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金剣ミクソロジー③Present for YOU

Fate/Zero二次創作です
※アルトリアとギルガメッシュが第二次聖杯戦争の後も現界してるif設定
※ギルガメッシュの求婚にアルトリアさんが応えて、二人が夫婦という金剣ドリームです
※この話はヴィクトリア朝大英帝国が舞台です


     Present for YOU

1. 最初のプレゼント

 1877年、ギルガメッシュとアルトリアはロンドンに入った。
 冬木、深山みやまの居留地に館を構え、生活の基盤を築くと、ギルガメッシュはあっというまに事業を拡大させた。彼はギル・スミスと偽名を名乗り、当たり前のように故郷の島──彼に言わせると、そこは楽園ディルムン──を買い占めた。僅差で新大陸の富豪たちを出し抜き、非常に安価に多くの油田を手にしたのだ。さらに石油の必要性が高まる前にロンドンに進出、手持ちの財を株と保険に注ぎこみ、見る間に倍増させた。
 アルトリアは時代に合わせて貞淑な妻を演じ、忙しい日々を過ごしていた。
 だが、そこはともに王たる夫妻である。
 一般の中流階級とは何もかもが違っていた。
 イギリスに着くと、すぐに彼女がやりたがったことが一つある。
 それは馬に乗ること。
 ギルガメッシュが、彼女が一人で馬場に行くことを許可したのは、時代に先駆けた行動だった。鷹揚なギルガメッシュの御蔭でアルトリアには最初から行動の自由があった。
「チップ? なんだ、それは」
 欧州特有の習慣に首を傾げたのもアルトリアの方だった。彼女の生きた時代、そんな習慣がなかったので、アルトリアはなかなかチップを渡すことに馴染めなかった。外国とたびたび交渉を繰り返したギルガメッシュの方が、異国の習慣に馴染むのが速かった。
「ともかく、そなたも自ら財布を持ち、現金を持ち歩く必要があるということだ。特に小銭を、な」
「ふむ」
 アルトリアは生まれて初めて自分の財布を買った。ギルガメッシュが最初に彼女に見立ててくれたのは、繊細な色遣いのフランスものの布を張ったがま口だった。水色と白のストライプにレースでメダイヨンを縫いつけ、そこには白い薔薇が刺繍されている。アルトリアは自分に似つかわしくない気がしてしまったが、がま口の開けやすさ、閉めやすさは気に入った。
「それから、これが、そなたの小切手帳だ。使いきったら申せ」
「分かった」
 以来、たいていの買いものは小切手ですませるが、ちょっとした小物は現金で買う。ギルガメッシュは現金も気前よくアルトリアに渡してくれた。
 当初、アルトリアは余った金をギルガメッシュに返そうとしたが、彼は受け取ろうとしなかった。
「どうせ、明日も必要なものぞ。いちいち返さずともよい。賜わしたのだから」
「それはそうだが」
 俯くアルトリアを見つめてギルガメッシュが微笑んだ。
「落ち着かぬか」
「ああ。少し」
 アルトリアは全ての金が自分のものでないという感覚を持っていた。金を稼いでいるのは、あくまでギルガメッシュだし、自分ではない。アルトリアは無駄遣いを慎み、小銭もなるべく自分で管理した。
 そして気づいたのだ。
 やってみると、意外と自分は金勘定もできるのだということに。
 そしてギルガメッシュは一度、自分に金を渡してしまうと、その分の金については無関心。確かめようともしない。
 アルトリアは常々ギルガメッシュに返礼をしたいと考えていた。彼はあまりにも献身的でとまどうほどだった。彼がしてくれるたくさんのことに感謝の意を表明したい。言葉で自分の気持ちを伝えるのが苦手なアルトリアにとって、ヴィクトリア朝に流行った贈りものの習慣は背中を押してくれるものだった。
 アルトリアは毎晩、明日の朝に必要なチップを残して、小銭を全て小箱の中に貯めはじめた。幸い、ギルガメッシュが裕福だったので、その程度の貯蓄がアルトリアにも可能だったのだ。
 初めてみると、それなりに金が貯まった。
 ギルガメッシュのいない昼間に、ホテルのリビングでライティング・デスクを開け、アルトリアは小銭を数えてみた。銀貨や銅貨ばかりだったが、かえってチップに使えないフローリン銀貨なぞは気前よく箱に放りこんでいたので、丁寧に確認してみると……
「これで57ペンス、これが6ペンスだから」
 アルトリアは我が目を疑った。
「全部で17シリングと63ペンス。63ペンスは5シリングと3ペンスだから」
 アルトリアはひと月であっさりと1ギニー1シリング3ペンスの貯金を作れたのだった。ちょっとしたメイドの月給に相当する額だ。
「これなら……」
 アルトリアはデスクの前で頬を両手で挟んでじたばたと足を動かした。
 翌日、アルトリアは早速リージェント・ストリートにくり出した。ここは一種の職人街でさまざまな店舗が揃っている。アルトリアはギルガメッシュが贔屓にしている仕立屋で紹介状をもらい、革製品の工房を尋ねた。
「いらっしゃいませ、マダム」
 アルトリアの上品な出で立ちに店のマネージャーは慇懃な態度で応じてくれた。アルトリアはドレスを少し上げて会釈すると紹介状を渡した。
「プールさんに、こちらがよいと聞いた」
「ありがとうございます。何を御用立ていたしましょう」
「乗馬用の手袋を作ってほしい。ただし、私ではなく、主人……の」
 必要があっても、アルトリアはギルガメッシュを『主人』と言うとき、緊張してしまう。自分がそんな言葉を言うとは思ったこともなかったし、彼の妻になったのだと妙に意識してしまうからだ。頬を染めて俯く姿にマネージャーが微笑んだ。
「承りましょう。こちらにどうぞ。騒がしい店で申し訳ありませんが」
「いや。構わぬ」
 店の奥からは職人たちが走らせるミシンや革を打つ小槌の音が響く。アルトリアは微笑んで勧められた椅子に座った。
「あの、おかしな話だと思わないでいただきたいのだが、その。秘密でプレゼントしたいのだ」
 アルトリアが穏やかに、しかし口ごもりながら注文を付けると、マネージャーが頷いた。
「手の大きさや形が判れば問題ありません。そういった御注文も珍しくはございませんので。つかぬことを伺いますが、御主人はうちで何か御誂えになったことがありますか」
「確か、財布とベルトを」
 髭に白いものの混じるマネージャーは顧客帳をめくって頷いた。
「ございました。奥様は御主人の手の大きさなどが判りますか」
「ああ」
 アルトリアは無造作に自分の手を開いてカウンターの上についた。自分の手との対比でギルガメッシュの指の長さや手の厚さを説明する。詳しい説明に手袋専門だという職人がやってきて、採寸帳にサイズを書きこんでいった。
「御主人の身体の大きさをベルト職人が覚えておりますんで、ほぼぴったりとしたものが作れると思います。素材は何にいたしましょうね」
「彼は山羊の革が好きだ」
「耐久性は少々落ちますが山羊になさいますか。猪でしたら長く保ちますが」
 職人の言葉にアルトリアは頷いた。
「知っている。しかし彼の故郷ではあまり猪の革を使わないらしい。山羊で頼む」
 こう言ったが、アルトリアの聞いたところ、シュメルでは豚を蔑む風潮があったらしい。ただ一人の友人と猪狩りに興じたギルガメッシュはかなり変わった趣味の持ち主と認識されたようだ。豚の革は避けた方がいいだろう。
「御色目は」
「色が入っていても手綱を持つと擦れてしまうのでな。革の色をそのまま出してもらえれば」
「でしたら、ちょうど今よい革が入っておりますよ。スペインでなめしたもので品質は確かです」
「では、それを」
 デザインも話しあって王道のスタンダードになった。ギルガメッシュのベルトを仕立てた職人もやってきて、御主人は実に整った顔立ちなので余計な小細工はいらないと請け負ってくれたのだ。
 注文がまとまると、職人たちが笑いかけた。
「旦那様と仲がいいんですね」
「え?」
 すると手袋職人の男が自分の手を広げて微笑んだ。
「もし妻が私の手をそんなふうに覚えていてくれるなら、私はとても嬉しいですよ。愛されてらっしゃるのだなあ」
「いや、そうじゃなくて」
「素敵ですよ」
 職人たちに覗きこまれてアルトリアはかあっと顔を赤くした。そんなことを考えたこともなかった。ただ毎日、手は握るので、彼の手の大きさは意識しなくても判っただけだ。
 支払のときもアルトリアは少し変わっていた。彼女はずっしりと重い財布をどんとカウンターに置いた。
「必要なだけ、ここからとってくれ。細かい金ばかりで申し訳ないのだが」
「構いませんが、その。重かったでしょうに」
「さしたることはない。さあ」
 ずいとフランス布の財布を押し出す十五歳の貴婦人というのは、かなり変わった客であった。マネージャーが丁寧に小銭を数える。アルトリアは持ち金で足りなければ小切手を切るつもりであった。
 だがアルトリアの懸念は杞憂であった。
「はい。ちょうど22シリング頂戴いたします。受け取りはどういたしましょう。お届けしますか」
 マネージャーはきちんと伝票を切ってアルトリアに渡した。アルトリアは丁寧にバッグの内ポケットにしまう。下手に財布に入れておくと、金を入れるときにギルガメッシュが見てしまう恐れがある。
「そうだな。ホテルに滞在しているのだが、大丈夫だろうか」
「はい、もちろん。どちらに御逗留で」
「スタッフォードだ。スペンサー伯爵のタウンハウスの向かいの」
「ああ、はい。かしこまりました」
 マネージャーが注文票を書き、アルトリアに住所を確認させた。こういった手順一つ一つはアルトリアが生きていた頃とあまり変わらない。アルトリアは遅くならずにホテルに戻ることができた。
 そして二週間後、アルトリアの手元に箱に入った手袋が届けられた。茶色の張り箱に入っていたので、そのまま渡してもよかったのだが、アルトリアはバトラーを呼んで箱をつつませた。赤い紙をかけ、薄いクリーム色のリボンをかけてもらう。バトラーがリボンの結び目に造花を差してくれた。
 その晩、ディナーが終わったところでアルトリアは手袋の箱をテーブルの上に押し出した。
「これ」
「ん?」
 ギルガメッシュが不思議そうな顔をした。彼は首を傾げてアルトリアを見つめた。
「何だ。いったい」
「貴方に、その。いいのではないかと。あったらいいと思ったのだ」
 ギルガメッシュはそれが何か、考えようともしなかった。手帳やあるいは菓子の類であろうと思った。菓子など買ってくるとギルガメッシュの分も用立ててくることがあったからだ。くるりとリボンを外し、箱を開けて、ギルガメッシュは目を見張った。
「……」
 美しい薔薇の絵がついたカードが入っていて、深い鬱金うこん色のインクで『いつもありがとう』と綴られていた。手袋は仕立物で、しかも自分の好きな山羊革でできている。一番好きな鞣したままの革が艶々光っている。
 安いものではない。
 彼女はどうやって、これを? 小切手で決済した様子がなかったし、とっさに思いつかなかった。
「その、一緒に馬に乗れたらと思って。どうだろう?」
 その言葉はギルガメッシュの胸に火をつけた。がたんと音をたてて立ち上がる。驚くアルトリアを椅子から立たせるように脇に手を入れて抱きしめる。
「アルトリア……」
「ギル、その。気に入らなかったら」
「気に入った! 嬉しい」
 その後が言葉にならなかった。言葉のかわりに涙があふれて、ギルガメッシュは自分で訳が分からないほどだった。
 ああ、まさか彼女に贈りものをしてもらえる日が来ようとは!
 考えたこともなかった。
 アルトリアの手が優しくギルガメッシュの背中をさまよう。
「馬の乗り方は私が手ほどきしよう。だから一緒に」
「行く! 必ず行く、だから」
 ぎゅうと苦しいほど抱きしめられてアルトリアは気が遠くなりそうだった。
 頑張って、よかった。
 アルトリアもギルガメッシュの肩に顔をうずめて涙が出そうだった。たくさんの朝貢品を受け取っていたギルガメッシュが、これほど喜んでくれたのが意外だったし、嬉しかった。

2. 贈りもの合戦

 ギルガメッシュは、アルトリアがプレゼントの費用を捻出した方法を聞いて目眩がしそうだった。
「だから小銭を少しずつ貯めて」
 アルトリアは事もなげに口にしたが、ギルガメッシュの胸は締めつけられた。
 生前、贅沢の限りを尽くしたギルガメッシュから見れば、今の生活は申し訳ないほど質素でさえあった。もちろん世間的にはじゅうぶん裕福だと知っているし、貴族のような重荷を背負いたくもない。
 しかしアルトリアにはもっとよい暮らしをさせてやりたいと思っている。
 それなのに、アルトリアは大して渡してもやれない──ギルガメッシュはそう思っているが、一般常識からいえば、夫人が自由にしてよい金としては高額だった──小遣いの中から、さらに切りつめて貯金してくれたというのだ。
 彼女がどうしてそんなことが出来るのか、その理屈は分かっている。
「ほら、私は自分で稼いでいるわけではないから、あまり良いものを贈れなくて申し訳ないのだが」
 彼女がはにかみながら言ったとき、確信した。
 彼女の頭の中は王であったときのままなのだ。彼女は鐚一文であっても、それが自分のもの●●●●●とは考えない。彼女にとっては国庫の金だ。おそらくギルガメッシュの稼いだ金もその感覚で扱っているのだろう。
 なにしろ、自分の財布を持ったことのない●●●●●●●●●●●●●●女なのだから。
 だからギルガメッシュは思いついた。
 少額とはいえ、アルトリアは金をコントロールしてみせた。彼女は管理ができるのだ。ならば彼女に任せてみてもいいのではないか。


 ほどなく、ギルガメッシュはアルトリアにロンドン市内の雑貨店を経営してみないかと提案した。
「何故だ。忙しくて手が回らぬか」
 アルトリアが驚いた顔をする。ギルガメッシュは彼女に頷いてみせた。
「それもある。株と石油の投資は今が勝負だ。油田の買付でここにおらぬことも多いゆえ、大家が務まらぬ」
「会社のものに頼んではどうだ」
「奴らは投資の専門家ぞ。小間物屋なぞ任せられぬわ」
 わざと肩をすくめてみせると、アルトリアが真面目な顔に変わった。
 アルトリアは舞踏会の招待状を山と積み上げ、返事を書いているところだった。彼女は日本で調達してきた和紙や千代紙の封筒を使って返事を書く。これを思いついたのはアルトリア自身だった。日本では珍しくもない折紙だが、欧州では手に入らない。この紙欲しさに茶会の招きを出す者もいるほどだった。
 ギルガメッシュはデスクの上から、ついと色鮮やかな千代紙の封筒を取り上げた。
「そら、これだ」
「折紙がどうした」
「そなたがよいと思う物を売ってみよ。そのかわり家賃はそなたのものぞ。どうだ、やってみぬか」
 アルトリアはギルガメッシュの顔を見上げて思案する。彼が忙しいのは知っている。彼は小さな貿易会社も経営していて、日本やイラクの珍しい物を売る店を開いていた。そこは万博以降の東洋趣味を繁栄して好調だ。
 商人なぞしたことがないが、こちらの人は日本の物をなんでも珍しがる。私でも、ある程度は回せるかもしれない。
 アルトリアはギルガメッシュを見上げたまま頷いた。
「やってみよう。貴方の助けになるなら、それでよい」
「では明日、店子たなこに挨拶して登記を書き替えよう」
「分かった」
 こうしてアルトリアは初めて、軽い気持ちで、ちょっとした事業に乗りだした。
 ギルガメッシュには彼女が成功するという確信があった。アルトリアが目を付ける物はたいていロンドンでよく売れたからである。時代は違えど、彼女はこの国の民であり、この国の人々が好む物が分かるのだった。
 店子の店主は経営者が若い女性になるということで驚いていたが、アルトリアと話すと妙に信頼したらしかった。
「いや。お若い奥様ですが、しっかりした方で。条件も変わらないというお話ですから安心しました」
「ならば、今まで通り頼むぞ」
 ギルガメッシュに店主は頷き、契約名義変更の書類にサインした。
 ギルガメッシュはアルトリアに店という形で財産を贈ったつもりだった。しかしアルトリアは全く分かっていなかった。彼女はせっせと稼いでギルガメッシュに貢献しようという心積もりであった。
 アルトリアが任された店はハイドパークの近くで高級住宅街にある。ホテルからさして離れていなかったので、アルトリアは足繁く店に顔を出すことから始めた。
 すぐに女性が多く立ち寄ることに気づいた。小さな店で、安全な地域にあり、いかがわしい雰囲気もないので、富裕層の娘たちが入りやすいのだ。さらに社交界では無闇に東洋の物が尊ばれ、自慢の種であるという理由もあった。
 アルトリアは同じ紙だけ束ねた便箋と封筒の売り方を変えてはどうかと打診した。それぞれ便箋と封筒を数種類ずつ組み合わせて束を作り、値段を均一にしてみた。
「これなら娘の小遣いでもたくさんの種類が買えるから人気が出るのではないかと思う」
「しかし、少しずつですと、お手紙の途中で紙が変わってしまう可能性が」
 店主が不安げにアルトリアの作った見本を見つめた。イギリスの感覚では何種類もの千代紙を束ねたレターセットは派手すぎるように思えたからだ。
 アルトリアは事もなげに笑った。
「心配いらない。これは正式な手紙に使うのではなく、茶会などで友達に気楽な返事を出すのに使うためのものだ。きちんとした手紙にこのセットを使うのは勇気が要るであろうし、同じ紙ばかりでは親しいお友達に同じ手紙ばかり出すことになってしまう。女性はそういったことを気にするのだ」
「なるほど」
 店主は納得するとアルトリアに逆提案した。
「では奥様、同系色でまとめたものと、カラフルなセットを作ったらいかがかと思います。女性は好きな色目がはっきりした方が多うございますから。どうでしょう」
 アルトリアは大きく頷いた。
「やってくれ」
 こうしてアルトリアの店では夜を徹してセットの作り直しが行われた。たくさんの紙を出して組み合わせを変えるのは店員総出の大仕事だった。
 しかし、これは大当たりだった。
 あっというまにジェントリ階級の娘たちの間で口コミが広がり、何箱もあったレターセットがひと月経たずに売り切れてしまう有様だった。
 封筒の次にアルトリアが閃いたのは、なかなか売れない着物の生地をリボンやコサージュに仕立てることだった。
 すぐに店主が職人を手配して、アルトリアの言う通りに、袋縫いのリボンをたくさん作った。
 アルトリアにしてみれば、日本では誰もが使っている髪飾りに過ぎなかった。和髪に結い込んだり、洋髪を飾ったりする姿を普通に見ていた。しかし、これも大変な評判で、造花の職人に依頼して作ったコサージュも、高額であったにもかかわらず、飛ぶように売れた。
 もちろん、他にも売れる商品はたくさんあったし、もともと業績のよい店であったが、アルトリアが経営に携わってからの売上は右肩上がりであった。
 こうなるとアルトリアの懐に入る金も増える。
 アルトリアは自分の口座に入る金を確認して、仰天したほどだった。
「3ポンド12シリング!?」
 家賃だけなら3ポンドなのだが、特に売り上げが好調な場合、金額に応じて家賃が上乗せされるよう、ギルガメッシュが契約していた。3ポンドだって女性の小遣いとして高額だが、さらに稼げると分かってアルトリアは自信がついた。
 アルトリアの目的は一つ。
 ギルガメッシュに乗馬の装備一式を贈ることであった。なにしろギルガメッシュは馬に乗ったことがない。彼は馬を飼ってはいたそうだが、乗るものではなかったと言っていた。では、さまざまなものを私が見立ててやらなくては。
 アルトリアが意気込むのも無理はない。
 あまりにも頭の切れる夫と暮らし、彼になにがしか教えてやれようとは思ってもみなかったからだ。元来が、若者をスカウトして育てては騎士に仕立てていたアルトリアである。意外と教えたり、面倒を見たりすることが嫌いではないのだった。
 アルトリアは最初の家賃収入で、ギルガメッシュの乗馬靴と鞭を新調した。どかんとダイニングのテーブルに置かれた箱二つにギルガメッシュは目を見開いた。
「合うと思うが、最初は少し痛いかもしれないと職人が言っていた」
「……ああ」
「さ、開けて試してみるがよい」
 胸を反らしてアルトリアが見上げる。すっかり上機嫌である。ギルガメッシュは仕方なく、だが、やはり嬉しくブーツを履いてみた。鞣し革のブーツはアルトリアのものと揃いのように輝き、引き締まったギルガメッシュの足をますますすらりと見せた。踵の部分が全く当たらず、とても履きやすい。
「これはいい」
 思わずもれた言葉にアルトリアがぱっと笑った。
「そうであろう! 踵を柔らかく作ってくれるよう頼んだのだ。普通ならば危ないが、貴方は大丈夫だと思って、あえて芯材を薄くしてもらった」
「なるほど」
「鞭も貴方の持ちやすい長さにしてもらった。さ、持ってみよ」
 ブーツを履き、鞭を持ったギルガメッシュの颯爽とした姿にアルトリアは大満足であった。
「うん、よく似合う」
 アルトリアに笑いかけられれば、ギルガメッシュも悪い気はしない。
 だが、これを彼女が買ってきたのは家賃が入ったからだと分かってもいた。そもそもギルガメッシュは、アルトリアも自分の金が入り用であろうと思って店を贈ったのだ。その金をアルトリア自身ではなく、オレのために使うとは。女なら細々としたものが欲しいであろうと思うのだがなあ……これでは意味がないではないか。
 夜、腕の中で眠るアルトリアの顔を見つめてギルガメッシュは悩ましかった。
 だから、さらに手を打った。
 その日もアルトリアは礼状書きに忙しかった。ギルガメッシュは隣のテーブルで株価動向の分析をしていたが、ふいと彼女の後ろに立った。
「なあ、アルトリア。そなたの店が上手くいっているそうだな」
「御陰様でな。そうだ、来年の仕入れは私が関わってもよいだろうか」
 アルトリアがデスクから顔を上げる。彼女の文机ライティング・デスクは女性らしい小間物と女性らしからぬ書類の束が混在するようになっていた。
 ギルガメッシュは明るく頷く。
「ああ、任せる。集計なぞは店主に聞け」
「そうする」
「それでな、アルトリア。そなたに家を一軒、任せたいのだが」
 ギルガメッシュの言葉にアルトリアがきょとんと瞬きした。
「何?」
 ギルガメッシュは腰に手をあててアルトリアを済まなそうな顔で覗いた。
「プリムローズ・ヒルの家だが、新しい店子が未亡人でな。挨拶に顔を出すなら女性の方が角が立たぬ。いっそ、そなたを家主にしておこうかと思うのだが、どうだ?」
 別にアルトリアは一日、遊んで暮らしているわけではない。世間の人から見れば気楽な御身分のアルトリアだが、彼女がたくさんの仕事をしてくれていることをギルガメッシュは知っている。なにしろ社交は彼女に丸投げ。たくさんの礼状が飛びかうロンドンの社交界では手紙を書くのは立派な仕事だ。裕福な女性は祐筆ゆうひつを雇ったりするが、アルトリアは全て自分でこなしている。婦人会の集まり、茶会への参加、もちろんギルガメッシュと連れ立って晩餐会や舞踏会へ出かけるのも三日に一度のハイペース。彼女はそのたび、服を仕立て、着飾らなくてはならない。
 おまけに雑貨店の店主まで兼ねているのだから、大した働き者である。
 家主にそれほど仕事はないが、精神的な重荷になる可能性はある。
 だがアルトリアは頷いた。
「貴方がそう言うなら。プリムローズ・ヒルだな。店子の女性の連絡先は? 私が挨拶に行こう」
「これだ」
 ギルガメッシュはアルトリアにメモを渡した。
 その後の彼女の行動も、ギルガメッシュを驚かせるものだった。
 家の改修を願い出た女性にアルトリアは快諾。職人を率いて、古い邸宅をすっかりきれいにしてしまった。女性が住むということで、アルトリアは花柄や落ち着いた壁紙を多用し、家の中を柔らかい色調で埋めつくした。家具などの修理も自分で手配し、手際もよかった。
 なるほど。彼女はそもそも王だったのであるから……
 アルトリアの仕事ぶりを見ながら、ギルガメッシュはにやにや笑う。自分の目に狂いがなかったことと彼女の活躍が嬉しいのである。
 アルトリアが改修した家を見ると、未亡人の女性は目を丸くしたのだという。
「素敵。本当にお家賃は前のままで宜しいの?」
「はい、構いません。気に入っていただければいいのですけど」
「もちろん。気に入りましたとも。こんなおうちで老後を過ごせるなんて、初めて引退してよかったと思えましたわ」
 なんでも女性は家政婦ハウスキーパーだったのだそうで、若い頃に夫を亡くしたという。家賃は月に1ポンドと1クラウンと安くなかったが、お屋敷から年金が出るそうで支払に問題はないという。
「メイドをお雇いになりますか」
「そうですわね。一人では少し広いから」
「小さいですが庭もあります。なんでも好きに植えてください」
 アルトリアの言葉に女性は頷いた。彼女は小さな薔薇の鉢を提げていた。
「薔薇をねえ、お屋敷の御主人が下さったんですよ。長く勤めてくれたお礼だと言って。なんだか変なお話ですけど、何よりも嬉しかったんです。とっても綺麗な花ですの。咲いたら手紙を差し上げます。どうぞいらして」
「はい。ありがとうございます」
 女性はぎゅっとアルトリアの手を握ったという。
 アルトリアが一連の事情を楽しそうにギルガメッシュに話す。何もアルトリアは親切心だけで改修したわけではなく、きちんと考えがあった。
「そもそも、あの家は古いから買えたわけだろう?」
「左様」
 ロンドンの人口過密は歴史的なレベルに高まっていた。どこもかしこも家賃が高騰し、広い家などありはしない。貴族でさえ、見合った邸宅を持てないほどだ。それで住宅街は郊外に広がっていた。イギリスに来て間もないギルガメッシュことギル・スミス氏がプリムローズ・ヒルという結構な場所に一軒家を購入できた理由は、邸宅がすでに古く改修の必要がありすぎたからであった。改修費用を捻出できない前の家主が売りに出し、ギルガメッシュはそれでもそれなりの額で買い取ったというわけだった。
 ギルガメッシュは少し首を傾げてビスケットを割った。
「改修費用を返すとそなたは申すが、構わぬ。もともと投資の必要はあった」
「いいのだ。私に考えがある」
「ほう?」
 ギルガメッシュが視線を流すと、彼女はマフィンをぱかんと割ってたっぷりと苺のジャムを挟んで閉じた。
「あのように改修したのは訳がある」
 アルトリアは少しばかり得意気であった。
「申せ。聞いてやる」
「あの家は女性専用の物件として貸し出そうと思う」
「ほう」
 そもそも働く女性が全て結婚して退職するとは限らなくなった時代だった。一人で老後を過ごす富裕な女性がいるのだが、彼女たちが安心して住める物件は少ない。家賃の安い場所は危険だし、さりとてあまり街の中心部から離れても住みづらい。プリムローズ・ヒルはその兼ね合いのとれる場所だった。
「マダム・ウィックリーはきれいな薔薇を植えてくれるそうだ。小さな庭を持ちたがる女性も多い。長く人に貸せるなら元が取れる」
「ふむ」
 ギルガメッシュは納得顔で目を伏せる。彼女のアイディアは非常に先見の明があると思った。アルトリアは子供のようにジャム入りマフィンを愛しているが、彼女には他者が求めていることを敏感に感じとる施政者としての繊細さがあるのだった。ギルガメッシュは乗りだした。
「相分かった。では事のついでだ。ウォラムの貸部屋もそなたに任せる。同じように運営してみよ。ちょうど今の借り主が女性三人組だ。どうだ」
 するとアルトリアが困ったように、だが楽しそうに微笑んだ。
「もう一軒も二軒も同じだ。引き受けよう。人の役に立てるなら、やはり楽しい」
 彼女の晴れやかな顔にギルガメッシュは胸を突かれる思いだった。
 ああ、やはりそなたは一国の王よ。
 思わず、あごを引き寄せて口づけする。
 彼女がこれからどう行動するか、ギルガメッシュは楽しみにしていた。思い通りになる女ではないと知っていたので。

3. 月収5ポンド1クラウンの女

 しばらくアルトリアはギルガメッシュをぎょっとさせるような買いものはしなかった。ときどき社交仲間と出かけてハロッズで菓子を買ったり、美しいリボンを少しばかり買ったりしていた。その都度、必ずギルガメッシュに買ったものを見せて報告する。ギルガメッシュは気にしないが、アルトリアはそうする義務があると考えているらしかった。
 いまやアルトリアは月に5ポンド以上の収入があり、貴族の奥方だって、これほどの我がままは出来ないだろうほどだった。
 ギルガメッシュは、彼女が自分で馬車を呼んで出かけたりするのを、微笑ましく見つめた。生前、我慢に我慢を重ねた娘が、楽しくのびのびと生きているのが嬉しかった。明るいアルトリアの顔を見るだけで、ギルガメッシュは生きる意味と仕事への意欲が湧き上がる。
 毎年、ロンドンには三月か四月から、八月いっぱいまで滞在する。
 その年も冬木に帰る季節が近づいていた。
 ある日、ギルガメッシュがホテルに帰ると、ちょうどロビーで馴染みの職人たちと一緒になった。
「これはミスタ・スミス。御注文のお品ができあがりましたので納品に参りました」
「注文だと?」
 彼らは馬場で紹介された馬具職人たちで腕がいい。ギルガメッシュよりも、むしろアルトリアが贔屓にしている。
 まさか……
 頭に浮かんだ想像を打ち消そうとしたが、彼らがひと抱えして運んでいる箱に入りそうなものといえば、それしか思いつかなかった。
「はい。奥方さまの御依頼で」
「……やはりな」
 肩をすくめるギルガメッシュに職人たちは怪訝な顔をした。ギルガメッシュは手を挙げてドアボーイを呼ぶ。
「これを上へ持て。そなたらも来い。重いものを運んできたのだ。茶の一杯も賜わそうに」
「は、はい」
 職人たちは目を丸くしたが、一同揃って頭を下げた。
 ギルガメッシュの指示でバトラーが茶を用意し、彼らは一様に本物の祁門キームンと極上の柑橘焼菓子ライム・シンを御馳走になった。
「来月には日本に戻る。だが来年もこちらには来ようから、そのときも宜しく頼む」
 ギルガメッシュにもてなされると彼らは誇らしげであった。スミス夫妻が貴族でないにしても、本来であれば住む世界の違う人間であり、その彼らを歓待するギルガメッシュの鷹揚さ、懐の広さは特筆すべきものだった。
 だがギルガメッシュも考えなしに茶会を催すわけではない。
 彼らの親しいお喋りの中で、アルトリアが如何にとんでもない買いものを成し遂げたか、すっかり判ってしまったのである。
「ありがとうございました」
「どうぞ来年も御贔屓に」
 帰っていく職人たちを見送ってギルガメッシュはため息をついた。
 さて。あの娘に何と言い聞かせるべきか。
 ギルガメッシュが思案しているうちに、窓の外に馬車が着いた。上から見ていると、淡い桃の実色ペーシュの麻のドレスに身をつつんだ小柄な少女が降り立った。袖口や裾、胸元につけられた幅広のレースの下に白い肌が見え隠れする。彼女の柔らかい金髪がドレスに映え、緑の瞳は鮮やかに光をはじく。彼女が見上げたので、ギルガメッシュは手を振ってやった。
 彼女が何か言っている。ここまで聞こえるわけもないのに。
 すぐに彼女がホテルの建物に飛びこんだ。
 ギルガメッシュはやれやれと肩をすくめた。ほどなく彼女が部屋に現れた。
「帰っていたのか、ギルガメッシュ」
「ああ」
「お」
 考えるまでもないことだったが、アルトリアが部屋の隅に置かれた箱に目を留めた。
「そなたが頼んだものだそうだな。開けてみてはどうだ」
 それがオレ宛のものだということは、もう知っているのだがな。ギルガメッシュは言葉を呑む。だがアルトリアは夫の微妙な態度に気づきもしない。いそいそと箱に駆けより、しゅるりとリボンをほどいた。
「おお、よい出来ではないか」
 アルトリアが箱の中から担ぐように取り出したのは、鞍であった。彼女はギルガメッシュの前、床に直接ことんと鞍を置いた。
「貴方の鞍を作ってもらった。さ、試してみよ」
「……」
 試すといって、どうしろというのだ。ギルガメッシュは眉をしかめて首を振った。
「アルトリア、話がある。座れ」
 ギルガメッシュが長椅子の背をぽんと叩くと、彼女は大人しく、そこに座った。ギルガメッシュはいつものように隣に腰を下ろす。ダイニングテーブルがあるのに長椅子を指定したのは向かい合わないためだった。面と向かうと喧嘩になりそうだった。
「アルトリア、そなたは自分の買いものはせぬのか」
「何のことだ」
 ギルガメッシュはぽふぽふと絹張りの肘当てを指で叩いた。
「そなた、これを買うのにいくら使った」
「大した額ではない。貴方が不動産を譲ってくれたので買うことができた。ありがとう」
 にっこりと微笑むアルリトアを肩越しに見下ろして、ギルガメッシュは大きくため息をついた。
 そんなはずがない。鞍を誂えるとなれば10ポンドは堅い。それにアルトリアは目が肥えていて、半端な革や素材は使わせない。要は最高級の鞍を作ったに決まっている。ならばさらに出費した可能性もある。おまけに彼女は毎月1ポンドずつ律儀にギルガメッシュに金を返していた。言うまでもないが、プリムローズ・ヒルの家の改修費用である。たった三月の間にそれだけの金を捻出するとなると、彼女の手元に大した金が残るはずがない。
 実にギリギリの生活をしていたはずだ。
 しかし彼女はギルガメッシュに金の無心はしなかった。
 それが分かるとギルガメッシュは腹立たしくて仕方がない。彼女が楽しく暮らしていると思った自分を許せない。
「そうではあるまい。そなたは自分の物なぞ、ほとんど買えなかったのではないか」
「いや。別に」
 きょとんとするアルトリアが嘘をついているようには見えない。彼女は嬉しそうにギルガメッシュを見上げた。
「私は貴方に何か買ってあげたかったから、とても楽しい」
「それは違う」
 言ってしまうとアルトリアが怪訝な顔に変わる。ああ、そんな顔をさせたいわけではないのに! だから自分に腹が立つ。
「そなた、冬木では団子だ、水菓子だと細々に物を求めるではないか。こちらでも茶だの菓子だの好きに食いたかろうに」
「ああ」
 アルトリアがぱっと笑った。
「それは日本だからだ、ギル」
「は?」
「ロンドンでは婦人だけで立ち入れる店なぞ限られている。だが日本では私が一人で店に入っても誰も何も言わぬから。あちらの方が気安いというだけだ」
 ああ、オレと出掛けたかったのか! 頭に浮かんだ考えを抑えつける。そうではない。オレが言いたいのはそういうことではない。ギルガメッシュは額を押さえて頭を振った。
「これでは意味がない」
「何が」
「こうではないのだ」
 ギルガメッシュが思い描いていたのは、アルトリアが何不自由なく、誰に気後れすることもなく、本来の彼女に相応しく振る舞えるようにすることだった。つまり本当はブリテン王たる彼女が、少なくとも金銭面では遠慮せずにすむようにと。
 そもそもアルトリアは自分の鞍を持っていない。それなのに、ほとんど初心者のオレに鞍を作って、どうするのだ。そなたこそ鞍を持つべきであろうに。
「こんな買いものばかりしていたら、そなたは自分のための買いものなぞできまいに。何故なにゆえこんな馬鹿げたことを。何のために賜わしたやら分からぬわ」
 大仰なため息をつくギルガメッシュに、アルトリアがかちんと来た。
 アルトリアは自分にできる一番よいことをしているという確信があった。
「考えなしと言いたいのか。どうせ私は考えるのが苦手だ。貴方のように社会に順応できないし、切り抜けられもしない。貴方から見れば愚か者だろう。でも、それでも、私は貴方の役に立ちたい●●●●●●●●●●●! あまりにも高い買いものをしたと言いたいのか、無駄遣いだとっ」
 アルトリアがぱっと自分の腕をめくり上げた。
 幅広いレースの下に実に値のつけようがない物が光っていた。それは腕時計──この時代は宝石商に特注して作りあげる一点物ばかり──金とエメラルドで女性がつけてもおかしくない丸みを帯びたデザインに仕上がっている。肝心の時計は楕円形で、田園の古城を焼きつけたエナメルに焼いて青くした針が光る。
「では、これはっ!? 私の贈った、たかがブーツと鞭の礼に、貴方はこんな高価なものを誂えてしまったではないかっ」
 ギルガメッシュがぎりっとアルトリアを睨みつけた。
「たかがと申すか! このオレが賜わせし物を軽んずるか、そなたも喜んでくれたではないか」
「ああ、時間が判るから仕事がはかどる。こんなに素晴らしい贈りものはないと思う。返礼なしでいられるはずがない。私が言いたいのは」
 アルトリアが小さな背中を反らして胸を張る。彼女は少しも退かなかった。
「貴方も私のためにばかり金を使っているではないかということだ!」
オレがそなた以外のために稼ぐわけがあるまい! 何を今更、馬鹿げたことを……」
 怒りのあまり、ギルガメッシュは言葉が途切れる。あえてアルトリアの顔を見ないよう前を向いていたが、彼女が息をつめて言葉を聞いているのは分かっていた。ギルガメッシュは低い声で囁いた。
「そなたのため以外に何を求めるというのだ……さっぱり分からぬ」
 言ってしまって、あっと思った。
 アルトリアがもじもじと靴を動かしている。俯いている彼女の様子が気になる。だが見ることができない。ギルガメッシュはじっと膝の間で手を組んだ。
 オレも彼女も同じではないか。
 彼女も気づいた。
 オレの馬鹿げた苛立ちの要因に。
 なんということだ。馬脚を現したのはオレではないか。
 居住まい悪く座っていても仕方がない。ギルガメッシュは切り出した。
「互いの贈りものに上限を設けよう。それより高額な物を購入するときは互いに相談する。それで、どうだ」
 アルトリアの答えがしばらくなかった。大した時間ではなかったと思う。ほんの十秒か、そのくらいだったはずだ。しかし長く感じた。ややあって美しい声が頷いた。垂れた金髪がゆらりと視界を遮った。
「よい考えだと思う」
「そうだな。せいぜい10ポンド程度でどうだ」
 アルトリアはぱちっと瞬きした。ああ、つまり今回の私の行動は認めてくれたのだな。そう分かった。鞍はちょうど10ポンドだったので。彼にその程度の値踏みが簡単なことも分かっている。
「心得た。約束は守る。私は騎士だ」
 アルトリアが手を差し出すと、やっとギルガメッシュが目を合わせた。その赤い美しい瞳は少し傷ついたように見えた。彼の手がそっと両手でアルトリアの手をつつんだ。
「そなたを愚かと思ったことはないぞ。ならば妻に迎えぬ」
「でも」
 アルトリアが俯こうとすると、彼の手がきゅっと手を握って顔を上げさせた。
「それとな、贈りものはゆえのある時に限るというのはどうだ。始終、贈りあっていてはキリがなかろう」
「なるほど」
 アルトリアは微笑んだ。ギルガメッシュも微笑んでいた。二人はぎゅっと手を握りあった。
「故のある時とは? 今回のように贈りもののお返し、というのは無しになるのであろうか」
「そうだ」
「では、何の故があればよい? 誕生日? 結婚記念日? それとも?」
 二人にとって誕生日とは全く無意味なものだった。まず二人とも自分がいつごろ生まれたか、さえ知らなかった。しかも生前の暦が現代と違いすぎて調整も判らない。ギルガメッシュもアルトリアも誕生日なぞ意識したこともなかったのだ。
 さらに結婚記念日もあやしいものだった。
「普通の人間のような記念日は意味があるまい。おそらく」
 ギルガメッシュが呟いてしまうと、アルトリアも困ったように肩をすくめた。
「特別な日というのなら、私の国では春分は大切な祭だった」
オレの国もそうだ。春分は新年の始まりであった。面倒な行事が目白押しであったぞ」
「では、春分の日を互いの誕生日にしよう」
 アルトリアがギルガメッシュの手を引き寄せる。ギルガメッシュはどきっとした。彼女の顔が間近に迫って、柔らかな緑の瞳に吸いこまれそうな気がした。
「日本では新年に一つずつ歳をとると聞いたではないか。ならば私たちも春分を互いの新年として、その日を誕生日の代わりにすればよい」
 アルトリアの笑顔につられてギルガメッシュも表情が明るくなった。
「妙案ぞ。認める」
「だが一年に一度きりでは寂しいな」
 アルトリアがあごに指先をあてて思案顔だ。彼女が首を傾げると金髪がゆらりと夕日を遮った。
「実は、この三月ばかり、とても楽しかったのだ。その、何を贈ろうか考えたり、実際にどう贈ろうか考えたり。外交のことなぞ気にせず、単純に贈りものをするというのが、私は楽しかった」
 いきいきとしたアルトリアの笑顔は、ギルガメッシュにとってまさに宝だった。彼女が微笑んでいてくれることが幸せだった。だから頷く。
「よかろう。後はいつにする」
「クリスマスはどうだ。一応、今のブリテンでは重要な行事になっているし、クリスマスにプレゼントをしない者はいないから、変わった物も店頭に並ぶ」
「よい。許す。これからは春分の日とクリスマスに互いに贈りものをすること。それ以外の時は互いに尋ねてから買いものをする」
 アルトリアが頷いて、ギルガメッシュの手をまた握った。
「約束だぞ」
「ああ、我が妻との規約だ。誓って守ろうカ・イ・レダ・ケシュ
 ギルガメッシュが笑って唇を重ねあわせると、アルトリアが驚いたように身体を硬くする。それでも優しく唇を割ると彼女は抵抗しなかった。少しばかり甘い唇を貪ると、アルトリアがふいに顔を逸らした。
「あのっ、あのだ、なっ」
 もう息が切れてしまうアルトリアが可愛くて仕方がない。
 ギルガメッシュはアルトリアを抱いて耳元で囁いた。
「なんだ」
「そのっ、鞍をだな。明るいうちに試した方が」
「鞍?」
 アルトリアが指差す先に床におかれた鞍がある。ギルガメッシュはちらりと見やって、今度は唇を歪めた。
「そなたに聞くぞ。あれにオレが跨ったらどうなるというのだ」
「揺れないところで試した方が良し悪しが」
「そなたの前で床におかれた鞍に幼児のごとく跨れと申すかっ、できるか、たわけ」
 肩に顔をうずめるギルガメッシュを抱いてアルトリアはため息をつく。とにかくまだ明るいのだから、その、このまま雪崩れこむのを避けたかったのであって。
「それでは明日、馬場に行こう。時間がとれるか」
「そなたの誘いを断るほど愚かではない」
 ああ。アルトリアは目を閉じた。すうっと身体が押し倒される。結局こうなるのか……でもアルトリアは逆らえない。逆らわないのかもしれない。だって私は、結局、彼を好きなのだから。


 翌日、馬場でギルガメッシュは初めて自分の鞍に跨った。そもそもアルトリアの方が馬の扱いから馬具の見立てから全て優れているのであり、当然、鞍もはずれていなかった。
「どうだ」
 不安げに見上げるアルトリアをギルガメッシュは馬上から見て目配せした。
「とてもよい。そなたも自分の鞍を注文していくがよい。払いはこちらが持つ。気に病むな」
「よいのか」
「許す」
 ギルガメッシュは手綱を振って馬をアルトリアから離す。基本的な手綱さばきはもう覚えた。
「遠慮なく頼んで参れ。受け取りは来年になるであろうが、まあよかろう?」
 微笑むギルガメッシュにアルトリアが頷いた。
「ああ。行ってくる」
 乗馬用の黒いドレスを翻して、アルトリアが馬場の裏に走る。あちらに蹄鉄打ちの職人がいて、馬具の注文などにも応じてくれるのだ。
 八月の終わりとともにスミス夫妻はロンドンを離れた。しかしホテルの部屋は借りっぱなしだ。たくさんのドレスや靴、細々とした生活品、ギルガメッシュのスーツなど、日本で使わない物はホテルの部屋に置いておく。
 そして何より、二人が注文していった、たくさんの服や道具がホテルの部屋に運びこまれることになる。商品の受け取りはホテルに一任してある。
 もちろんアルトリアの鞍も。
「これらの面倒をかけるが、宜しく頼むぞ」
「かしこまりました。早のお越しをお待ちしております」
 アルトリアに書き置きを渡され、微笑まれると、部屋付きのバトラーが畏まって一礼する。服に虫が付かないようにしたり、定期的に馬具や銀器を磨いたり、実はスミス夫妻がいなくてもバトラーは大忙しだ。
「また来年」
 ホテルを去るときも二人は少しも寂しくない。もう頭の中で来年の春に飛んでいることもあるからだ。
 桜が散ったらロンドンへ──
 それがスミス家の一年の始まり。

ノンカップリングですが、終盤はギルガメッシュとアルトリアが活躍する、こちらも宜しくお願いします。

少年のままのウェイバーが再び英雄王と対峙する、お話はこちら。


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