おかしさに気づいてなおしていきたいこと

おかしいものはおかしいじゃん
アナコンダだろうが国家権力だろうが関係ないおかしいと思うものを飲み込んじゃだめなんだよ

渡辺あや「エルピス」


芦原妃名子先生が亡くなられて2週間以上経ちました。
先生の作品の大ファンで「セクシー田中さん」も何度も何度も読み返していた私にとっては本当に衝撃的で心が崩れてしまいそうなくらい悲しくて
いまだにその気持ちはおさまらないし、頭の中から離れません。
そして悲しさと共に怒りもあり、それもおさまりません。

今回の件では同業者や似たような立場に置かれた方々がたっくさん声をあげてくださっていて、そのほとんどが芦原先生の立場や考えに理解をしめしてくださるものばかりでした。
ファンだって同じ気持ちです。
こんなに多くの人々が先生と同じ気持ちでいるのに、どうしてこんなことになってしまったんだろうと、悔しくて悔しくてたまらないんですよね。

先生が亡くなられた本当の理由はわかりません。
遺書があったそうですが、遺書で書かれたことが全てではないかもしれません。
それは自分の意志で亡くなられた方全てにおいてそうなので考えても仕方のないことです。
私がずーっとモヤモヤしているのは、今回のドラマ化で先生があのような声明文を出さざるを得ない状況になった事についてです。

芦原先生の作品は登場人物全てに寄り添い優しいんです。
彼らの言葉や考え方や行動・状況はとても繊細で、登場人物の誰かは実際に私であったりあなたであったりあのひとであったり、そしてみんなそれぞれがどうしようもない気持ちを抱え、他人や自分の気持ちとうまく付き合えず、それでも必死で生きている・・・・・そういう目線で常に描かれています。
それを決して重くならず軽やかに柔らかに、時に笑いをまぜながら表現される。
そこが芦原先生のすごさだったわけです。

ドラマや映画の多くは、「売れるため」が一番大事だから単純にわかりやすく描くというが当たり前なのはわかります。
そういう面白さもあるというのもわかります。
きっと、ドラマの制作者の多くはそういう内容がいいと思っているんでしょう。
で、確かに「セクシー田中さん」は明るく楽しいラブコメ要素が入っている内容です。
でも、先に書きました通り先生の作品は繊細です。
人と人は出会い交流することで、自分を知り他人を知り変化していくものだからそこに恋愛要素が入ってくるのは当然のことであって、
「人間の生き方」が描かれているのであって「恋愛」を描いているわけじゃないんですよね。

でも、ドラマ側はあくまでラブコメで描こうとしているんだろうなというのは数々のドラマを見ているからなんとなくわかったし、後に出された先生の声明を読んでもそのことが書かれていて、
なんというのかなぁ・・・・それってドラマの制作者側がドラマと視聴者をものすごい安易に考えているとしか私には思えないんですよね(恋愛でキュンってしたいんでしょ、みたいな)。
そして、そこにこの原作を使おうとしているって、もう原作への冒涜だと思うんですよ。
だって、芦原先生作品ってそういう安直で単純に型にはめられるような世界に生きているのがツライ人たちがどうやってそこから自分らしさを取り戻すのかというお話なんですもの。

だから先生が必死にそこを回避させようとしていたお気持ちが痛いほどわかりますよ。
だから巷では「原作改変」という言葉が飛び交っていますけれど、そういうことだけじゃないと思います。
先生が何を描こうとしていたか、何を伝えたかったか。
その魂といえる部分をドラマ制作側が大事にしてくれていたかどうかという事だと思うんです。

そして私がモヤるのは、そこを出版社側もちゃんと理解してくれていたのかがわからないからなんです。
出版社側が先生の思いと言葉を、絶対に譲れないという覚悟で相手に伝えてくれていたのだろうか。
もしちゃんと先生を守ろうとしてくれたなら、なぜそういった経緯を出版社が発表してくれないのだろうか。
そして当然TV局もだんまり

こういった態度は原作者に対してはもちろん関わった人たちや視聴者全てに対して不誠実だと思うのです。

ここ最近、劇団やアイドル事務所・芸人事務所などの大企業の、
ものすごい大雑把な言い方をすると、人を大事にしない姿勢みたいな事による事件が表に出ていますが、今回の事も同じだと思います。

モヤモヤします。
大きな組織になればなるほどそういう事が蔑ろにされてしまってい、結局小さな声の側が傷つけつぶされていっている気がします。
人の命が失われているのです。
人が傷ついているのです。
売れる事、自分の利益、そんな事が人の権利や尊厳よりも大切なのでしょうか。

芦原先生の最後の公でつぶやいた言葉は「攻撃したかったのではなくて」でした。
先生の作品に悪人はいません。
あいつが悪くてこっちは良いなんてことじゃない。
いつだって誰だって色んな事情があって何かを抱えていていてどうしようもなくそうなってしまう事がある。
そういう事をちゃんとわかって作品を描かれていました。
作品から知る先生はそういう方でした。
だから先生の作品が大好きでした。

私も誰かを叩きたいんじゃない。
ただただ、自分が、自分の愛する人たちが、全ての人たちが、理不尽に傷つけられることなく自分を表現し生きることを望んでいるだけです。

この件が起こってから、私は渡辺あやさん脚本の「エルピス」を見返しました。
悪をぶっ叩いてスッキリするようなドラマじゃありません。
おかしなことをおかしいと言えない、簡単につぶされてしまう小さな声たちを拾い、つぶされてもつぶされても起き上がろうとする人たちの物語です。

私は私のやり方で、おかしいことをおかしいとつぶやいていこうと決意しました。
それは自分自身のおかしさをちゃんと見つけることなのです。
見つけて是正していくこと。
それが大切なのだと思います。

吉本ばななさんがXでこのようにつぶやかれていました。

誰もそのときの作品を汚すことはできない、作者さえも。だから、死なないでほしかった
原作の田中さんや朱里ちゃんの真摯な思いやダンスというものの神聖さや奇跡は永遠です

吉本ばなな

先生の作品は永遠に生き続けます。
芦原先生が今は安らかなお気持ちでいてくださいますように。
ご親族の皆さんの心が少しでも穏やかで安らぐ時間が増えますように。

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赤裸々な告白とかではありません。

齢50を過ぎた女が自分の愚かさと間違いとまあいっかをつぶやく日記

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