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頑張れってなんだろう。

がんばれってなんだろう。

中学の時にかかっていた重い病の時思ってた事をまじえて話そうと思う。

夜中に書いたことなのでいろいろ適当です。

僕の中で頑張るって言葉は、何か目標に向かってひたすら努力していく過程でかけられる言葉だった。
だから、みんなが僕に向かって言う頑張れは一体何なのだろう?と中学生の僕はよくわからなかった。
頑張るのは医者で僕はただベットで寝ていただけだったし、やることもなく一日点滴。薬を10個くらい飲んで、テレビ見て寝てるだけ。

頑張るって何を?そんな感じだった。

病気の事を簡単に話そう。
その病気は単純に言えば赤血球の中の血小板という物質を骨髄が作らない病気で、酷い貧血になったり、怪我をすればアザが出来やすかったりする。酷い時はまったく血が止まらなくなる病気。国の難病にも指定されてます。

病気になって3年が経とうとしていた。
3年間通院しながら、足りない血を輸血で補充して、いろいろ治るかもしれないという治療受け続けた。
それでもダメで、最終的には移植するしかないというところまで来た。

適合率は、兄妹で25%。幸いにも妹の血が適合し、なんも副作用もなく上手くいった。

移植後は、体内の抵抗力が0になるため2ヶ月ほど無菌室という部屋で生活していました。

ベットからほとんど動く事も出来ず、親も部屋が入るにもマスクと手袋、カッパみたいに全身を覆う服を着て、少しの間だけ面接が許される状態でした。

当時の記憶は曖昧ですが、毎日うなされてたらしい。床ずれもできて、身長は160あったけど、体重も45キロくらいだった。

ポロッと「死にたい、しんどい」と言ったんだと思う。

死にたいと何度も思って、でも口にだすことはなかったけど、その時、しんどさと、無菌室の生活がいつ終わるかもわからない状態で15歳の僕は精神的ピークに達していたのだと思う。

親が泣いていた。
親が手を握ってくれた。

僕は、入院中に一度も泣いたり、
泣き言を言ったことはなかったけど、

僕も泣いていた。

今までの3年間とか、なんで家族は全員健康なのに自分だけとかいろんな想いが溢れてきてた。

何より親の想いに泣いたのだと思う。
そんな事ははじめての事だった。

我慢してるつもりもなかった。
子供ながらこの不満をどこかにぶつけても意味が無いことを知っていたから。

親が泣いてるのを見て
もう少し頑張ろうと思った。

友達やお見舞いに来てくれた近所の人から頑張れと言われて何も思わなかったのは、そこまで僕の事を思ってるわけじゃないし、病気だから頑張れと言われてると思っていたからだと思う。

ツイッターでも、見ず知らずの僕に「頑張ってください」と声をたくさんくれて感謝してるのですが、僕はどうしていいかもわからないので、なんと言っていいかわかりません。

入院中に人の心失ったかなとも思いました。

ただこの気持ちはきっと病人の本人にしかわかりません。
友達たちに何かを求めてるわけじゃありません。

ただ一つ求めるとすれば、退院後も入院中も病人としてではなく、普通に接してくれるのが一番だと僕はそう思います。

周りに同じような人がいれば、
そうしてあげて下さい。

大事なのは言葉じゃない。

寝れないので夜中に思ったことを書きました。
明日から治療なんでしっかり治してきます。

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