音楽とことば

「小山田圭吾と中村勇吾が谷川俊太郎を想う。長い人生どう生きる?」
2018年2月の記事なので4年前のものになりますが、今読んでも面白い記事でした。
https://www.cinra.net/article/interview-201802-tanikawashuntaro?fbclid=IwAR0BSQSStfJj3B6-fld-DaIvjZUE7mUYfeUX5Eh2tZ-QSQQnaQLg8qB_mkg

谷川俊太郎展の音楽を担当された小山田くん。
谷川さんの声に合わせて鳴っていたメロディについて。


「あれは、谷川さんの声を音符化しているんです。いま、僕らがこうして喋っている声にも音程があるじゃないですか。それを解析して、一番近い音を鳴らしているんです」

「もともとが谷川さんの言葉だから、それを自分で解釈してメロディに落としたくなくて。そうすると、意味が生まれてしまうでしょう。僕の解釈で作ったら悲しくもできるし、どうとでもできてしまう。そうじゃなくて、言葉そのものを音楽にしたかったんです。」

これはCORNELIOUSの歌詞にも通じてる気がする。
言葉を意味ではなく音として捉える感覚。
すごく好きです。
そして
小山田君は「言葉には必ず意味が発生する」ことに対してとても敏感でいらっしゃるからこそ、インタビューをはじめ言葉で何かを説明されることが少ないんだと感じます。

中村勇吾さんの


「僕の場合、そもそもメッセージを表現するという思考がないんです。自分で映像をつける音楽も、もともと歌詞を読まなくて。メッセージを受け止めたりそれを伝えたり、という感性がそもそもない」

「きちんとした構造さえあれば、意味を操作しなくてもブレないし、伝わるという作り方ですね。」


というのも好き。

メッセージ性のある歌詞を否定しているわけではないですよ。
言わずにはいられないような魂からのメッセージやしっかりと考えられた物語や意味のある歌詞の音楽は大好きです。
一方で、やはり歌詞を音として捉える音楽もすごい魅かれるのです。

私自身、はからずして歌詞を書くようになった中で
いまだどうしたらいいのかわからない状態ですが(苦笑)
音に対する言葉ということはもっともっと考えていきたいと思っています。
難しいですが日々勉強です。

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