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金剣ミクソロジー②St. Valentine

Fate/Zero二次創作です
注意点
※アルトリアとギルガメッシュが第二次聖杯戦争の後も現界してるif設定
※ギルガメッシュの求婚にアルトリアさんが応えて、二人が夫婦という金剣ドリームです
※ギルガメッシュはアラブの石油王、アルトリアさんはイギリス随一の実業家&馬主(not JRA)に成り上がっています

     St.Valentine

 ギルガメッシュは街を歩きながら首を傾げる。
 いつから日本で、ヴァレンタイン・デーが、これほど大きな催しものになったのだろうか。
 見慣れた街の大通りは、そこかしこにハート型にくり抜かれたピンクの紙がひるがえり、どの店も入口に同じ広告を貼りつけている。品のないピンクのモールが冬枯れの幹をうようよ走り、けばけばしいことこの上ない。
「ふん」
 ギルガメッシュは横目で広告を見やって肩をすくめる。
 あれであろ。サン・ヴァランタンといえば恋人たちの守護聖人。オレとアルトリアには関係ない話だ。なんとなれば、オレとアルトリアはすでに夫婦めおとで、恋人なぞではないのだから!
 第二次聖杯戦争で現界げんかいしてより、百有余年。二人は長く世界を股にかけ、かつての地位に近づいている。ともに実業家で富裕であるが、生前と違うのは王族としての責務からは解放されていることだ。
 ともに王だった二人は手に手をとって、あるいは互いに競い合い、世界の頂点に駆け上がってきた。
 今日のギルガメッシュは無染色のカシミアのチェスターフィールド・コートに揃いの手袋。チャコールグレイのスラックスはフラノで軽快な感じがあり、足元は黒のチャッカブーツ。襟元は鮮やかな赤のセーターに桜色のストールをふわりと結び、彼の赤い瞳と金髪を引き立てる。しかし彼は目立ちすぎる瞳を色の薄いサングラスで隠していた。それは彼をミステリアスに見せた。顔を隠してなお人目を惹く。それほどに彼は美しかった。
 ギルガメッシュはふらふら通りを散策しているだけだが、彼の行くなりについて歩く女性もいた。
 しかし当のギルガメッシュはそんなことには、お構いなしだ。
 彼は風にはためくピンクの広告を見上げて眉をしかめる。
 ヴァレンタイン・デーか。
 平日だというのに人出が多い。多くの女性が色鮮やかな紙袋を手に手に提げ、行き交う様は賑やかだ。
 ギルガメッシュは不意に立ち止まると、ひょいとデパートの入口に方向転換した。入口の扉を開けた瞬間、次々に声がかかる。
「いらっしゃいませ」
「チョコレートの御試食をご用意してございます」
「日本初上陸のショップでございます、いかがでしょう」
 彼らは商売に必死なだけだ。大衆は扇動されているだけだ。ギルガメッシュには冷徹な認識がある。にもかかわらず、彼は気もそぞろだった。華やかな贈答用の小物が並ぶ店内をギルガメッシュは見るともなく見る。
 なんとなれば彼は、アルトリアにプレゼントしたいという、猛烈な衝動に襲われていたからだった。
 衝動という表現は正しくないかもしれない。何故なら彼は潜在的にアルトリアに何か贈りたい欲求を持ち続けていたからだ。しかし二人の間には古い約束が存在していた。互いの誕生日とした春分の日とクリスマスに互いに贈りものをする。それ以外の贈りものは互いに確認してからにする。これは長い間、二人の間で守られてきた。故にギルガメッシュは一年二回のチャンスにこれでもかと趣向を凝らし、自らの欲求を発散しているつもりだった。
 だが、まあ。何の気なしの贈りものというのも悪くないかもしれぬではないか。
 要は妙に高価な贈りものをして、あれに気詰まりな思いをさせねばよいということだ。
 ギルガメッシュは頷いた。
 決めてしまうと彼の思考はすばやく回転した。
 ただ彼は日本特有のバレンタインデーの習慣には疎かった。彼は自然にヨーロッパでのそれを想起した。つまり男性が女性に贈りものをする日であり、その定番品は花束と気の利いた贈りもの。非常に親密な場合は下着もありといったところ。
 花は分かるぞ。
 ギルガメッシュは一階にある花屋のウィンドウをチェックした。恐ろしく整った長身の外国人が覗いたので、中から店員が緊張して見つめ返す。ギルガメッシュはちょっと肩をそびやかせて、お目当ての花があるのを確認した。
 アルトリアにとって春の花といえば、何といっても水仙だ。しかし切り花として部屋に飾るのを好むのはフリージアだ。色は白。確かに彼女によく似合う。
 店内の大きなステンレスの容器に、あふれるほど白のフリージアが挿してある。
 よし。
 ひょいとギルガメッシュはきびすを返して店内に戻る。さて後は気の利いた贈りもの。さして気にも留めずにすむ日用品か、あるいは、あれが欲しがりそうなものがよいわけだ。
 ギルガメッシュは気のおもむくまま、店内を歩きはじめた。
 なにがしか目当てのものが、すぐに見つかる。そんなふうに思っていた。
 だが、改めて考えてみると、これは難問だった。
 まず思いついたのは服や宝飾品だ。だが衝動的に買っていける額では、彼女がふだん着ているものにも及ばないのに気がついた。アルトリアも事業を回しているため、自身でかなりの収入があり、欲しいものは何でも自分の金で買う。馬とか、城とか、あるいは土地といった高額な買いものをするときは必ずギルガメッシュにも了承をとるが、それこそ気兼ねのない服やアクセサリーは知らないうちに増えるのが常であった。それでも、ちょっとしたサラリーマンの月給三カ月分が吹っ飛ぶようなものであったりするわけだが。そのぶんアルトリアは買った物を大切にするし、自分で納得したものしか買わない。そんな彼女に喜んでもらえるような安価な服というのは、そもそも難儀な話であった。
「ふむ」
 ギルガメッシュは服飾品のフロアから家具などを置いたフロアに上がる。
 そうだ。彼女はガーデニングが趣味だから、その道具を贈るというのはどうだ。思いついたときはよい考えだと思っていた。しかし、実際に売場を眺めて、彼女がどれを欲しがるか、見当もつかない自分に気づいた。
 彼女はたいていの道具を揃えていたから、売場にあるものは、どれも見たことがある。つまり、それは不要であるということではないか!? もう持っているものなら、自分なりに次に買うものや選ぶものを決めている可能性が高い。実際に扱うわけではない自分には正確な読みは難しいし、第一、彼女の欲しがるものがここにあるのか。
「ああ」
 ため息をついてギルガメッシュは売場を後にした。
 ではシーツやリネンの類か。それは共用品であって彼女のものではない気がする。食器は二人で選ぶものだから、勝手に買っていくのは気が進まない。ワインは死ぬほどセラーにある。
 食料品売場には、それこそ確実にアルトリアが喜びそうなものが、たくさんあった。
 菓子、極上のハムやソーセージ。チーズ。あるいは珍しい野菜や調味料を使って変わった料理を作るとか……いつもと変わらないではないか。
 ギルガメッシュはため息をつく。
 二人が名乗る偽称スミス家の台所をギルガメッシュが預かるようになって長い。最初は単純な思いつきだったが、そのまま続いて今に至る。
 それは、いつもやっていることだ。特別なプレゼントではない。
 第一、彼女を食いもので釣れると思っているような安っぽい男ではないのだ。オレは。
 ギルガメッシュは決然と地下食料品フロアに背を向けた。
 石鹸、ハンカチ、バッグ。靴。ありとあらゆるものを吟味した。そのどれもが彼女を満足させるとは思えなかった。最高級のフランドル・リネンのハンカチを愛用し、百年前のヴェネティアン・レースの日傘を差し、バッグも靴も気に入った職人に直接発注する彼女に何を贈れというのだ。思い余って下着というのも考えた。だが今更ながらにあざとい気がして踏み切れない。
 髪型も特に変えるわけでもないが、そういえば色のついたゴムはいろいろと持っているようだ。夜、彼女の髪をほどいてやるとき、ゴムを見ている。服に合わせた多様な色で、意外と細かいヴァリエーションがあるのは気づいていた。
 ああ。そうだ。
 あれは消耗品ゆえ、贈っても邪魔にはなるまい。
 ギルガメッシュは歩みを止めた。結論が出ると速かった。彼はあっというまにデパートを出て、通りを戻った。足早な長身の男性に目を奪われる女は多かった。とにかく彼の走る姿は颯爽と軽やかで、人目を惹かずにはいなかったからだ。
 ギルガメッシュは女子高生のたむろするファンシーショップに初めて入った。あのようなゴムはここで買うとアルトリアが言っていたのを覚えていた。そこはカラフルな文具や子供向けのアクセサリー、通学用の鞄、あるいはちょっとしたストールやマフラー、リボンなどが押しこまれた女の子の城だった。
 アルトリアの見かけは15歳のままだから、彼女がここに入ってもさして人目を惹かないだろう。
 しかしギルガメッシュのような大人の男、それも若くて整った顔の男が現れたとなると、店内の空気は一変した。妙に静まり返り、ギルガメッシュに視線が集中する。彼女たちはひそひそと囁きかわし、あるいは棚や陳列商品の影に隠れて、不審な、だが美しい男をちらちらと眺めるのであった。
「なんで」
「やだ、ちょっ」
「マジで」
 こそこそ囁かれる声などギルガメッシュの耳には入らない。
 いっそゴチャゴチャと整理のつかない空間で彼はゴムの売場を見つけだした。壁にずらりとカラフルなゴムがかかっている。それは虹色のグラデーションで壁を飾り、周りには小さな鏡が張りつけられている。ゴムの下にはさまざまなヘアアクセサリーが陳列され、女性がそこで色味を確認するのだろうと想像できた。
 アルトリアが好きなのは青だな。
 ギルガメッシュは水色や鮮やかなブルー、紺色などのゴムを手のひらに乗るほど小さな籠にぽいぽい放りこんだ。
 ゴムの色はギルガメッシュの想像以上に多かった。くっきりしたカラフルな原色があれば、オフィスで使うような地味な色目、ラメの入った光る色、あるいは穏やかなパステルカラー。
 つねづねギルガメッシュはアルトリアに靄のたなびくイメージがあった。水辺や雨の降る直前の湿った空気を連想する。穏やかで落ち着いていて、優しい風。ぼんやりと湿った空気を思わせるパステルカラーは彼女に似合うと思っていた。淡いピンクやクリーム色、あるいは柔らかなペパーミントグリーン。ベイビーブルーのゴムは二つ入れた。
 ラメの入ったものは、あまり見ないが、色目によっては似合うと思った。金色に極彩色のラメが入ったもの。銀系のラメゴム。紺色にラピスラズリのように金ラメが入ったものは上品にも思えた。
 いくつか選んで、最後にギルガメッシュは鮮やかなピンクのゴムを入れてやった。ギルガメッシュの感覚では絶対に似合わない。だが彼女は始終ピンクを着たがったり、ピンクのものを身につけたがる傾向があった。
 それほど欲しいなら、ピンクのゴムでもすればよかろう!
 ギルガメッシュはこんもりと小さな籠に満載されたゴムをレジに差し出した。
「プレゼント用にして欲しいのだが」
「袋のお包みになりますが、宜しいでしょうかあ」
 若い女性の店員が窺うような上目遣いで尋ねるのに、ギルガメッシュは鷹揚に頷いた。
「よきに計らえ」
「はあ。じゃあ、リボンのお色を選んでください」
 店員がレジ横に張りつけられたシールで留めるタイプのリボンの見本を指す。そこには赤、緑、紺、金色と並んでいた。
「紺がよい」
「かしこまりました」
 店員は訝るような調子で頷き、ゴムを花柄の袋に入れ、口をリボンで縛り、さらにシールでリボンを留めた。
 ラッピングを待つ間、ギルガメッシュはアルトリアの喜ぶ顔を想像して、彼にしては穏やかな顔をしていた。しかし長身のサングラスの男が大量のゴムを買う光景はあまり普通ではなかった。彼がラッピングを頼まなかったら、なお不審に思われたであろう。
「やば」
「きゃーっ」
 騒々しい女子高生の叫びも、今のギルガメッシュには全く気にならないのが幸いだった。
「お待たせしました」
 店員に包みを差し出されると、ギルガメッシュは意気揚々と店を出た。
 これで彼女を喜ばせられる!
 ギルガメッシュの頭の中は薔薇色の想像で膨れあがっていた。


 あの後、彼はデパートへ戻り、ステンレスバケツ一杯分のフリージアを全て花束にしてもらった。ひと抱えもある花束を抱いて、ギルガメッシュは深山みやまの坂道を登っていく。人気のない住宅地の通りに入ると、いっそうフリージアの香りが鮮明になった。
 これなら、さぞアルトリアも満足するだろう。今宵は、この香りの中で逢瀬が愉しめるというものだな。
 にやにやと笑いかけて、はたとギルガメッシュの足が止まった。
「約束……」
 元来がギルガメッシュは絶対的な存在だった。大王エンメルカルの孫にして王ルガルバンダただ一人の息子、母は女神ニンスン。ウルクにおいて、彼ほど完璧で恵まれ、何をしても許される存在はいなかった。彼は生まれながらの後継者であり、君臨者だった。
 だから彼は何事も思った通りに行い、振り返る必要がなかった。
 ただ一人の友エンキドゥ、あるいは奇跡の相手たるアルトリアに出会うまでは。
「そうだ、約束」
 二人は約束していた。春分とクリスマス以外の贈りものは互いに断ってからにする──
 ギルガメッシュはのろのろと花束に顔をうずめるようにした。
 あれは騎士だから、約束は絶対なのだ。彼女は決して約束を破らない。自分だけが約束を破ったのだと、唐突に気づいてしまった。突然、ポケットの中の包みと腕の中の花束が罪深いものに思われた。神聖不可侵なるものをけがしてしまったような気持ちで、ギルガメッシュはいたたまれなくなった。反面、ギルガメッシュは不世出の傑物であった。いかなる権威、伝統を前にしても退くことなく、己を貫く強靱さを持ち合わせていた。
 ギルガメッシュは花束をぐっとかかえ直す。ポケットの中の包みを手袋の先で確認する。コートのポケットの中でカサッというビニール特有の音がすると、彼は頷いた。
 約束を違えたことは詫びればよい。だが我が贈りものは彼女に贈るべきなのだ。そのために手に入れたのだから。
 ギルガメッシュの買いものは、彼の収入から見れば実にささやかなものでしかなかった。無駄遣いと言えない額だ。買ったものも、かさばるわけでなし、アルトリアが邪魔にするとも思えぬものだった。
 それでもギルガメッシュの心は重かった。彼女に対して信を破ったことが重かった。
 しかし逃げないだけの心の強さが彼にはあった。むしろアルトリアに全てをさらして怒られるなら、それでよいとさえ思った。
 あれはオレのことをどう思っているのであろうな。
 百年暮らしても、それが分からなかった。彼女は子供のようにとまどったり、べったりと頼ることもあれば、一人で何でもこなし、社交界では常に花形。人も羨む美しさと愛らしさ、人を引き寄せるカリスマを発揮してギルガメッシュを唸らせる。そんな彼女が自分を実のところ、どう思っているのかは不思議に分からなかった。
 愛してくれていると思う。
 最近、少しそう思えるようになった。
 でも彼女は自分のどこが好きなのだろう。顔? 財産? 性格? それはなさそうだと自分で思う。まさか夜の床での相性とか。それこそ考えられない! 料理だとか社会的地位だとかは後からついてきたもので、彼女が求婚を受け入れてくれたときには持っていなかった。
 ギルガメッシュは庭園の門を開ける。郵便受けを覗くと夕刊が抜き取られていて、彼女が家にいることが分かった。館にはぼんやりと明かりが点いている。冬の早すぎる日暮れの下で、石造りの古い洋館は温かなオレンジ色の光をまとっていた。
 あれがいてくれるから、そう思えるのだ。
 ギルガメッシュはいつも思う。どれほど豪奢な宮殿にあろうと、あるいはどれほど美しい風景を見ようと、隣に分かちあう者がなければ、愉しみは半分にもならないだろう。
 ギルガメッシュが扉を開けると、すぐにスリッパの軽い足音が響いてきた。
 ギルガメッシュはしっかりと花束を横抱きにして背筋を伸ばし、襟を正して彼女を待った。白いブラウスに白いスラックスという、冬には粋な出で立ちの彼女は、雪のように涼やかだった。
「お帰り、ギル」
 アルトリアは巨大な花束に目を留めると瞬きした。
「お!」
「すまぬ。アルトリア、これはな」
「ちょうどよかった!」
 アルトリアがぱっとギルガメッシュに駆け寄って、はじけるような笑顔で見つめた。
「すぐに花瓶を出す。ダイニングに行ってくれ」
「分かった」
 大人しいギルガメッシュの様子にアルトリアは構わなかった。彼女はすぐに玄関奥のクローゼットに消えた。ギルガメッシュは言われるままにダイニングに入って、目を丸くした。
 テーブルの上に妙に大きな紙袋があった。中には見たことのないバッグが入っている。バッグ、というより、それは革張りの道具箱に見えた。しかし、そのバッグが入っている袋は高名なショコラトリーのものだった。
「?」
 流石のギルガメッシュも首を傾げる。彼にこんな感情をいだかせることができるのはアルトリアだけだ。彼女だけがギルガメッシュを驚かせてくれるのだった。
 ほどなくアルトリアがクリスタルグラスの大きな花瓶をかかえて現れた。そこには適量の水が入っている。
「花束をくれ」
「ああ」
 ギルガメッシュが渡すと彼女はいささか気難しい顔になった。丁寧にリボンをほどき、外のビニールを取り除く。茎を包んだ防水布とゴムも外して、どさっと花瓶に生ける。ふわっと花束がほどけると、部屋中に高貴なフリージアの香りが充満した。
「うーん」
 アルトリアが深呼吸して微笑んだ。
「ありがとう。素晴らしい香りだ」
オレは」
 ギルガメッシュは手袋も外さないまま、ぐっと拳を握った。
オレはそなたに詫びねばならないことがある」
「何を」
 きょとんとしたアルトリアの声だけが頭に響く。ギルガメッシュは無意識に目を閉じ、俯いていた。
オレはそなたに無断でこれを買ってきてしまった。互いへの贈りものは断ってからと約したのに、破った。どうにも責めは受けよう」
 ギルガメッシュはそっとポケットの包みを差し出した。アルトリアが受け取ったのは見なくても分かる。カサッというビニールの音。
 これは彼のふだんの言動からすれば驚天動地の申し出であり、態度だった。ギルガメッシュは当然のようにアルトリアに罵倒され、軽蔑されるのであろうと思っていた。しかし唐突に彼女が手を握る。仰天して目を開けると、彼女が安っぽいビニールの包みを握り、はじける笑顔で見上げていた。
「私と貴方は夫婦めおとなのだなあ。今日ほど思ったことはないぞ」
「何故」
「私も貴方にプレゼントを買ってきたのだ。今日はヴァレンタイン・デーではないか。日本でも祝うようになって久しいが、私たちは知らなかったであろう」
「ああ」
 アルトリアが笑っている。それをギルガメッシュは信じられない思いで見つめる。
「日本では女性が男性にチョコレートを贈る日なのだそうだ。それも本命には高価で特別なチョコを贈ると聞いた」
 アルトリアがテーブルの上の紙袋から大きなバッグを取り出した。
「そう聞いては、贈らぬわけにはいくまい。ましてや私は貴方以外のものになる気はないゆえ、特別なものを贈ろうと思った。それで、これだ」
 アルトリアがぱかんとバッグの蓋を開けた。それは婦人用の道具箱の要領で両側に開いた。中には小さなボンボンショコラがぎっしりと詰まっている。品のよいカカオの薫りが空気に漂う。
 瞬間、ギルガメッシュの頭には全く違うことが浮かんだ。
 しまった。
 負けた!
 なんということだ。彼女が買ってきたのは高級ショコラトリーの最高級贈答用ショコラの詰め合わせだ。それなのに自分はファンシーショップのゴムをひと山!! なんたる失態! なんたる不覚!
 アルトリアが晴れやかな笑顔で見上げる。
「私が内緒で買ってしまったら貴方も買ってくるなんて。私たちは真の夫婦めおとになれたのだなあ。そうは思わぬか」
 ギルガメッシュはかくかくと頷いた。彼女に気後れするようなものを、こそこそと買ってきたのでなければ、歓喜のあまり彼女を抱いて寝室に向かっていたかもしれない。しかしギルガメッシュの頭の中は彼我の違いで断崖絶壁の極北にあった。それでも顔は無表情に研ぎ澄まされ、アルトリアが彼の複雑な心情に気づくことはなかった。
 アルトリアがほがらかにギルガメッシュの差し出した包みを示す。
「開けてもよいか」
「……ああ」
「手袋を外したらどうだ、ここは寒いか」
「いや、全く」
 アルトリアが包みをほどくのを横目にギルガメッシュは慌てて手袋を外した。アルトリアはちょっと袋の中を覗くと、豪快に袋の中身をテーブルの上にひっくり返した。極彩色の色ゴムがどさっとテーブルの上に広がる。
「おおー!」
 アルトリアがゴムの山をより分けて面白そうだ。
「随分とある。ありがとう!」
 ギルガメッシュは瞬きした。アルトリアの顔は本当に嬉しそうだ。彼女は細い指にいくつかのゴムを引っかけて笑う。
「これだけあれば一年分だ。助かるぞ」
「それでよいのか」
「ああ。気が利いている」
 アルトリアの言葉にギルガメッシュの顔がふわっと微笑む。それはギルガメッシュ自身が笑おうと思ったのではない、心底からの自然な笑みだった。アルトリアが嬉しそうに笑い返す。
「やっぱり貴方は金色が好きだなあ」
 あの金ラメのゴムを彼女はくるんと髪に巻きつけた。
「どうだ。似合うか」
 アルトリアが後ろを向いて結んだ髪を見せつける。彼女は薄い水色のゴムの上に金色のゴムを巻いていて、それは白い服にも合っていた。
「ああ。よく似合う」
 思った通りだ。そう思った。これだ。こういう結果を夢見ていたのだ。ギルガメッシュの胸が明るくなる。
 アルトリアがにっこり笑って振り向いた。
「それにしても、よくあの店に入れたな。あの店、少し気恥ずかしくないか」
「は?」
 ギルガメッシュは目を微かに見開く。そなたがあの店で買うと言ったから、行ったんだぞ。オレは。
 アルトリアが頭の後ろに手をあてて照れ隠しのように笑った。
「私はいまだに馴染めないのだ。なんというか、学生というものもしたことがないし、あの店はいつも若い女性でいっぱいであろう。気後れするのだ」
「そなたも女であろうや」
「そうだが、その。やはり自分を男と思う気持ちも抜けなくてな。これで、しばらくあの店に行かずにすむ。本当に有難い」
 なんと!
 ギルガメッシュは唐突に自分の姿が思い起こされた。女子高生に混じって色ゴムを吟味する自分の姿はいったい、どういう感じだったのか、と。まぎれもなく不審であったのではないか。サングラスをしていたし、コートを脱ぐ店でもなかった。そう、一言で言って。滅茶苦茶、不審人物だったのではないか!
 アルトリアがゴムをビニール袋に戻しながら、くるんと指にピンクのゴムを引っかけた。
「ははあ。やはり貴方も本当は心の底で私にピンクを着てほしいのであろう」
 得意気な笑顔を見下ろしてギルガメッシュは無表情だった。そんなことは思っていなかったし、ついさっきまでの自分が気になって仕方がない。アルトリアはどう思うのだろう。ファンシーショップに行った自分を。
「少しも思っておらぬわ。そんなにピンクが着たいならゴムでもすればよかろうや」
「隠さずともよい。そうか、そうか。明日はピンクのワンピースでも出すとしよう」
「やれやれ。似合わぬと何度言えば」
 ギルガメッシュは頭をかかえた。
「明日といわず、いっそ夕食をピンクのドレスで食してもよいな」
 屈託なくアルトリアは頷いて、ダイニングを出て行こうとした。慌ててギルガメッシュは呼び止める。
「アルトリア、花瓶を食事の後は寝室に」
 振り返ってアルトリアが小首を傾げる。それは小鳥のように可愛らしい仕草だった。彼女はすぐにぱっと笑顔になった。
「うむ。そうしよう。運んでおく。せっかくだものな」
「ああ」
 アルトリアが顔を赤らめて部屋を出て行く。きっと意味が分かったのだろう。これで今宵はフリージアの香りの中で快楽をむさぼれる。
 にやりとしかけて、ギルガメッシュは苦い顔で立ち止まった。
 本当にアルトリアは、自分のどこが好きなのだろうか。少しは愛してくれていると思えるのだが、細かいところが気になって……百年暮らしても、彼女の心は窺いしれない。そこが一番の魅力なのだが、ときどき不安になってしまう。
 ああ、これが恋だな。
 我らは夫婦めおとである前に醒めない恋を続けているのだ。きっと互いに。
 ギルガメッシュはちらりとテーブルの上を振り返る。立派な革張りのチョコレートの詰め合わせが目に入った。
 穏やかな笑みが顔に広がる。
 ギルガメッシュは肩をすくめてコートを脱いだ。
「よし。夕飯を仕上げるか」
 スミス家初めてのヴァレンタイン・デーの出来事。

       END


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