

要領よく点数かせいで勝ち組になれば、幸運の女神さまのような女性に選ばれて幸せになれる。とか…今、幸せそうな奴らはきっとそうなんだ。とか…

「実際問題、そんな単純じゃないだろ?」などと言いつつ…
心のどこかでは、そんなイメージを持って生きていないでしょうか?

けど、『白馬の王子さま』とか『幸運の女神さま』って、
脈絡もなく突然あわれれる者なのでしょうか?
仮にそれが起こったとして、そうだと認識されるのでしょうか?

私は、これらの話の真相は、こうなのだと思います。

昔々、あるところに、二人の幼稚園児がいました。
一人は泣き虫で、もう一人は怒りんぼ。
正反対だけど二人は仲良しで、毎日一緒に遊んでいました。

そんなある日、二人の住んでいる団地が老朽化で取り壊されることに…
親たちはてんでバラバラの所に引越先を決めてしまい、二人は離ればなれになってしまいます。

それでも二人の心の中には、いつもお互いがいるのです。
怒りんぼは泣き虫にこう言います。
「君は本当はとても勇気があるよね。」
泣き虫は怒りんぼにこう言います。
「君は心配性で優しいよね。」

世の中は、足の引っ張り合いとクダラナイ嫉妬だらけ。
何が本当なのか分からなくなりそうですが…
二人は互いの言葉を信じています。

嫉妬とは存外たちの悪いものです。
何故ならヒトのセルフイメージに干渉してくるからです。
そのせいで夢を見失う人々のなんと多いことか…
けれど二人には、二人で過ごした日々があります。
セルフイメージがぼやけたら、あの日の空気感を思い出せばいいのです。

大きくなった二人は、就職活動で忙しくしていました。
なかなか決まらず難儀していましたが、そもそも長く働きたいと思える企業がないのが問題です。
そんなある日、就活の会場で二人はバッタリと再会するのです。

いろいろと話し込み、子どもの頃の夢を一緒に実現することになります。
まずは就職して、必要な資金と経験を得ようと決めたことで、方向性が定まり就活も上手く運ぶようになります。

数年後、脱サラした二人は団地の跡地、思い出の場所で起業しました。
めでたし、めでたし。

例えばこういうお話の後半部分だけを切り取ると、冒頭で述べたような具合で、唐突に理想の相手が現れるように見えるのかと思います。
『就活で出会った相手』が幼馴染み本人ではなく、似通った別人だった場合には、ますますある日、突然あらわれるように見えるでしょう。

ここで大事なのは…
『周囲に認められる人間になれば幸せを掴める』ではなく、
『未完成な自分を理解して貰い、信じられたから、幸せに繋がった』
ということです。

そもそも世の中で、雰囲気がいいとか空気読めると言われる人々の大半は、ただ単純に精神的に安定しているだけだと見受けます。
ここで言う『精神的に安定』は、よい意味ばかりではありませんが…
兎に角、そういう人間の言うことは、同意できなくとも変なことには聞こえない人が多いようなのです。

この手の事は、短時間かつ事前情報があればテクニックでも可能ですが、
長時間・長期間となると、セルフイメージを補完してくれる相手、もしくは生活習慣が必要なのだと思います。

まとめますと、自分が不安定で未完成だから幸せを掴めないのではなく、
未完成な自分を理解して信じられた時に幸せに繋がるのです。
だから…どうか皆様、成功者面した相手にビビらないでください。

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