死を想うことから一歩抜けて

短期射程の何かー権威的なもの、生活の安全のための所属などーというものを求めることにひどく躊躇が起こるのは、気のせいではあるまい。何かそこには嫌な記憶が想起され、私は結局二の足を踏む。

すでにすべきことのほとんどを終えた生は、その先足踏みを続けるほかはないのだろうか。

死を覚悟した日、私はやり残したことを洗い出した。そのほとんどは自分がごまかし続けた問いに一通りの答えを与えること、及びそれをまとめてどこかに公開すること、である。

私はそれを成し遂げたら、自然に寿命は来るだろうとうっすら期待していた。人は天命を成し遂げれば現世での役割を終えるなどという迷信を信じたくなるほど世の中に絶望していたからである。

その一通りの仕事を成し終えた後、死はまだやってこなかった。何度も飛行機に乗り、テロリズムが頻発した地域にも居住していたにも関わらず、二つのテロは偶然にも私が一時帰国していた時、及び帰国直後だった。なぜ私はそのような「幸運」に恵まれてしまったのだ。ここでの幸運は私にとっての不運を指す。

一度めのテロが起こった後、危険地域であるイスラエルに行ってみた。行きたい場所ももうなくなったと言えるほどヨーロッパのバロック建築にも飽き飽きしていた私に、その場所は紛争構造の凝縮の地であることもあり好奇心に訴えかけた。その場所にはユダヤ=キリスト系統で成り立つヨーロッパがまるで世界の部分でしかないということを私に知らせた。そしておきまりの通り「壁」で世界平和を祈った。

そのような幾度ものセキュリティチェックが課される危険な時期の危険な地域において、やはり私は「幸運にも」全く危険な目に遭わず生還した。

死を思うと、まるで時間が止まったかのように世俗のいざこざを忘れ平穏な気分になれる。今は思うだけで十分なほど、若さにありがちな過激な死への希求の段階は抜けたらしい。

私は次の一歩が見えない。進むべきかもわからない。ちょうどベケットの演劇のように足踏みを続けている。

死期が訪れないのだから何かはまだ残された役割があるのだろうとでも意味付けしたくもなるほどに死は遠いようにさえ感じられる。これ以上何をしろというのだ、とでも叫びたいほどに。

書くこと、書くことで疑問を抱える人の助けになること。今はそれしか出来そうにない。助けにさえなりえないかもしれないのだが。それは同時に傷つける要素を多く含む。

過去には自分の言語体系から全ての差別表現を消し去ろうと試みたことがあった。しかしそれは同時に相対主義に転ぶ危険性があり、自分が安全でいるために極力人と関わらないという選択をせざるをえなかった。

危機は、ある意味でそのような真空状態に生命を引き戻すきっかけになり得るのかもしれない。つまりはどうしても受け入れられない対象を排斥することによって、外部と内部を区別する。そうすることで細胞は生命となり得るのだ。

多くの人々はおかしいと思っていることをおかしいとも言えずに我慢している。そしてその受動性は聞こえてくる声のほとんどをおかしいものに限定してしまう可能性がある。そうは言っても彼らにも彼らなりの論理があるから、と寛容性と無関心を決め込んだ人々の帰結ーそれがテロリズムだったのではないか。

彼らには彼らなりの論理があることを認めるならば、自分にも自分なりの論理があることを認めなければならない。実質では認めていないことを寛容性の理想と偽善の元で許してきたことに対する警告が鳴らされている、とも言えないだろうか。自分の意見を隠し、戦いから逃れること、それは無難ではあるが誠実であるとは言い難い。

次の時代には戦いの民主主義の幕開けであり、決裂がほとんどでありながら、だからこそそこに希少性が故の美しさが宿る束の間の不安定でありながら形式的ではない合意などというものも得られるのだろうか。

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