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⑦【小説】 さくら坂のほのかちゃん あおいちゃんのママ


(一)

「ほのちゃん、キスしてくるねん!」

 小学校の保護者説明会の時、クラスに『ふれあい学級』の子がいますって言ってたな。
そういえば、その子は、あおいと幼稚園も一緒だったはず。
ほのちゃんって、言うんだったっけ。


「『ほのちゃんやめて』って言ったら、おんなじように『ホノチャンヤメテ』やって」

「先生は、なんて言ってはるの?」

「『きっと、あおいちゃんのことが大好きなのね』って。
 だってほのちゃん、先生にはキスしに行かへんねん。
『今度キスしにきたら、【ほのちゃん、お手々つなごう!】って、言ってあげたらどう?           手を繋ぐんだったらいいでしょ』って。 そう言ってはった」

「ふぅーん、そうなん。
 まあ、仲良くしてあげなさいね」


「そやっ! 
 そんなことより、晩ごはん、早よ食べてしまいなさい!  

食べ終わったら、昨日から出しっぱなしにしてるおもちゃ、片付けるんやで!
だいたい、いつも遊んだおもちゃ放ったらかしで!
一つ遊んだら、いったんそれ片付けて、そんで次の出すようにしなさい。 今朝だって、掃除機もかけられへん!」

「あーそれ、パパが
『後片付けしとくから、早よ寝ぇー』
って・・・」

「何で、パパが片付けなあかんの!」


「だって、パパが遊んでって言ってきたんやもん。
今日も遊ぶし、出しといたってエエやん!」

「あの、だらしないパパが、なんで片付けられるん!
『出しといたってエエやん』って、そんなとこ、パパに似てしもて、どないすんの! 
あんた、そんなんじゃ、おヨメにも行かれへんで!」

「だって、パパがヨメになんて行かんでええって・・・ 
『ずーっと、パパといよな!』って・・・」

「また何を訳分からん事、言うてんにゃろ、あの人・・・ 
 

・・・そやっ!
 宿題もまだしてへんにゃろ!
 さっさと食べてしまい!
部屋片付けて、宿題終わらせるまで、テレビ見せへんで!」

「今日、ヤマピー出るのあんのに・・・」


「早よ、終わらしたら、ええやない! もうっ! 豆だけ、よけてるやない。
ちゃんと食べなアカンよ!
 お豆食べへんと、ママみたいに、キレイになられへんのやから!」

「ママみたいに、なれへんでもええもん。
だって、パパが
『紗理奈みたいになったら、アカンでぇー』
って」

「あおい! ええ加減にしぃや!
 しまいに、放り出すで!」 


 もう、パパが甘やかすから・・・ こんな小憎たらしいこと言うんよ。


(二)


 パパの実家は『さくら坂』より20kmほど西に位置する大阪南部I市内の下町で、電設関係の会社を営んでいる。
 会社と言っても、ほとんど家族経営と言ってよく、お義父さんが社長で、お義兄さんが専務、建設会社の下請けが主な仕事で、パパもなんとか大学を卒業させてもらって、一緒に仕事をしている。


 私が妊娠し、パパと結婚することになって、『お義兄さんがヨメをもらうまで』との約束で同居することになった。

 パパよりも3つ上のお義兄さんは、小柄な堅物だった。
 図体がでかくて軟派なパパとは、体格も性格も正反対だ。


 パパには、短大生の時スキー場でナンパされた。  
当時パパは、授業をサボってばかりの大学生。
高校時代は、野球一筋、甲子園を目指していた。

大学に入ってからは、ダイビングやゴルフ、テニスなんかも齧って、そしてスノボだ。
スポーツとして極めるよりは、道具を極めている感じ。

女の子を射止める手段として、不況もなんのその『青春は、今しかない!』と、精力的に遊んでいた。

 付き合っていた当時、そんなに真剣な気持ちではなかった。 
少なくてもパパは。

 私というカノジョがいるのに、他の女の子を誘って海へ行ってたり、合コンで知り合った子と浮気してたり。
卒業しても、実家の仕事はまだ『手伝ってる』って感じの中途半端なオトコだった。

 まあ、私の方も正社員の働き口なくて、家事手伝いのバイト生活だったし、人のことは言えないんだけど。

 今のパパと結婚するなんて、実は私も予想していなかった事だ。


 「赤ちゃんが、できたみたい・・・」

 『おろしてくれ』と頼まれると思っていた。 
ダラダラと付き合ってたけど、これで終わりになってしまうのかな・・・

 ところが、だ。

「紗理奈、一緒になろう…
結婚しよっ! 俺にはお前しかおらん!
新婚旅行は、もしもの事があるとあかんから、子供が産まれて落ち着いてから、3人でどっか海外旅行しよっ。 
そのかわりって言うたらなんやけど、結婚式は盛大にやろな!
おなかが目立つ前に、さっそく式場を探さなあかんな。 
住むとこも決めなな!」

 まるで、別人のよう。
 気持ち悪いくらい。

 でも、その時のパパは、とても頼もしく感じたし、真剣に考えてくれていたことにも驚いて、おもわず

『一緒になってもええよ・・・
こちらこそ、よろしくお願いします』 
と、返事してしまった。

 後から聞いた話によると、ちょうどその前の晩、小さいながらも一代で使用人を使うところまでの会社を興し、不況も乗り越えた社長のお義父さんから
「おまえは、いつまでそんな風にフラフラしてるつもりなんや。 
俺は、もうお前の歳には独立とったんやで! 
お前がそんなやと、他の従業員にも示しがつかん!」

 パパは単純な思考回路だ。小一時間も説教されると、すっかり反省。
 その矢先に妊娠を知ったものだから、

 これは天からの授かり物、生まれてくる子が俺に『しっかりせい!』と言いに来たんや。

と、運命的なものが『ビビッと』来たらしい。


 でもそれって、『あおい』さえいれば、ママは私でなくても良かったんとちゃうの? 
その辺がいまだに、納得いかへんのやけど。

* 

 お義母さんは、笑顔のかわいい人だった。

 お義父さんは 『わしは苦労した。一代で会社を興したんや』 と、事あるたびに自慢する。

 家を放ったらかしにして、仕事に明け暮れていたらしいけれど、その間、家をしっかり守っていたお義母さんの、内助の功なしでは成し得なかっただろう。

「家中男ばかりだったから・・・、紗理奈さんみたいなかわいい娘ができて、おまけに初孫まで・・・ 

嬉しいったら、ありゃしない。

お父ちゃんや、お兄ちゃんのことは、あたしがするから気にせんでええよ。
遠慮せんと、体調悪い時とか、ちゃんと甘えてちょうだいね」

 あおいが生まれても、お義父さんやパパみたいに溺愛じゃない。
ちゃんと母親がすべきことは、私にさせてくれる。 
気まぐれな溺愛グループからの、防波堤にもなってくれていた。
 哺乳瓶を、専用のケースに入れて電子レンジで加熱消毒していたら
「今は、こんな便利なもんがあるんやね」
色が変わって知らせてくれる紙おむつを見ては感激、5秒で計れる体温計を嬉しそうにながめている。
私の育児を楽しそうに見守りながら、育児に専念できるように、家の雑用はテキパキとこなしてくれる。

「紗理奈さん、寝てへんのとちゃう? 次のミルクは私するから、少し休みなさい」
 一方で、私の体調まで十分に気遣ってくれていた。

 こっちで、産んでよかった・・・

 大阪市内にある私の実家は、団地の3階で階段の上り下りはあるし、狭いし。
もし実家でいたら、今も仕事を持つ母さんは『妊婦でもちゃんと動かな、アカン!』とか言って、これ幸いと、以前のように家事全てを押し付けてくるだろう。
帰りの遅い弟の世話までさせられそうだ。

 そのくせ、
『紙おむつは、赤ちゃんがオシッコして気持ち悪いのがわかりにくいから、取れるのが遅れるんよ!』
とか、やいのやいの口出ししてくるはず。

(三)


 お義兄さんが31歳になった秋、何の前触れもなく『結婚する!』と宣言した。

 相手は、四国に住んでる2歳年上の女性。


「あの堅物のお義兄さんが、どうやって?」

「ネットで知り合ったらしいで」
パパが訳知り顔で、教えてくれた。

 意外だった。

「大丈夫なんかな? 
 お義兄さん、詐欺とか、騙されてるんちゃうの?」

 お義兄さんは、『自分達が、何処か別の場所で新居を』と考えていたらしい。
我が家も、それならそれで、そのまま同居していても良かったのだ。

 ところが、
『やっぱり長男やから、最初に言っていた通り』
と、お義父さんの鶴の一声、お義兄さん夫婦が実家に一緒に住むこととなった。

 お義父さんは、その代わりと、我が家のために、仕事先の紹介で『さくら坂』に家を見つけてきてくれた。
しまり屋のお義父さんが、唯一会員権を持っているゴルフ場のすぐ近くにある住宅地だ。

 「あそこは、ええとこやで」
 
あおいは4歳、春からの幼稚園は『さくら坂』で通う。

 お義父さんは
『あおいを追い出したようで、かわいそうや』
と、引っ越しや住宅ローンの頭金、それもかなりの額を面倒見てくれた。
たとえ社長の息子であろうが、パパの給料は安い。

 あおいがいてくれて我が家は本当に助かった。


* 

 お義兄さんより2つ年上のお義姉さんが、初めてパパの実家に挨拶に来た時だった。
パパも、家族の一員として顔合わせをした。

パパの状況報告によると、話が進んでいくうち、みるみるお義姉さんの顔色が変わっていったそうだ。
まさかの同居、お義兄さんに
『騙したん?』
とまで、罵ったと。

 パパの実家には、私の実家とは比べものにならない大きな浴槽のお風呂場と、古いけれど広いキッチンがあって、お義母さんと一緒に楽しく献立を考えたりした。

 私は、どれも、とても気に入っていた。

 お義姉さんは、そんなキッチンもお風呂も気に入らない。
もし、2世帯住宅にでも立て替えてもらえないなら、
『この結婚、一旦白紙に戻してもらいます!』
とまで。


「弟のツヨシさんには、ちゃんと新築を買ってあげてるのに・・・」
 と、こっちまで火花が飛んできそうになって来た時、

「でも、ツヨシにはローンを抱えさせちゃったんですよ・・・」

 じゃあ、お兄ちゃん名義でローン組んで2世帯に立替えましょうかねぇ?・・・ 
シュンとなったお義兄さんを見かねて、お義母さんが応戦開始。

 お義父さんも最初から席にいるのに、黙って一言も口を挟まなかったらしい。

パパによると、
「口を挟まなかったんじゃなくて、何もよう言われへんかっただけや!」

 ようやく折衷案で、2階を一室改造して、若夫婦専用の小さなキッチンと大きな冷蔵庫、トイレと、シャワールームを造ることで停戦合意に至った。


* 

 お義兄さんの結婚宣言から、我が家が『さくら坂』に移り、パパの実家の改装工事が完了し、盛大に式を挙げ、10日間ヨーロッパ新婚旅行を終えて、ついにお義姉さんは、お嫁にやって来た。

「兄ちゃん、下にでっかい風呂があんのに・・・」
 毎日シャワーだけで、ガマンしているらしい。

「飯も外食ばっかりでさ、ヨメさんに気ぃ使って、わざわざ食べに出てやんの。
一緒に喰えばええのにな・・・ 
まあ、自業自得やね」

 お義兄さんなんか、どうでもいい。

 そんなの、お義母さんがかわいそうじゃない。

 逆に喜んだのは私の両親、今までは孫のあおいの顔を見に来るのに、案外気を使っていたらしい。

「あおいを、甘やかさんとってね!」

 
『さくら坂』に引っ越したとたん、父さんまで溺愛グループに参加してきた。 
 大した理由も無いのに、あおいのリクエストしたおもちゃを抱えて、せっせ、せっせと大阪市内からやってくる。

 物心ついたあおいは、しっかり甘え上手になっていた。
このままだとこの家、あおいのおもちゃで満杯になってしまう。


      *

「この服、かわいないから、イヤ!」

 あおいは着る服にうるさかった。
どうせ、すぐ大きくなるんだからと、私が安く買ってきた服は、特に嫌がった。

 試しに『今日、パジャマ何着る?』などと本人に選ばしてみると、母さんや、お義母さんが          『かわいいから、つい買っちゃってん!』 
なんて、私が買うより一桁値段の違う服を確実に選ぶ。

 普段着でも、下着でも、値段を調べに行ってるのではないか? と疑いたくなるほど正確なのが憎たらしい。

「あおいは、きっと、天性のファッションセンスがあるんやな。すごい!」

 パパのように、前向きには考えられない。
将来、計算高く、男に貢がしたりする嫌な女になるんじゃないかと、とても心配。

(四)


【明日、ちょっとお邪魔してええかしら?】

 あおいちゃんのセーターを編むので、サイズを計りに来たいと、お義母さんから電話が入った。

 お義母さんと会うのは、お盆で実家に顔を出した時以来だ。
お義姉さんが嫁にきてから1年、そんなに遠くない実家なのに、足が遠のいてしまっている。

「T駅まで、車で迎えに行きますから!」

 お義母さんは、免許を持っていない。
電車だと2回も乗り継がないといけない、バスまで乗せては面目ない。

明日のパートは、休む事にした。


 翌日、お義母さんは、はるばる『さくら坂』まで、やって来てくれた。

「帰りは、あおいと一緒にお家まで送りますね。車やったら1時間もかからへんから」

「・・・じゃあ、一緒に買物して帰って、ツヨシも一緒に晩御飯、久しぶりにスキヤキでもしょっか? 
明日、お休みやし!」

「いいんですか?」

 お義姉さんの顔が浮かんだ。

「兄ちゃん達のことは、気にせんでもええの。 
あっちは外食が多いみたいやし。
『あたし達の、食事の心配は結構です』って。
こっちも、お父ちゃんと2人だけで食事するようになってもたから、つまんない。
ご飯作るんもさぁ、簡単になっちゃうんよね・・・」


・・・ お義姉さんと、あまりうまくいってないらしい。

 お義母さんは、編み物の先生をしている。
と言っても、自宅に近所の奥さんが集まっておしゃべりをするお茶の会のようなもの、申しわけ程度の月謝を貰って、ほとんどお菓子や材料費になっていたが、それがお義母さんの唯一の楽しみだった。

私も実家にいた時は、一緒にあおい用の物を教えてもらったり、その輪に入っていた。

 もちろん、お義姉さんは、そんな輪に加わるわけがなかった。

 昼間、事務のパートに出ているお義姉さんが、外では
『あの家にいると息が詰まる・・・』なんて言い回ってる・・・ 

そんな噂を近所の奥さんが教えてくれるらしい。

「紗理奈さん、嫌な愚痴を聞かしちゃったね。ごめんなさいね」

お義母さんは、申し訳なさそうに言った。

「そんな、気ぃ使わないで下さいよ。
ここならお義姉さん、いてへんから、ブワーッとストレス解消しに来て下さい。遠慮なく。
いつでも泊まってもらえるように、1階の和室は開けたぁるんですから。
そのまんま住んでもらっても、ええんですよ。ホンマです。
お義母さん限定ですけど・・・」

「ありがとう」
 
 お義母さんは、さびしく笑った。


「縁起でもない話ですけど、もし、お義父さんが先に逝っちゃったら、絶対一緒に住んでくださいね。
ツヨシさんとも、そう言うてるんです!」

「ありがとう、紗理奈さん。
気持ちだけでも充分うれしいわ」

 お義母さんは、なだめるようにうなずいた。


「今度、ホントに泊まっちゃおうかしらね。
やっぱり、お父ちゃん怒るかな?」

「放っといたらいいんですよ。
お義母さんの有り難味が少しはわかるってもんです!」

      *

  お義母さんに少しだけお留守番を頼んで、あおいを幼稚園に迎えに行った。

「ただいまー」
 あおいを連れて帰ってきただけで、家の中が、パッと明るくなったような気がした。

「わぁー、おばあちゃん、来てくれてありがとう!」
 あおいは、こういう時、とびっきりの笑顔を見せる。

「あおいちゃんのセーターを、編もかと思て」
 お義母さんも、あおいにつられて、にこやかになる。
我が子ながら、その笑顔にしたたかさを感じるのは、私の心の方が、ひねくれてしまっているからかしら?


 服にうるさいあおいは、お義母さんの編んだ服は好んで着る。
お義母さんの編み物が、それだけ完成度が高いからか。

そのことをお義母さんに教えてあげると

「おばあちゃん、あおいちゃんのお眼鏡にかなったんやね。
 嬉しいわ!」

 お義母さん本来の明るい表情を、やっと、垣間見ることができた。

     *

 あおいと一緒にお義母さんを送り届けて、そのままお義父さんとパパが加わり、スキヤキ鍋を囲んでいた。
  

「夫婦揃って鉄道マニアなんや。
 今日も仕事終わってから、旅支度しとったわ。
 また、どっかへ電車乗りに行くんやろ!」

お義兄さん夫婦のことを、パパが解説してくれた。

 ネットで知り合って意気投合、何とか言う夜行列車で、初めてのご対面だったそうだ。
それからもう数日で婚約、結婚へ至る。

「女の電車好きってホント、珍しいよな」

 お義姉さんとは何回か言葉を交わしている。
言葉数は少なくて、でも頼りになる『パート先の最古参の先輩』っていう感じ。

 お義父さんが渋い顔をして、

「あの嫁の話題はいらん。
せっかく、おいしいスキヤキやのに・・・ 
いつもな、あの顔見てたら、飯がまずぅなるんや・・・」

 お義父さんが『一緒に住む』って言い出した張本人なのに・・・ 
呆れて、お義父さんを睨んだ。


 お義父さんは、
『ちょっと、味薄いんちゃうか?』と、醤油を足そうとしている。

「全然薄ないわ。
お父ちゃん血圧高いんやから、あんまり塩分取ったらアカンよ!」

 お義母さんのチェックが入った。


「中学の時、母ちゃんから、『お兄ちゃんの誕生日、あの子、今、何欲しがってるか聞いてみて』って頼まれたことがあったんや。
『あの子は、あんたと違って何考えてるのか、ようワカラン』って」

 確かにパパは、わかりやすい。


「そしたら、『精度のいい、ボイスレコーダーが欲しい』って。
『そんなので、何すんの?』って聞いたら、『電車の音、録音したいんや』って。
 マジな顔で言うんやもんなぁ・・・」

 ついていかれへん世界やヮ・・・
 
そう言いながら、パパは新しい生卵を割ってかき回す。

「兄ちゃん、高校の時のあだ名は、『イキジコク』って言うんや」


「なにそれ?」

「生きている時刻表。
友達が、どっか旅行に行ったっていう話をしてたら、
『じゃあ、それは、何時何分発の、特急何とかに乗ったんやね』
って、スラスラと出てくるんや」

 パパは、自分の事のように自慢顔だ。

「でも、『電車でゴー』は、俺の方がうまかったけどな!」
 そんなの、自慢にもなりゃしない。


 一緒に住んでいた時に一度、お義兄さんの部屋も掃除してあげようと覗いた事がある。
 ドアを開けたとたん別世界だった。 電車の模型や写真が、博物館のように飾ってあった。
一方で、単にオーディオ、というより、何に使うのか良く分からない精密機械たちが、             壁一面に組み込まれている。 
小さい頃テレビで見た宇宙基地を思い出した。

だらしないパパとは大違いだ。
塵ひとつないとはこのことだ。

 精巧な電車の模型のことをパパに話したら、
『ああ、Nゲージや。あれ触ったら、たとえママでも、怒り狂うで!』
って注意されてしまった。

 お義姉さんの方は、もっぱら色々なタイプの電車に乗るというのが趣味らしい。

「そいでまあ、いまだに休みのたんびに、新婚旅行ってこっちゃ」
 お義兄さん夫婦は休みが取れると、大抵、電車に乗るために遠くまで出かけているようだ。

「『新婚旅行は子供ができたら3人で、どっか海外旅行へ連れてってやる!』って言ってたんは、どうなったんかしら?」

 ちょうど肉を口に運んでいたパパが、むせ返った。


(五)

「このイチゴ、あまーい!」

 あおいの、おいしそうな顔にシャッターを切った。

 今日は、できたばかりの子供会初の行事、『皆さんで、ぜひ来てください!』と誘われた、イチゴ狩りだ。

「半袖でも良かったかな?」
 4月下旬なのに、日差しは初夏のようだ。


「あ、ほのちゃん、ウサコ連れてきてる!」
 その女の子は、お気に入りのウサギのぬいぐるみに手を添えてイチゴを取らせようとしていた。

「ウサコ!」
 と、その子は楽しそうにしていたが、それではイチゴは摘めない。


 あの子が、ほのちゃんか・・・

「ほのちゃん、そんなんやったら、食べられへんで!」
 あおいが畝を乗り越え、ほのちゃんの横に行き、近くのイチゴをひとつ取って、ほのちゃんに食べさせた。

「あら、あおいちゃん、ありがとう!」

 近くにいた、ほのちゃんのママは、
「あおいちゃんには、いつもお世話になってます」
 と、こちらにも、にこやかに礼を言った。

 意外だった。

 娘が障害児、もっと重たい感じをいつも漂わせているのが障害児の親というのではと、勝手に想像していた。
そんなこと知らなかったら、全然わからない。気さくで、明るい感じの人だった。

*  

 パパがお土産のイチゴパックを3つ抱えて、車へ向かっている時だった。パパのケータイが、鳴った。

「兄ちゃんからだ・・・」
 車について、すぐパパはかけ直した。


 パパの顔が、険しくなった。

「父ちゃんが! 倒れたらしい・・・」

 そのまま、病院にかけつけた。

 入口で訊ねると、お義父さんは救急外来から集中治療室に回っていた。
治療室近くの廊下、長椅子に力なく座っている、お義母さんを見つけた。
思わず横に座って、肩を抱いてしまった。

「ありがと」
 お義母さんは、小さな声で言った。

 涙が出てきた。 
あおいも反対側に座って、お義母さんの手を握った。

 しばらくして、お義兄さん夫婦が現われた。

 お義父さんは、脳溢血だった。

「まだ、意識はない。今のところ落ち着いてるので、命の方は大丈夫じゃないかって。
でもまだ油断ならんらしいけど。意識はこのまま戻らないかもしれんって。
そのへんもまだ、ようわからんのや・・・」

 お義母さんは、涙を浮かべていた。

「左の脳が出血してる。結構広い範囲がやられてるらしい」

 昼前、『もうじき、あおいの誕生日やな・・・何欲しがっとるんやろ?』
そう言ったかと思うと、崩れるように倒れこんだらしい。

 お義兄さん夫婦は、今日は、たまたま2階にいた。
お義母さんの声を聞いて駆け下りていた。 その時、お義父さんの意識はなかった。 
 お義兄さんはすぐ救急車を呼んだそうだ。

「長期戦になるかもしれん。ツヨシ、今日は一旦帰っとってくれ。
また、交代でお願いすることになると思う。何かあったらすぐ電話する!」


* 

 5月に入ってすぐ、お義父さんの意識が回復した。

 回復したが、まだ朦朧としているらしい。
パパからの知らせを聞いて、小学校から帰って来たばかりのあおいを急かして、病院へ向かった。
 
 これから先、リハビリを進めていくらしいが、どこまで回復できるかは、わからなかった。

 お義母さんが、甲斐甲斐しく世話をしている。お義母さんが元気なのを見て、少しホッとした。

「生きてたんやから儲けもんですよ! 私が泣いてたってしょうがないもん!」

 お義父さんは、あおいが分かるのかもしれない。 
あおいの方を見て、何か言っているように見える。
確かに、あおいの方を見ている。

「あおいちゃん、おじいちゃんこんなやけど、また、来てやってね!」
 あおいは、大きくうなずいた。

 お義父さんのリハビリにあおいが顔を出すのが、一番効果があるかもしれない。

(六)

 海の日は、快晴だった。 暑くても、雨になるよりはずっといい。

 今日は、お義父さんの退院の日だ。

 パパによると、もう危機的な症状のないお義父さんのような患者は、3ヶ月以上は入院させてくれないらしい。
今後は、定期的な健診と、リハビリに通うだけだ。


「実家見たら、きっと、ビックリするで!」
 パパは、自慢していた。

 病院へは毎週のように行っていたが、パパの実家の方は久しぶりだった。

 1階は、玄関から全て段差のあるところを無くして、どこも車椅子で移動できるような幅を取り、和室は仏壇のある部屋を一間残しただけで、あとは全てフローリング加工が施してある。
 廊下やトイレなどには、お義父さんがこれから練習して歩けるように手摺りが付けられた。

 以前お義父さん夫婦は、畳の部屋で布団を上げ下げして寝ていたが、寝室には電動のベッドとお義母さん用のベッド、簡易のトイレ。
風呂には、お義父さんが座ったまま入れる電動のリフトが取り付けられている。
洗濯機の横には、汚物専用の洗い場もあった。

 その改装の全てを、お義兄さんがテキパキと段取りした。


 家の改装だけではなかった。
会社の方も、お義兄さんが社長として後を引き継いだ。

 パパは『営業の方は、お前が頼りやからな!』と、しっかりお願いされた。

 若い頃さんざん遊んだのが、少しは役に立っていればいいけれど。

 社内でも世代交代を喜ぶむきもあった。 
お義父さんが昔ながらのやり方を頑固に通して、現場や顧客要望とのズレが生じることが往々にしてあったらしい。
お義兄さん自身も電気関係の大学を出て数多くの専門的な資格を有し、小さな会社のわりには技術者のレベルが高く、高度な技術を突然要求されても臨機応変な対応ができるそうだ。


「うちの会社、人気あんねん・・・」 
パパは自慢していた。


* 

「新しく、引っ越してきたみたい!」

 あおいが、改装されたパパの実家の中、興味深げに見回している。
みんなで、ぞろぞろ病院へ行っても邪魔になるので、我が家3人は、実家の方で到着を待った。

 お義父さんは、右の手と足が機能全廃、それに失語症と診断されている。

「車椅子でちゃんと動けるようになって、あおいちゃんのいる『さくら坂』まで、遊びに行きましょうね!」
 まだ、お義父さんが朦朧といていた頃から、お義母さんはいつも話しかけていた。

話しかけることがリハビリになると聞いて、あおいも見舞いに行く日には、『おじいちゃんへのお話』を、あおいなりに色々考え、ネタを準備していた。

お義父さんは、見舞いに行く度、みるみる回復していく姿を見せてくれた。


 もう今は、あおいや私達がしゃべることも、ちゃんと理解するようになっている。

  リハビリの成果だ。
でも、それはお義母さんなしでは到底考えられない。
最近では車椅子を左足でこぐ練習や、立つ練習までも始めたらしい。


 お義父さんたちが帰ってきた。

「おかえりなさい!」

 お義母さんが車椅子を押して家に入ってきた。
車椅子を電動ベッドの横につけて、

「お父ちゃんも、ちゃんと手伝ってくださいよ!」
と、お義父さんに声をかけた。


 お義母さんはお義父さんを、『よいしょっ!』と一旦立たせて、クルッと向きを変えて、ベッドに座らせた。

「できた!お父ちゃん!
ご協力、ありがと」

 お義母さんは、あおいの方を向いて、

「これをね、あおいちゃんにお披露目したかったん。 
すごいでしょ!」
あおいに笑いかけた。

あおいは、『すごーい!』と言って拍手をした。


 お義母さんは、お義父さんの顔をあらためて見て、お義父さんにゆっくり話しかけた。

「お父ちゃん、おかえりなさい。
 ちゃんと、帰って来れましたね・・・」


 たまらなく嬉しかった。 
 涙が止まらなくなった。

「あらあら、紗理奈さん。
なんで、紗理奈さんが泣くのよぉ・・・」

「そういうお義母さんかって・・・」
思わず、お義母さんを抱きしめてしまった。


お義父さんも、鼻をすすっている。

      *

「紗理奈さんには、迷惑かけたね」

「そんな、迷惑やなんて思ってませんよ。 水臭い!」

「お詫びに・・・ いや違った。
色々してくれたご褒美に、新婚旅行をプレゼントしてあげる。
お父ちゃんの退院の内祝いね!」

 横から、お義兄さんが続けた。
「ツヨシたち、新婚旅行まだやったやろ。今からなら、夏休み終わりのほう、盆明けならまだ間に合うやろ。
3人でハワイでも行って来いや!」

 パパは驚いて、
「でも、休み取れ・・・」

 お義兄さんは、パパに最後まで言わせずに、大きくうなずいて、笑った。


「あおいちゃん、今回のおじいちゃんの事では頑張ってくれたからね!」
 お義母さんが、あおいの方を向いて微笑んだ。


 その日から我が家は、アロハモードに切り替わった。
  

 嬉しいったらありゃしない。
 だからもう、お義母さん、大好き!

(七)


 9月最後の日曜は、あおいの小学校の運動会。

 運動会の日、お義兄さん夫婦が、お義母さんお義父さんと車椅子を車に乗せて、『さくら坂』まで来ることになった。

 お義父さん退院後、初の『さくら坂』来訪だ。

 あおいは、どちらの実家からも、たった一人のかわいい孫、こっちの父さんも、是非行きたいと言い出した。

大変だ。

「一生懸命走ったら、大阪のおじいちゃんが新しいフデバコ買ってくれるって!」
 欲しがってた、TVマンガキャラクターのフデバコだ。
 父さん、いつ、そんな約束させられたんやろ?


「今だって、入学の時にパパが買ってくれたやつ、あるやない!」

「だって、もう終わったんやもん!」
そのキャラクターのアニメは終了して、次の番組が始まっていた。

「放送が終わったからって、まだ十分使えるでしょ。もったいない!」

「だって、もう約束したもん!
 おじいちゃん優しいから買ってくれるねん!」

 なんて、わがままな!

父さんに苦情を言わなければ。


「あおい、ホンマ、抜け目無いわね、まったく。
 パパも何かあるんでしょ?」


「パパは、かっこよくビデオ撮ってくれたらええねん!」

 あら、たまには殊勝なこと、言うやない。

「そやね、運動会で走ったくらいで、そんなにぽんぽん買わされとったら、たまらんわ」

「ママが、そう言うと思って、パパはビデオ係にしてあげたん。
 パパかわいそうやもん!」

「あおい! ええ加減にしぃや!
 しまいに、怒るで!」

* 


 お弁当は、お義母さんが作ってくれることになった。

「うちの実家の分まで、ありがとうございます。よろしくお願いします」

【がんばんなきゃ、ね!】
 張り切った声が、受話器の向こうから伝わった。

『早起きせなアカンな・・・』
朝、場所取りが競争になると聞いて、パパがビニールシートを持って開門とともに走る。


 両実家も我が家も、週末近づいてくると天気予報と釘付けになった。
あいにく、どの予報を見ても、日曜日は雨だった。

* 

「やっぱり、雨や・・・」

 全財産でも落としたかのような、パパの残念な声。
 天気予報は、ずばり的中した。
昨夜からの雨は、しっかり庭の木々を濡らしており、パパの僅かな希望を踏みにじるには十分すぎた。

 運動会は火曜日に延期になった。

【せっかく作ってくれはったんやから・・・】
 結局、両実家は『さくら坂』に集合、『お義母さんのお弁当をいただく会』になった。

お義兄さんたちは、お義母さんたちを車で送り届けて、すぐ立ち去ってしまった。
兵庫県にあるローカル線が、もうじき廃線になるので、その前に一度乗りに行くという。

「夫婦でお互い共通の趣味があるってええことやない。羨ましいわ」
 母さんが、つぶやく。
 
「父さんとだって、タイガースの応援だけは、ウマが合うやない」
と聞くと、

「あれって・・・趣味って言うんかい?」
母さんが聞き返した。

「ちゃんとした、趣味ですよ」
お義母さんが笑った。

「うちなんか、それこそ何もないですよ。 お父ちゃん、仕事とゴルフくらいしかない人やから。
でも、倒れてみてくれて、わかりました。 私、別の趣味持ってて、良かったわって」
 お義母さんが、微笑みながら続けた。

お義父さんがウーウー文句を言っている。

 お義母さんが前より明るくなった気がする。 いや、確かに明るい。

 あおいが、午前中だけの授業を終えて、まっすぐに帰ってきた。
さっそく、『お義母さんのお弁当をいただく会』が始まった。

「おばあちゃんのお弁当、とってもおいしい!」
あおいの、とびっきりの笑顔だ。

「よかった! あおいちゃんに気に入ってもろて。
 作った甲斐があったわ!」
 お義母さんは、嬉しそうだ。

「晩御飯も作って!
だって、ママのよりずーっとおいしいんやもん!」

「そうよね、紗理奈の料理と比べたら、月とすっぽんやね!」
母さんが口をはさんできた。

「母さんまで!
あおいが調子に乗るからやめてちょーだい。
家にいた頃、さんざん私に作らせたくせに!」

「おばあちゃんね、ずっとガマンして食べてたんよぉ~」

 あおいが、キャッキャ喜んでいる。
あおいが小憎たらしいこと言うのは、母さんに似たんやわ! きっと。


「ねえ、今夜 泊まって行って!」
 あおいが、みんなにも聞こえるように、お義母さんに耳打ちをしている。

「こら、あおい。
いい加減にしなさい。無理言うたら、アカン!」

 ねえ、一緒にお風呂入ろうよ・・・あおいはまだ、お義母さんに甘えている。

 お義母さんを喜ばせるための、天性の機転なのか。
 才能と言えば才能? 
私は持ち合わせてへんけど…  誰に似たんやろ。
演技でしているのだとしたら、我が子ながら末恐ろしい感じ。

「おじいちゃんと入ろか?」
 横っちょから、父さんがニヤッと嬉しそうに、あおいに誘いをかけている。

「あおい、オンナやで!
 お風呂にはもう、結婚する男性としか一緒に入らへんの!」

 父さん見事に、ふられちゃった。


「この近くに温泉があるから、女3人、あおいも連れて、行って来れば。
 母ちゃんも、父ちゃんの世話ばっかりじゃ大変だろ。
男だけで留守番しとくで・・・」

 パパが、気の利いた提案をしてくれた。

「あおいも、オンナ!」
 あおいが、口をとがらせている。

「ごめんごめん、女4人やな・・・
紗理奈の父さんと俺じゃ、父ちゃんも、わがままも言われへんやろう・・・」

 お義父さんは、しばらくウーウー文句言っていたが、
父さんが、
『まあ、たまには奥さん孝行されてはどうです?』
と促したら、シュンと大人しくなって、うなずいた。


* 

 いい湯だった。

 お義母さんも母さんも、久しぶりの温泉を、すっかり堪能したらしい。
4人並んで休憩所で座る。
 備え付けの冷たいお茶でノドを潤した。

 温泉で上気しているせいか、お義母さんは、以前より若返った気がする。
母さんも、同じ事を思っていたらしい。


「ご主人大変なのに、奥さん、前より元気になられたみたい」

 お義母さんは、笑ってうなずいた。

「こんなこと言ったら、お父ちゃんに怒られちゃうけど」
 そう言って、一度少し首をすくめてから、お義母さんが話し出した。

「今のほうが、夫婦してるっていうか、張り合いが出来た感じがするんですよ。
 この前も、海遊館へボランティアの人に、連れて行ってもろたんです。
水族館なんてツヨシが小学校の時に行った以来やと思います。
 お父ちゃんに、どっか連れてって貰ったっていうのは、ホントに、子供が小ちゃい間だけでしたから・・・」

 海遊館、とってもきれいやったわ・・・

お義母さんは、楽しそうに思い出していた。


「おじいちゃんとデートしたんや!」

 そう、デートね・・・ 
お義母さんは、あおいにうなずく。

「旦那さんと一緒になって、ずーっと働きづめでいらしたんですもの。
 もう夫婦して楽しんだって、     誰が文句いうもんですか!」

「そういう母さんだって、父さん、あと2年で定年でしょ。
そしたら、遊ぶん?」
もう、父さんもそんな年だ。

「私はまだまだ。
 父さんが定年するからって、別に、私まで一緒に仕事辞めんでもええやろ」

 母さんは、勤めている会社の総務の古株。
数年前リストラ騒ぎがあったときも、母さんだけ残せばなんとかなると慰留されたくらい頼りになる存在らしい。


 「リハビリって、どんなことしてはるんですか?」
 母さんが話を戻した。

「この前はね、左手で箸を使って大豆を1個1個、皿に移す練習してたんです。
ほら、お父ちゃん右手動かへんから。
それがね、なかなかうまくできなくって。
それを『お父ちゃん、がんばって!』って、一緒になって応援してるんですよ」

 お義母さんは、握りこぶしを軽く2回振った。

「今度、あおいも、一緒に応援してあげる!」

「お父ちゃん糖尿もあるから、塩分とカロリーとを計算して、バランス良うせなアカンって食事作るでしょ。
一緒に食べてる私も食生活が改善されたみたいで、ここんとこ体の調子がええの」

 お義母さんは、2回ほど、両ひじを軽く振った。

「毎日結構いそがしいんですよ。
毎朝血圧測ったげて、もちろん食べさせたげたり、おむつ替えたり・・・」

「おじいちゃん、赤ちゃんになっちゃったんやね!」

 そう、わがままで大きな赤ちゃん・・・ 
お義母さんは、あおいを見て微笑んだ。


「それがね、あの映子さんがね、
『私もお世話代わりますから、お義母さん、編み物再開したらどうですか?』
って言ってくれたん」

「えーっ、あの、お義姉さんがですか?」 

 意外だった。
お義父さんが倒れてから、お義母さんの編み物教室はずっとお休みになっていた。
生徒さんたちも聞き分けよく了承してくれたらしい。
教室といっても事情を知っているご近所の人の集まりだから、当たり前といえば当たり前だが。

「映子さんのおばあちゃんも、亡くなるまで脳梗塞で長いこと自宅療養してたんやって。
で、お母さんが一人で面倒見てはったらしいの。
小さい頃から、それ見てたから、結構要領はわかってますって」

『お義母さんが楽しみにしていた編み物、続けて欲しいんです。お義父さんも天敵のあたしには、わがまま言えないでしょう!』
と、豪快に笑って言っていたそうだ。

 さすがお義姉さん、頼もしぃーい。

「編み物教室、再開ですね。
私、また、久しぶりにお邪魔していいですぅ?」

「あおいも、行きたーい!」

 お義母さんは、やさしく首を横に振った。

「それがね、しばらくは、オ・ア・ズ・ケ、になっちゃったん」

 言葉とは裏腹に、お義母さんはとても楽しそうだ。

「映子さんね、どうも、オメデタらしいんよ」

「赤ちゃんができるの?・・・ 
イ・ト・コ? かわいいかな? 
あおいにも、抱っこさせてくれる?」
 あおいが、お義母さんに尋ねた。

「赤ちゃん小ちゃいから、きっと、あおいちゃんでも抱っこできると思うよ。
かわいがってあげてね!」

 あおいはニッコリ微笑んで、頷いた。
「大きい赤ちゃんの方も、ちゃんと車椅子押したげるわね!」

(八)


 運動会の延期、なんで次の日曜日にしないんだろ。

 火曜日、パパは仕事の都合がつかなかった。 
父さん母さんは仕事だし、お義母さんも、お義父さんのリハビリがある日だ。

「紗理奈さん、運動会のビデオ、見せに来てね。
楽しみにしてるわ!」

 温泉の帰り、お義母さんに頼まれてしまった。

 結局、私一人でビデオ撮影という大役だ。
開門と同時というわけにはいかないが、朝、弁当を作ってあおいを送り出すやいなや、あおいの小学校へ向かった。
 

 雲一つない良い天気だった。 
まさしく、運動会日和。

 平日の開催になったとはいえ、思ったより人が多い。
夫婦で来ている保護者も、よく見られた。

 早めに来ておいて良かった。
グラウンドが見渡せる、いい場所が確保できた。


 開会式。 あおいも整列している。

 校長先生の挨拶とかも撮っとこう。
メモリーの替えは充分持ってきた。

 パンフレットを見ながら、あおいの出番をチェックする。
一年生は、出番が早い。

 もう、すぐやわ。

 1年生の徒競走を告げるアナウンスが流れた。
ちゃんと、ビデオに撮って帰らないと。

 1年生が駆け足で入場してきた。
あおいはビデオを構えた私を見つけて、しっかりカメラ目線でほほえむ。

 そう、その調子。
おばあちゃんに見せるんやから。

 スタート前に、整列した。
確か、あおいのグループのスタートは2番目だ。

 いちについて ヨォーイ・・・ 

最初のグループがゴールする。

 次だ、あおい!
 ええとこ見せてや!

 いちについて ヨォーイ・・・

 あおいのグループがスタートした。

 みんないっせいにスタートしたが、一人だけ途中から歩いている子もいる。

 ビデオのファインダー越し、あおいがゴールした、2着だった。

がんばって走ったね、あおい。

 あらっ?

 あおいが、画面から外れそうになった。

 ゴールしたあおいは、ゴールリボンを持っている先生の後ろをクルッと回って、コースをまだプラプラ歩いている子のところへかけていく。

 他の子達も同じようにコースに戻って、その子のまわりを囲むように応援しながら、一緒に歩いている。

 上級生の子達、保護者観客席から、その子への声援が飛ぶ。

 ほのちゃんだ。

ほのちゃんは嬉しそうな顔をして、ゆっくりだけれど、走り出した。

 グラウンドが一つになって、大きな『ガンバレ!』の手拍子になった。
あおい達もその手拍子にのって、飛び跳ねながら並走している。

 大歓声の中、ほのちゃんはゴールした。

 今度こそ、走り終わった子が整列するところへ、あおいは、ほのちゃんの手を引いて座らせて、自分も体育すわりした。


 荒い息づかい、人の気配を感じた。

ビデオを下ろすのを待ち構えていたように、声をかけられた。

「岸本あおいちゃんの、お母さんでらっしゃいますよね?」
声をかけた女性は、首から掛けていた保護者カードを確認しながら聞いてきた。

 確か、『ふれあい学級』の先生、最初の保護者説明会の時お話していた先生だ。
名札には『さわだ』と書いてあった。

「今の、ご覧になられました?」

 興奮冷めやらぬ、といった感じだ。顔には、泣いた跡が残っている。

えっ、あぁ、はい・・・
戸惑いながら、返事をした。

「あおいちゃんが、最初に言い出したんですよ! 
『ほのちゃんと一緒にゴールしてもいい?』って」
 さわだ先生は、思いっきり、にっこりと笑った。

「でも、担任の酒井先生は、
『ちゃんと走らなきゃ、ダメです』
とおっしゃった。
あおいちゃん、それでも諦めずに
『あおいがゴールした後だったら、いい?』って。
担任の酒井先生も、
『それなら、仕方ないわね』と。

そしたら、私も、僕も、ってなってしまって・・・ 
結局、一緒に走るグループの人だけ、ゴールした後に、ほのちゃんを応援しに行っていいってなったんです」

 そういえば、ほのちゃんと一緒のグループになったとか言ってたっけ。
あおい、やってくれるやないの。

「あおいちゃん、とってもやさしいですね」

「えっ、あおいがですか?」

「しっかり、ご家庭でご指導していただいているようで。ありがとうございます。
あおいちゃん、『ママに【お友達とは仲良くしなさい!】って言われてるん!』って、いつも言ってますよ!」

 褒められてしもた・・・ 

私、そんなこと言ったっけ?

「では失礼します・・・ 
あおいちゃん、ダンスの方でも頑張ってくれてますよ!」
と、こぶしをグッと握りしめたポーズを決めてから、先生は立ち去っていった。

 午前の最終種目、1年生の団体演技が始まった。 
また、あおいをビデオで追っかけた。

 曲に合わせて走って動いたり、場所が変わるごとに、あおいは要所要所、ほのちゃんをサポートしている。
 自分の演技はちゃんとしながら、ほのちゃんの事もちゃんと気にかけている。


 自然に、まるで当たり前の事のように。

 あおい、すごいやない・・・
かっこええよ、あんた。

 私が小学生の時、今のあおいみたいに他人の事を手伝う余裕なんて、なかったはず。 
自分の事を懸命にするだけで、精一杯だった。

あおい、まだ1年生やのに。

 パパが帰ったら、早速ビデオを見せてやろう。
先生に褒められたって、教えてやろう。

きっと、いつものように

「あおいは、嫁になんて行かんでええからな、ずーっとココにおれヨ!」

 なんて、涙ながらに言い出すんやないかしら・・・



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