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ライブを体験する/記録するとは 〜my room 開催に寄せて〜

前職場でのこと。
同僚が、とあるライブイベントを企画・運営した。コロナ禍の真っ只中、あちこちで公演が中止になり、この企画も1年延期してやっとのことで助成を受けて開催に漕ぎつけた。観客数を可能な限り最大に設定しても、当初予定の半数が限界でチケットは激戦。心待ちにしてくださっていた皆さんに何とかしてご覧いただきたくて、当日撮影した映像を編集して後日有料配信し、さらにDVDにして販売もした。
その同僚とときどき話したのが「《ライブを体験する/記録する》とはどういうことなのか?」ということ。



2020年。
たくさんのライブが中止せざるを得ない状況にあったけれど、それでも音楽は止まらなかった。
音楽は、世界に覆いかぶさっていた閉塞感を少しでも晴らす光明としての使命を諦めなかった。むしろその役割がより厳しく試され、より鮮やかに証明された。

《配信》という新たなツール。
それは、行くはずだった人、行きたくても行けなかった人、最初から行くことを諦めた人…、あまねく人々を救ってくれる手段。有観客でコンサートを開催できるようになってからも、獲得したノウハウを駆使して配信は続いている。その手軽さから図らずも聴衆層を広げる効果もあり、チケットリセール・トレード制度と共に、コロナ禍がもたらした数少ない収穫の一つと言えるだろう。


《ライブ》というのは《体験》だ。
それがこのコロナ禍で《ライブとその映像化》はひとつの岐路を迎え、《配信》によって新たなフェーズに到達したのではないかと思う。
というのは、
 ライブを開催して配信する。
 そしてそれを編集してBlu-ray・DVD化して商品にする。
このプロセスが定着したことで、〈ライブを撮影する〉目的が《記録》から《コンテンツ》へと変わったからだ。

もちろん《ライブの記録映像》は、以前からBlu-ray・DVD(通称:円盤)化されて販売されている。
例えば、自分が《体験》したライブを円盤で観る。感動をなぞりながらあの時の記憶を確認できたらと思うのだけれど、視点の位置が違うと別物のように感じられたりもして、あの日のあの場所〈=自分の席〉からの定点映像がほしい、などと叶わない願望がよぎる。
だが、観ているうちに不思議な現象が起こる。
あの日にあの場所〈=自分の席〉で目にした光景は、自分の記憶の中にしかない。なのに、別の視点〈=撮影カメラ〉からの映像でも、記憶が反芻されて感動がよみがえる…!
不思議だけれど、だからこそ、ライブの《記録》が《映像作品》として成立するのかもしれない。
ライブ映像は、編集されることで《記録》から《作品》になり、その《作品》を通してライブを《体験》し直すことができるのだ。

《生配信》の場合はどうだろうか。
生配信を観る。そして後日、〈記録として編集された〉映像を観る。そこでもまた、あの日のあの場所〈=自分の画面〉から観た光景、そして生配信とは異なるアングル〈=撮影カメラ〉の映像、それぞれにそれぞれの臨場感を味わうことができる。
自分視点とカメラ視点の乖離と融合という不思議な現象が、ここでもまた起こる。現地にいて《体験》したわけではなくても。

つまり、同じ空間で《体験》するのが《ライブ》ではあるが、同じ空間ではなくても、同じ時間=リアルタイムで体験できる《生配信》においては、配信のカメラ視点が現地の自分視点に置き換わる。
何らかの機器を媒介しての体験も《体験》になり得る。配信カメラという目を通しての《体験》。

この不思議な感覚の最高峰が、《無観客・生配信》で敢行された通称「at 作業場」、あの「2020 612 宮本浩次バースデイコンサート at 作業場 『宮本、独歩。』ひきがたり」だった。

いわゆる〈無観客ライブ配信〉は、有観客で開催できなくなってしまった代替として、来るはずだった人や来たかった人に向けて、本来の計画と同じ会場から配信されるケースが一般的かもしれない。ならばこの年のバースデーライブも、独歩ツアーで予定していた会場、あるいはバースデーライブのために押さえていたであろう会場から配信、という選択肢もあったはずだ。

だが、選ばれた《箱》は《作業場》だった。
『うた動画』の配信でみんなが慣れ親しんでいるこの場所から。

この何気ない思いつきのような発想、これが実はとんでもなく先鋭的で前衛的だったのだ。
なぜなら「at 作業場」は、有観客開催を断念した時点から《生配信》だけを目的に企画されたから。そして、であればこそ、と敢えて観客が足を踏み入れることが不可能な場所が会場に設定されたから。

作業場。創作の拠点。うたが生まれる場所。
その閉鎖された空間からの、生配信。

これほどまでにアグレッシブに《無観客・生配信》の核心をつかんだ選択があるだろうか。思いっきり真逆の極限まで振り切ってみせる身の軽さ。これが、このひとのすごいところなのだ。

誰も見ることのできない空間と、誰も見ることのできない角度からの光景がそこにあった。
自分の席からの視界とか、現地で体験したライブを映像でも追体験とか、そんな感覚の一切合切がまったく及びもしない、奇跡の時空が成立した瞬間。
あの《生配信》によって、視聴者は《ライブ》を《体験》した。

どうせ無観客ならば『うた動画』を配信してきた《作業場》から。
俺はこの場所からRESTART。


2019年
 ソロ初ライヴ!宮本、弾き語り」612バースデーライブ at リキッドルーム
2020年
 612宮本浩次バースデイコンサート at 作業場「宮本、独歩。」ひきがたり
2021年
 宮本浩次縦横無尽 20210612 on Birthday at 東京ガーデンシアター
2022年
 宮本浩次縦横無尽完結編 on birthday @国立代々木競技場 第一体育館
2023年
 宮本浩次 Birthday Concert 2023.6.12 at ぴあアリーナMM 「my room」

「at 作業場」の翌年のバースデーコンサートがアルバム『縦横無尽』の初回盤特典になっていることに関して、映像作品として単体で販売したかったけれども、抱き合わせの方が売れると押し切られるかたちで…、と経緯エピソードを『YouTuber大作戦』の中で語っていたが、これは《生配信》が《体験》になり得ることを直感的につかんでいたのではないかという気がしてならない。
「at 作業場」もシングル『P.S. I love you』の初回盤特典になっているが、「縦横無尽完結編 on birthday」は初の単独の映像作品として発売された。ここに特別な意味を感じてしまうのは私だけだろうか。

2019年のリキッドルームに始まり、無観客の作業場から、キャパ半分のガーデンシアター、2日間にわたって国立競技場を埋め尽くした昨年、そして2023年。「得意の弾き語りを始め、宮本浩次が一人で、いわば『独演会』形式で 全身を使った渾身のパフォーマンスをお届け致します。」と公式サイトに謳われる。この宣伝文句は、あの暴れまくった「at 作業場」にそのまま丸ごと当てはまる。

壮大な旅をめぐり、円環を描いて帰還するイメージのメインヴィジュアル。皆既月食の影から、噴き上がるプロミネンスのような炎が美しく燃え盛る。
たったひとりで25台ものカメラと対峙した密閉空間から、1万人収容のアリーナへ。
そのデッケェ空間を《my room》〈=自部屋=自分だけの閉鎖空間≒作業場〉と名付けられるだけのものを、このひとはこの4年で手にしたのだ…。

叶うことならば、カメラの目を通した《配信》、丹修一監督の手による《編集》を経た《映像作品》…、
あらゆる《体験》で見届けたい、と強く願わずにはいられない。



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