見出し画像

④【小説】 さくら坂のほのかちゃん ほのパパの2

 この春、お隣のT市にある幼稚園で、少子化での園児確保対策だろう、年少さんのまだひとつ下のひよこ組』ができた。
送迎はもちろん、長時間の課外保育体制があるのも魅力で、ミノリをそこへ通わす事になった。

 6月に3歳になったばかりのミノリは、ホノカとは逆にかなり口が達者だ。
体のサイズは平均的な3歳児だが、ミノリ単独でいると『幼稚園へ通っている』のと、その喋り具合から、大概の人に『年中さん?』くらいに思われてしまう。
門前の小僧なんとかで、ホノカに言葉を教える横で耳に入るのかもしれない。
幼稚園に行きだしてからは、ますますそのおしゃべりに拍車がかかる。

 ママの情報によると
「『徳心園』のお友達でも自閉症児の下が女の子って時、大概そうなるみたい」

 ママが、100円均一の店で『めまい』で倒れ、救急車で運ばれた時、駆けつけて来てくれて、あちこちに電話していたお義母さんの
【ヒロコが、たおれてん!】
というセリフが気に入ったのか、ミノリは、会う人会う人に、そのセリフを言いまわっている。

それが原因かは知らないが、

「ほのちゃんのママ、大丈夫?」
 同じ班の藤本君やミユちゃんはもとより、今週の登下校は、パパが名前を知らない子まで声をかけてくれる。


「ちょっと買ってくるから・・・」

 日曜日のことだ。
ミノリとホノカとパパは、エアコンの効いた車内で、大塚愛のベストを聞きながらお留守番。

 ママがなかなか戻ってこないと思ったら、店員さんが駆けてきて、車の窓をコンコン。

「奥さんが倒れてはります・・・」

 不幸中の幸い、倒れたとき什器で腰と肩を軽く打っただけで済んだ。
意識はしっかりしていた。
救急病院で点滴をしてもらって落ち着いて、なんとかその日には家に辿り着いた。

 
その週は会社に事情を説明して、休みを取った。
月曜日からは、ママと二人、耳鼻科、婦人科、脳神経外科を巡った。

 水曜日には、ホノカをガイヘルさんに無理やりお願いして、ミノリも課外保育に入れて、丸一日大学病院で本格的な検査をしてもらった。


が、翌日、ママと検査結果を聞きに行くと、

「特に、異常は見られませんでした。 メニエルではありません。 
『めまい』の4割は、原因不明なんですよ。
 薬飲んでもらって、もし『めまい』がきたら、治まるまでじっと我慢してください・・・」

 4日間を費やした病院巡り、まことに頼りない結果に終わった。


* * 


 金曜日、小学校へのホノカのお迎えは、歩いて行った。
日差しがきつい。
 学校に着いた頃には、額に汗が流れていた。
 校門には、もうホノカがいた。

 今日は、いつもの楠田先生はおらず、『ふれあい学級』の澤田先生と学級担任の酒井先生に挟まれて立っている。
澤田先生は、40代半ばの大柄な女性だ。

 澤田先生が、口を開いた。

「お父さん!ご苦労様です。 お母さんの具合はいかがですか?」

「ちょっとまだ、調子悪いみたいなんで・・・」

「そうなんですかぁ!」
と、澤田先生は、少し大げさに眉間にしわを寄せる。

「わたしも、ほのちゃんのお母さんと同じ厄年の時、『めまい』で苦しんだ頃がありました・・・」

 澤田先生が『めまい』で苦しんだというのは意外だった。
『めまい』で悩む人、世の中に結構いるんだ・・・

「でもね、厄が過ぎたら、ケロッと治っちゃいましたよ。
お母さんも、もう少しの辛抱ですよ。ハハハ・・・」
 澤田先生は、やたらと明るい快活な人だ。

澤田先生が言うように、本当に厄が開けてママの『めまい』が無くなったら良いけど。

 病院での『結局、原因はわからず』という経過を説明すると、澤田先生は、あっ!という顔をして、ポンとこぶしを手のひらでたたいた。
「そうそう、私も最初は、なんでか、原因わからへん、て言われたんですよ。
そんな時、友達から、『なんばに、めまい科ってあるよ』って教えられたんです。
そこ、お母さんも、連れてってあげてみてください。かなりちゃぁんと、してくれますよ。
・・・でも、あの、おじいちゃん、まだ、生きてはるかしら?」

 「はあ・・・
 ありがとうございます」
 頼りない情報だけど、一度、ネットで調べてみよう。


 横で、澤田先生とのやりとりを呆れ顔で見ていた酒井先生に、やっと本題を。

「来週から、おじいちゃんが迎えに来る日が多くなるかもしれません。
よろしくお願いいたします・・・」

 さすがにもう、会社を休んでばかりもいられない。
お迎えをお願いできるのは、お義父さん位しかいなかった。
ちゃんと、頼んでおかなくては。


 酒井先生がしゃがんで、ホノカと顔を向き合わせた。

「じゃあ、ほのかちゃん、さようなら!」


「サヨウナラ」
 小さい声でホノカが呟く。

酒井先生は、それでは満足せずに、
『さぁ!かぁっ!』と、首の動きも加えてホノカを促す。

「サカイセンセ、サヨウナラ」

「そう!さようなら・・・」
酒井先生はホノカの頭をなでた。

 ほおーっ。
と見ていると、澤田先生が解説する。
「酒井先生は、挨拶の前に、先生の名前も言わすようにしているんですよ」

 そういって、自分もホノカの前にかがんで
「ほのちゃん、さようなら!」

 といって、『さぁ!わあ!』と促すと

「サワダセンセ、サヨウナラ」
 小さい声だけれど、しっかり言えた。

「それはすごい、酒井先生ありがとうございます」
 酒井先生は、満足そうにうなずいた。

「では、失礼いたします」

 ホノカの手を引いて、校門を後にする。
澤田先生が、大きな声で背後から声をかけてくれた。
「ほのちゃん、また明日ねぇ!」

 酒井先生が、横目で睨んで
「明日は、休みですよ!」と、鋭く突っ込む。

 澤田先生は、ああそうか、という顔をして
「じゃあ、また来週!」

 昔のTVバラエティ番組の終わりのように、大きく手を振ってくれた。


 しっかり厳しい酒井先生、ちょっとうっかりだけど、明るくて精力的な澤田先生、キメ細やかな介助員の楠田先生。なかなかバランスが取れている。

* * 

 ママは、倒れた日の翌日も、その次の日も、何回か『めまい』がきていて、今も『めまいがきそう』は 度々あるらしい。

「『さくら坂』の中だけ、車でなら、ミノリ、ホノカのお迎え、なんとか頑張ってみる。
『めまいがきそう』って感じがだんだん分かってきたから、そうなったら、すぐ車止めて、じっとしてるわ。 
パパも、そろそろ仕事行かなくちゃ駄目だろうし」

「早い出勤の日は、ホノカを車で登校させて、そのまま会社に行くね。
電車乗り換える時、ダッシュしたらギリギリ間に合うし。
もし、お迎え、どうしても行けなかったら、お義父さんにお願いする手だね。夏休みまであと少しだし」

 夏休み、ホノカは、週3日だけ学童クラブへ介助付きで受け入れてもらえており、ミノリは、夏休み課外保育をフルに申し込んできていた。

『めまい』をだましだまし、何とかいけるか、ママ。

 義父母と義兄夫婦は、それぞれ仕事があり、『さくら坂』から一番近い職場は、定年後、            物流倉庫会社のパートをしているお義父さんの所だった。
一番時間の無理が言えるのもお義父さんだ。
ホノカを任せっきりとはいかないけれど、同じ『さくら坂』に居るというのは、いざという時心強い。


* *


 4年前、お義父さんの定年が近づき、定年後は、それまでの4LDKの社宅を出なければならず、新しく住む家を探していた。
当時、大手メーカーの独身寮に入っていたお義兄さんも、近々結婚して一緒に住むので、2世帯住宅にする必要があった。

 我が家が『さくら坂』住宅販売センターへやって来たのは、たまたま実家の物件探しのお供としてだ。

 土地価格と、2世帯住宅を建築する価格もほぼ予算内で、お義父さんお義母さんは、車で通勤でき、      お義兄さん夫婦も、駅までの通勤手段として原付を買わせば、
「なんとか行きよるやろ」
お義父さんのその一言で決まり。

おかげで義兄さん夫婦やお義母さんは、仕事がある日は早朝に家を出、夜遅く帰宅する毎日だ。


 お義父さんは、『さくら坂』という地名も気に入っている。

「あの歌の出来る前からあるんやから、便乗してるわけやないやろ。ホンマもんや!」

 『さくら坂』の住宅地自体は、歌がヒットする前から存在するらしい。
ヒットした歌のタイトルは漢字なので、『ホンマもん』とはまた違うはずなんだけれど。


 ホノカが産まれた時、ママはつわりがひどく、産後は産後で体調悪く、出産前後の約一年ママは、大阪南部O市の実家で暮らしているようなものだった。
大阪で一番京都寄りの、H市に住んでいたマンションとの往復にも疲れ、パパもホノカが産まれる頃には、マスオさん状態。


「『さくら坂』いいなぁ・・・」
 ママがつぶやく。

 以前のママの実家では、結婚後もまだ、ママの部屋を残してくれていた。
今度の実家は、お義兄夫婦との2世帯住宅だ。
以前のように、頻繁に泊まりこんだりもできないだろう。 
 
 ホノカだっている。

 次の子を考えるのに、ここに住めないだろうか?
今の、独身時代に購入したマンションが、いくらで売れるかによるけれど、それでも建売の一番安い物件なら  何とかローンが組めそうだった。

「田舎暮らしは、大変だぞ!」

 ママが、少し驚いた顔になる。 
すぐに嬉しい顔に変わった。

「大丈夫よ。ここ、いいとこだもん。ここに着いた時、そんな感じがしたんだ!」

 ママの『直感』には、素直に従っておいたほうがいい。


 販売センターの窓の外、遠くに大阪の中心地が霞んで見えた。
通勤は遠くなるけれど、ココから大阪市内へ通っている人だっているはずだ。

 まあ、見えている位だから、何とかなるだろう。


* * 

「夏休みのラジオ体操と、障害児童向けの夏休み親子プール教室は木曜日だから、パパお願いね」

「早起きは得意さ。
木曜の休みも土曜日に何日か出勤すれば夏休み中くらいなら、なんとかできると思うよ。
パパも競泳用の水着と水泳帽買わなくちゃ!」

 泳ぐのなんて、久しぶりだ。

「パパ、たぶん気持ちよく泳いでるヒマなんて無いと思うよ」


* * 

「ホノカはプール大好きだもんな、でも、今日は男用のロッカー室だよ」

 ここ、大阪府の障害者用施設ファインプラザは、ガイヘルさんともよく来ているらしく、          早速女性用のロッカー室へ向かうホノカを、引き止めて男性用へ。

でも、さほど気分を害さずに済み、さっさと着替えてプールへ。

 教室が始まるまで自由に泳いでいていいらしいので、ホノカさっそく本領発揮、ホノカ風犬掻きでひたすら泳ぐ。

ガイヘルさんが、ビート板でバタ足とか教えても、なかなか言うことを聞かないらしい。

 確かに、ビート板を渡すとその上に立とうとしはじめた。
 ビート板が、水中から勢いよく飛び跳ねて出た。

「そんなビート板で、サーフィンは無理だよ!」


 教室が、始まった。
整列? 点呼? 準備体操? ホノカはひたすらプールへ入ろうとする。

そんなホノカを引き止めて、
「た・い・そ・う するの!」

「プール! チョーダイ!」
 今のところ、要求はすべて『チョーダイ!』だ。

 父娘で、プールサイドでバトルをしていると、ようやくみんなプールへ。やっとホノカも入水だ。

「このリングをプールに沈めますので、拾ってきてくださいね」

 ホノカは、小学校低学年チーム。

顔を水につける練習だ。
コーチが、直径15cmくらいの1ヶ所だけ錘の付いた発泡スチロール製のリングを、バラバラとプールに放り込んだ。

「足使ったらアカン?」 
浮き輪持参の子が、尋ねる。

「ちゃんと手で取ってね。
 ずるしちゃダメよ。
 水の中に顔をつけて下さいね」

 ホノカは、既に、深く潜っていった。

「ファーッ!」 
 豪快に水面に出てきたホノカの口には、しっかりリングが咥えられていた。

「ほのかちゃんすごい!」
 他のお母さんから、お褒めの言葉と拍手。

 ホノカ、おまえどっかでイルカのショーでも見てきたのか? 
と、感心していると、

「確かに、足は使ってへんけど・・・」
ボソッと、コーチがつぶやいた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?