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ベルリンの壁@ドイツと1989年(息子と二人、ヨーロッパに旅に出る)

深夜特急にのりベルリン@ドイツに早朝着。

次の予定は、今晩23時過ぎの深夜電車でアムステルダム@オランダへ。
そこまで時間は十分にある。ということで、まずは、腹ごしらえ。

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さて今日をどう過ごすべきか?ベルリンと言えば、ベルリンの壁。
ということで、向かう。

途中、NHKの映像の世紀で流れる、「パリは燃えているか?」をBGMで流しながら、僕の気分は高まるばかり。映像の世紀。個人的には秀逸な作品と思う。これまでも、息子にちょこちょこ見せてきたけど、覚えてるかなー。

そんなこんなでブランデルブルグ門着。

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ベルリンの壁博物館にも立ち寄る。

その年前後の生々しい映像、そして同時期に起きた天安門についても映像あり。

いつかのリーダーシップのクラスで参加者にリーダーとは?と問うた時、
「天安門広場で戦車の前にたった男性」という方がいた。そんなことを思い出す。

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1989年は世界、そして日本にとっても転換点。
日本は昭和が終わり、平成が始まった。

冷戦が終わりグローバリゼーションの幕開け。政治的には、フランシス・フクヤマが、"歴史の終わり"を論じるきっかけとなったように思う。

新しい時代の到来に大いに沸いた年だったのではないだろうか?

だが今時点で振り返ると、当時の見立てが必ずしも正しいとは言えない。

1日、1週間、1カ月、1年、3年程度での範囲で物事を捉えてしまうのは避ける必要がある。

10、20、30、50、100年単位はもちろん、より長期に大きな流れを見つめる必要がある。自戒も込めて。

平成の30年は政治だけでなく、技術や経済、そしてビジネスにとって早く大きく複雑な変化が目白押しだった。

そして、これからもこの流れは加速していくんだろう。
息子よ、激動の世の中を、機会と捉え暴れてくれ!


さて、ベルリンの壁関係を訪ねた後、まだ、深夜特急まで、かなりの時間があったので、電車好きな息子の提案のまま、適当に電車の旅をすることにした。

すると、たまたま乗ったのがS7線というもの。その終点が、あのポツダム宣言のポツダムという事で、向かってみる。


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ポツダムでは、わずか15分ほどの滞在、散策。

わずかな時間だったけど、ここで宣言された内容を日本が即時に受け入れていたら、あの惨事は防げたかもしれないなぁ。なんて感傷に浸ることができた。とはいえ歴史にifはない。歴史から学び、未来を創る事が重要。

いずれにせよ、ベルリンという都市を通して、息子に感じてもらいたかった歴史の一端は感じてもらえていたら、嬉しい。


と、ポツダムからベルリンへの帰りの電車で思ってたところ息子が一言。「この景色、来た時に見たから、退屈〜」w

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この後、深夜電車でアムステルダム@オランダへ向かいます!

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