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小林多喜二『蟹工船』に描かれた朝鮮人への虐待

 …労働者が「横平」になって無理がきかなくなり、市場も大体開拓されつくして、行詰ってくると、資本家は「北海道・樺太へ!」鉤爪(かぎづめ)をのばした。其処(そこ)では、彼等は朝鮮や、台湾の殖民地と同じように、面白い程無茶な「虐使」が出来た。…土工部屋では、虱(しらみ)より無雑作に土方がタタき殺された。虐使に堪たえられなくて逃亡する。それが捕まると、棒杭にしばりつけて置いて、馬の後足で蹴らせたり、裏庭で土佐犬に噛殺させたりする。それを、しかも皆の目の前でやってみせるのだ。肋骨が胸の中で折れるボクッとこもった音をきいて、「人間でない」土方さえ思わず顔を抑えるものがいた。気絶をすれば、水をかけて生かし、それを何度も何度も繰りかえした。終には風呂敷包みのように、土佐犬の強靱な首で振り廻わされて死ぬ。
 …監獄で働いている囚人の方を、皆はかえって羨(うらやま)しがった。殊に朝鮮人は親方、棒頭からも、同じ仲間の土方(日本人の)からも「踏んづける」ような待遇をうけていた。

小林多喜二『蟹工船』、初出は『戦旗』1929年5月号・6月号

●解説

 小林多喜二の『蟹工船』と言えば、プロレタリア文学の代表作だ。貧困を強いられ、借金を負わされた人びとが、蟹工船に働く場を求め、外界との連絡を閉ざされた船の中で、暴力支配のもと、厳しい労働を強いられる。やがて労働者はストライキに立ち上がるが、鎮圧される。だが、再びそれぞれの場で闘いを続けようとする…というストーリーだ。多喜二は同時代の資料を綿密に調査し、過酷な労働現場をリアルに描いた。
 
 上記の文章は、その『蟹工船』の一節。船のなかで、労働者たちが、蟹工船に乗り組む前にどんな仕事をしてきたのかを話し合う場面である。
 
 ここで多喜二は、北海道や樺太で土建労働者に加えられた酷使、虐待について書いているが、それが「朝鮮や、台湾の殖民地と同じ」であると強調している。そして、こうした非人間的な環境におかれた同じ労働者のなかでも、朝鮮人はいっそうひどい目にあっていたこと、彼らが日本人労働者からも差別を受けていたことについても記していたのである。多喜二は、日本の問題を植民地への視点を欠落させて論じることはできないことを理解していた。
 
 『蟹工船』が発表されてから3年後の1932年2月20日、多喜二は治安維持法で検挙され、特高警察の拷問によって虐殺された。葬儀において彼の棺を担いだ者のなかには朝鮮人労働者もいたことが伝えられている。
 
 そして、『蟹工船』の発表から10年後、朝鮮人労働者の労務動員と日本内地への配置が始まる。そこでの非人間的な労働も、多喜二が描いたタコ部屋労働の温存、そのなかでの朝鮮人差別の延長線上にあったのである。