「夢をあきらめない」という思想の退廃


堅気の人と会話していると、夢をあきらめない系のコンテンツは縮小するだろうなと考えた。

殆どの人間が夢をあきらめなかったら、小学生の頃の将来の夢ランキング通りの割合になって国が崩壊するので、仮にすべての国民に「夢をあきらめない」意志が植え付けられたとしたら、国を挙げて阻止する事態になる。

まあ、実際そのような意志が全人類に根付くことはないからそのようなことにはならない。ここで言いたいのは単純計算して夢を叶えなかった人間のほうが圧倒的多数と言うことだ。

ただ、夢を売りたい教育機関はたくさんあるので、夢をあきらめてほしくない人はたくさんいる。また夢のおかげでよい人材が選べる企業もまたこの思想を好む。

夢を持つ人(自分の事業のために、自分で金をかけて指示もせずに意欲的に支える都合のいい人材)はその企業にとっての宝、資源だ。


ところで漫画家や小説家はたとえ低賃金でもバイト三昧でも結婚できなくても夢をあきらめなかったような人がいる世界であるので、彼らは良く夢をあきらめないというメッセージを込めた作品をつくる。

あれは半ば自分に言い聞かせているところもあるので、マンガでは特に夢をあきらめない故に成功する姿がかかれる。

しかし、冒頭でかいたように、世の中の大半の人は「夢をあきらめた方々」である。子供に夢を売るのは良いが、今マンガを買う年齢層は高くなっている。

筆者自身は趣味仕事をしているが、イラストとかクリエイティブとは関係のない堅気の商売をしている方と話すとこれが響かないだろうなという実感がある。

彼らは疲れている。超疲れている。もうめっちゃ疲れている。夢を語るとか哲学する気力がない。

「ドーンバーンガーン!わっしょいわっしょい」程度のことしか考える気力がない。

というかこれ以上「ばーんどかーんわっしょいわっしょい」なこと以外に触れたら心がドーンバーンして死にそうである。

彼らは食事をする暇がなく、栄養ドリンクを飲むようにコンテンツに触れるしかない。

たぶん人間は自分の心の整理をする何か傾倒する何かを誰でも欲しているのでコンテンツ産業は儲かるんだろう。

コンテンツは娯楽と言えども、多少の哲学性があったほうが「感動」して評判が上がる。現代日本では政治と宗教と哲学の話は社会人がしゃべったら速攻アウトで敬遠されるので、コンテンツで昇華していると考えられる。日本でコンテンツが育つのは、たぶん宗教の力が弱いからなんだろうなと思う。

日本人がギリシャ信仰もなく、キリスト教でもないのに西洋絵画を買いとるのは「なんかよくわからないが金がかかっていて豪勢ですごい、珍しい、素敵、神秘的」だからだ。海外の日本のコンテンツに対するそれも同じように見える。日本の場合は精神の浄化はコンテンツが担っているわけだ。

傾倒する何か、物事を決めるときの価値観を何にするか、気持ちを整理する、などという精神活動は、おそらくは食事のように誰にでも必要なものなんだろう。だが、誰でも上質なものを食べられるかというとそうではない。個人差があって食あたりを起こすこともある。

高取得で哲学もたしなむ人は少ないのかも知れない。特に理不尽な目にばかり合っている営業(この役職の割合が圧倒的に多い。)は心底疲れている。「まっとうなこと」が何かなど重々ご存じなのだが、「まっとうなこと」が通用しない世界にいるので、「まっとうじゃないこと」をせざるを得なくなってくる。

そんな時にまっとうなことに触れると混乱してしまうのだ。

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ではどうすればいいか。

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